書評・ビーン『国際労働統計』


《書評》

R.ビーン編著/伊藤陽一・杉森滉一他訳『国際労働統計−手引きと最近の傾向−』


梓出版社、1990年刊行、 A5判 334+vii頁

                        二村 一夫


 かの『日本資本主義分析』における「印度以下賃金」説や、1963年の春闘で総評が「ヨーロッパ並みの賃金」要求を提起したように、統計を使った国際比較は、いまに始まったことではない。だが今日ほど一般庶民が日常生活で、他の国との統計的な比較を意識させられる時代はなかったのではないか。「東京の物価高は世界で二番」とか「日本の賃金水準はいまや世界のトップレベルにある」といった情報が世間に満ちあふれている。

 もちろん国際比較は日常生活においてだけでなく、学問研究の方法としてもますます頻繁に用いられている。とくに統計数値を用いた国際比較は一見して明快で、説得力が強いだけによく使われる。だが実際には、統計的な国際比較をすることはなかなか容易ではない。たとえば〈賃金〉とか〈労働組合員〉といった、われわれがごく日常的に使っている言葉も、ひとたび統計用語となると、国によって、また時代によって、実に多様な内容をもっている。同じ〈賃金〉といっても、団体協約できめられた〈賃金率〉と個々の労働者が実際に得ている〈実収賃金〉では、その数値は大きく異なる。日本では〈賃金率〉による統計など問題にならないが、フランスやイタリア、オランダでは〈賃金率〉統計が主で、定期的に調査している〈実収賃金〉統計はないという。さらに賃金に〈手当〉をふくめるか否か、また含めるとしてどの〈手当〉を加算するかによっても結果は違ってくる。また〈労働組合員〉についても、組合そのものの定義の難しさを別にして、退職した組合員を含めるか否か、組合費未納者をどうするか、プロ野球選手や、音楽家のように通常の賃金労働者ではない者、さらには自営業者である労働組合員(北欧やスイスでは相当数が労働組合に組織されている)を除くか否かといった問題がある。このように国によって、基準そのものが違う統計は、そのままでは比較しようがない。

 そこで国際比較の際には、各国の統計が調査項目をどのように定義し、どのような方法で調査しているかを知り、相互に比較可能なかたちに修正しなければならない。しかし、統計の専門家でないわれわれにとって、そうした国ごとの統計の定義や調査方法の違いを知るだけでも容易ではない。ましてそれを比較可能な数値に修正することなど思いもよらない。その意味で本書は、われわれ国際労働統計の素人にとって、たいへん便利である。

 ここで、本書の内容を紹介しながら若干のコメントを加えよう。全体は二部からなり、主体である第一部は、つぎの9章についてイギリスの大学や政府の研究機関に籍をおく各分野の専門家が執筆している。

 第1章は「国際的に見た労働統計」と題する総論で、編者のR.ビーン(リバプール大学経済・会計学部上級講師)が執筆している。ここでは、国際比較のために労働統計を利用する際の問題点が、失業統計や争議統計を例に、定義の違い、データの収集方法などをめぐって論じられている。また、この章にはILOやOECDなど、さまざまな機関によって作成され、すでに国際比較が可能なかたちに修整された統計についての情報があり、役に立つ。またアメリカの労働統計局がパートタイム労働をフルタイム基準に調整したものなど 7種ものちがった失業率を発表していることなど、興味深い情報もある。

 第2章「労働人口と就業」は、P.ブライトン(ウエールズ大学カーディフ校上級講師)が、主として OECDの Emplyoment Outlookを用い、生産年齢人口、労働力率、就業者数、農、工、サービス業など部門別の分布、パートタイム就業者数、自営就業者数などについて最近の動向を紹介している。

 第3章「失業」はJ.ヒューズ(ケント大学教授)の執筆である。OECD諸国の失業統計が、職業紹介所のデータを使用しているか、または標本調査によっているかなどといった測定方法上の違い、さらに失業についての定義の違いなどを表示し、そうした違いを調整したOECDの数値を紹介している。

 第4章「賃金と収入」は、K.ホールデン(リバプール大学経済・会計学部上級講師)が、各国の政府統計の測定方法を検討している。賃金については最低賃金率と実収賃金、それに実質実収賃金と賃金ドリフトについて、国ごとの推移を明らかにしている。

 第5章「消費者物価」は、第4章と同じくK.ホールデンが書いている。当然のことながら、国によって支出品目の構成が異なるだけでなく、調査方法上でも、全国か都市だけかという対象地域の違い、さらには対象所帯の性格(単身者所帯、年金生活者や少数の高額所得者を含めるか否か)など、さまざまな問題があることが記されている。さらに25カ国について、1971年から86年のインフレ率が表示されている。

 第6章「労働費用」は、G.F.レイ(国立経済社会研究所上級研究員)が、賃金だけでなく使用者が負担している社会保障や職業訓練費、福祉サービスの費用などを含めた労働費用について、スウェーデン使用者連合(SAF)が毎年発行している Wages and Total Labour Costs for Workers -International Survey を使って紹介している。

 第7章「労働時間」はP.ブライトン(上掲)が執筆している。読者は、ここでもまた、ILOのYear Bookでは、実労働時間統計をとる国と有給休暇まで含む支払労働時間をとる国があることを知らされるのである。また、国によってパートタイム労働についての基準が異なることが、フルタイム労働者の労働時間の平均に影響を及ぼすこともわかるのである。

 第8章「労働組合員」に関する統計は、信頼すべき統計数値が得にくい分野である。政府と労働組合の関係が対立的な国では、組合は政府にその数を報告したがらず、また組合間の対立が激しいところでは、組合員数は誇大に報告される傾向があるなどの理由があるからである。筆者のR.プライス(ウォーリック大学労使関係研究所講師)は、かつてオーストラリアを含む欧米 8カ国の組合員数、組織率の歴史的推移を明らかにした Profiles of Union Growth を著した専門研究者である。本章は19カ国について、しかも前著刊行後の新しい数値を収録しており、他では得難い貴重なデータの紹介である。

 第9章「労働争議」は、S.クレイ(雇用省雇用市場研究部経済顧問)が、OECD加盟20カ国の労働争議統計についての国際比較可能性を綿密に検討している。彼は各国の「作業停止を統計に算入するための基準」とデータの「収集方法」について各国の特色を明らかにした上で、「労働損失日数こそ、国際比較の上では最もすぐれた基準である」と結論している。なぜなら労働損失日数は、どこの国でも比較的少数の大規模な作業停止に起因しており、補足率が高いからであるという。

 以上各章は、いずれも石油危機後の1973年から1985年前後まで、主要先進資本主義国における基本的な労働統計を紹介し、この間の変化と特徴が解説している。同時に依拠したデータの国による定義や調査方法上の問題点などが説明されている。また、かなりの項目については、そうした違いを調整して国際比較が可能なかたちに調整した統計が収められている。個人や、個々の労働組合で、本書のもとになった統計資料を入手することは困難で、かりに入手できたとしても、統計上の定義の違いや、調査方法の問題点まで読みとるには、たいへんな努力を必要とする。その意味で、本書は労働問題の研究者はいうまでもなく、労働組合調査部などには必備の本といってよい。


 もっとも不満がないではない。ガイドブックとしての限界かも知れないが、本書が依拠した統計の多くはOECDやILO、あるいはSAF(スウェーデン使用者連合)などが編纂した二次資料であるため、一次統計の作成者が国際比較に必要な情報を提供していない場合には、問題点が十分に明らかにされていないことである。
 もちろん評者に全項目について判断する力はないが、たとえば日本の労働組合組織率についての項(p.201)をみると、筆者が日本の統計を直接検討していないことは明瞭である。

 たとえば、組織率の分母となる労働者数が、他の国の基準と整合しないことの指摘がない。日本の労働組合基礎調査は、組織率計算のため、労働者数でなく、総務庁の「労働力調査」の〈雇用者〉を使っている。しかし、これには本来、組合員にはなりえない経営者や管理職、さらには法律によって団結権が否認されている自衛隊員や警察官までも含んでいる。また諸外国の組織率算出では、労働者数に完全失業者を加えているのがふつうであるが、日本では失業者は入っていない。なお、国際的な基準からみての日本の組織率の問題点についての詳細は、拙稿「労働組合組織率の再検討」本誌 330号(1986年5月)を参照願いたい。

 ただプライスの名誉のために言うと、労働組合員についての記述は、全体に二次資料だけには依拠せず、本書ではもっとも充実した章のひとつである。

 本書第二部には、OECD加盟24カ国に加え、NIESや発展途上国20カ国を含む計44カ国の基本的な労働統計が収録されている。ここにも他では容易に入手できない情報が含まれており、大いに役に立つ。



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