評者 二村 一夫
本書は、「経済発展の重要な鍵は、何といっても人材の育成と開発にある」との観点から、「日本の工業化に対する職人の貢献を確定」することを意図した作品である。「幕末・維新期の工業労働力を準備するにあたって、伝来の職人たちはいかなる役割を演じたのだろうか。さらに、職人の技能は、どの程度工場労働者(職工)に伝えられたのであろうか」、これが本書の問題関心である。ただし、研究対象は、「自生的な工業化のために必要不可欠な金属加工業と機械工業」に限定されている。
ただ、このテーマは、著者も言うようにかなりの難問である。問題は資料の乏しさで、「一般に職人は、企業者と異なり、その事績を記載した資料を残すことが少ない」。また残っている場合でも、数量的検討を可能とするような内容をもっていない。ここをいかに解決するかは、まさに研究者の腕の見せ所である。尾高氏は、前著の『労働市場分析』(岩波書店、1984年)においても、造船業を対象に近世後期以降の生産技術の変化を跡づけ、分断的労働市場が発生した要因をさぐるなかで、伝統的な職人の世界と工場制度とを比較する試みをされていた。また、最近の論稿、「産業の担い手」(『日本経済史 4』岩波書店、1990年)では、19世紀末の愛知県、岩手県における「職工調査」の個表という、まだ使われたことのない資料をもとに、小規模工場における経営と労働の実態を追う仕事をされている。どの作品も、さまざまな統計資料や新発見の諸資料を使って克明な実証的研究をおこない、外国の日本研究にも目をくばり、教えられるところの多いものであった。また、本書と同時に、戦前から石油危機以降までの職業教育について論じた『企業内教育の時代』を刊行し、高い評価を受けている。
評者はかねてから、従来の日本労働運動史や労使関係史が「工業化以前の社会における労働慣行や労働組織、民衆の価値観などが、工業化後の組織や運動に及ぼした影響」を無視していることに疑問をもち、つぎのように指摘してきた。「工業化の過程で、熟練労働者の中核を形成したのは職人層であった。江戸時代以前の職人組織と幕藩権力との関係、職人の価値観、労働慣行などと、工業化以降の労働者階級の組織、価値観等のかかわりは、無視しえない重要な研究課題である」(『足尾暴動の史的分析』終章)。
これまで多くを学んできた著者の作品である上に、こうした評者自身の問題関心もあって、タイトルだけで本書に惹きつけられ、大きな期待をもって熟読した。この期待は、一部は満たされたが、同時に不満も残った。もちろん、著者の問題関心と評者のそれが同一というわけはないから、不満といっても評者の一方的な「ないものねだり」に過ぎないかもしれない。ただ、異なった学問分野の協力を必要とする研究課題だけに、労働史の側からの意見表明も無意味ではあるまい。そこで、まずは本書の内容を紹介し、それにコメントを加えることで、評者のこうした感想の意味を説明していこう。
本書は、「はじめに」と「結論」を別に 7章から成っている。「はじめに」では、すでに紹介した本書の意図および利用する資料の性格、研究対象の限定が簡潔に述べられている。それに続く 7章の構成は次の通りである。
- 第 1章 職人の概念
- 第 2章 幕末・維新期職人社会の工業力
- 第 3章 初期工業化社会における職人の地位
- 第 4章 金属加工・機械製造業における職人の貢献
- 第 5章 造船業における職人の貢献
- 第 6章 工業化社会における職人
- 第 7章 職人の世界・工場の世界──労働過程変革の歴史理論
第 1章「職人の概念」では、まず職人と職工との違いがつぎのように定義されている。すなわち、職人の特徴は、a)労働手段の私有、b)技能の高低が客観的に測定でき、その結果によって職人の社会的評価が決まる、c)技術は職人に体化して蓄えられ、したがって技能習得に一定期間の修業を要する、d)仕事の方法について作業者本人に大幅な裁量権がある。
一方、職工は、a)自己の労働手段をもたず、他人に雇われ工場で働く、b)個々の作業者の技能がそのまま製品市場の評価対象にはならない、c)職工の技能は、職人のそれに比べ、相対的に客観性をもち、その訓練はOJTとなる、d)仕事の進め方について限定された決定権しかもたない。要するに、両者は同種ではあっても質を異にする生産に携わっている、というのである。
この定義に細部は別として大筋で異論はなく、また冒頭で両者の相違を明確にしておく必要があることにも異議はない。ただ、上記の「職工」の定義が完全に当てはまるのは量産段階で、本書が主として対象とする時期の工場労働者の多くは、両者の中間形態にあったことを、最初に明確にしておくべきではなかったろうか。
もちろん著者も、これをまったくを無視しているわけではない。第 6章では、冒頭の定義にもふれて次のように論じている。「大工場の内部でも、職人の伝統がただちに消滅したのではない。……少量で多品種の製品が注文生産されている場合には、作業者の〈腕〉が幅を利かすことが少なくなく、したがって仕事の出来栄えと作業担当者の名前が比較的容易に結び付けられる可能性があった。……このように職工でありながら職人の特性をも備えた人々が〈職人的職工〉である。これらの人々は、第一章第一節で述べた職人の四つの特徴のうち、一を欠き、二と四は部分的にしかこれを持っていない」。この引用部分の前半はその通りである。だが、定義に関する部分には問題がある。たとえば、著者は、a)「労働手段の所有」について、〈職人的職工〉はこれを欠いていた、と見ている。だが、日本の機械工場の職工の多くは、1910年代においてさえ、自分の道具箱をかついで通勤していた。たとえば、旋盤工だった西尾末広は、1916年当時を回想して、つぎのように述べている。「当時職工が工場で働くには自分の道具を持って入つたものだ。ぱす、尺などはもちろんハイスバイト、差込みバイト台から油砥石、ハンマーに至るまで自分で道具を揃えた。道具のいいのを持っていることが熟練工の自慢であった」(『大衆とともに』42頁)。
機械は経営者のものでも、計測器やジグなど小さな道具類は職工が個人で所有していたのである。
同じことは、前述の定義のb)c)d)についても言える。どの工場にも、精度の低い旋盤を使った中間製品をヤスリ一本で仕上げるような「名人」「職場の神様」がいた。その熟練は職人同様カンとコツにもとづくもので、その習得には時間がかかった。また、「内部請負制」のもとでは、親方職工は仕事の段取りについて、かなり独自の権限をもっていた。いずれにせよ、同じ工場制度といっても大量生産方式の導入の前と後では、労働の性格は異なり、したがって労働者の性格も異なったことをあらかじめ明らかにし、中間形態としての〈職人的職工〉の存在を措定しておけば、本書はずっと分かりやすくなったのではないか。
第 2章「幕末・維新期職人社会の工業力」では、まず「前工業化社会における職人」について述べた後、「幕末期の職人の機械製作能力」が、佐賀藩の兵器製作や戸田における洋式帆船建造、長崎製鉄所などの事例で検討されている。
つぎは「明治前期における職人の動向」で、東京府統計書を使って東京の職人の数が明らかにされ、さらに『東京名工鑑』によって、金属機械関係の職人106人の経歴が分析されている。
『東京名工鑑』は既知の資料だが、著者はこれを用いて数量的な吟味もおこない、機械器具製造に従事した職人のうちに鉄砲鍛冶出身者の比率が高いことなど、興味ある事実を明らかにしている。次章とともに、尾高氏の本領が発揮されており、新たな発見が少なくない。
第 3章は「初期工業化社会における職人の地位」である。まず取り上げられているのは、金属機械工業と鉱業における「お雇い外国人」で、その年次別推移が、技師・職工別、官民別、国籍別に図示され、数量的に検討されている。これに続く「工業化の始動と職人」では、伝統的な職人の実態が、土佐の村鍛冶、燕・三条など特産地の事例で紹介されている。さらに海軍が実施した「徴発物件調査」により、明治中期の「有力機械工場」の実態が数量的に示され、これと『東京府統計書』などによる金属・機械関連の労働者数とが比較されている。また、明治末から大正にかけ、職人的作業場と工場が共存していたこと、その中間に、中小の町工場が姿を整えつつあったことが結論されている。
第 4章「金属加工・機械製造業における職人の貢献」は、つぎの第 5章「造船業における職人の貢献」とともに、工業化社会において職人または〈職人的職工〉が果した役割が、多くの頁をさいて、具体例によって検討され、本書の中心部分といってよい。この 2つの章で主として使われているのは社史である。すなわち、一橋大学産業経営研究所が所蔵する社史コレクションのうち、金属加工業および機械製造業関連の433社、632点の社史が検討され、うち職人の技能が明治期工業化に生かされたものとして、 4章で13事例、 5章で 8事例が紹介されている。
いずれも職人の成功物語としての要素もあり、興味深く読みすすむことができる。また、鉄砲鍛冶の技術が自転車製造に生かされたこと、工作機械の製作でさえ個人的な資金で開業し得たこと、企業家として成功した職人は外国技術をまるごと採用せず、自力の研究を重ねていたことなど、教えられる事実は少なくない。 ただ、評者の率直な感想を述べれば、本書が冒頭で設定した課題に答えるには、社史はあまり役に立つ材料ではないように思える。「職人の技能はどの程度職工に伝えられたのか」といった問題の解明に、社史の伝える情報量は限られ、その信頼度も高いものではない。日本の職人や〈職人的労働者〉についての研究を前進させるには、本書などをてがかりに、個別事例について新たな資料を発掘すると同時に、限られた資料から必要な情報を読みとる方法を鍛える必要があろう。もっとも、これを確認しえただけでも本書の意義は小さくない。市販されていない出版物を大量に集め、630点余もの大冊を読みことは、誰にでも出来るわけではない。
第 6章「工業化社会における職人」は第 4章、第 5章での発見をもとに、職人的労働力の類型化がおこなわれている。類型化は、縦軸に、a)職人であり続けるタイプ、b)職工に転化するタイプの2つを、横軸に技能の伝習方法による分類として、a)維新前に職人の修業をした第一世代、b)として維新後に修業した第ニ世代のうち親方徒弟制による伝習と、c)工場内養成制度、以上の組み合わせによる6つのタイプが提起されている。
本章の最後には、今後いっそう検証すべき作業仮説として、つぎの 4点があげられている。
- 日本の機械工業にあっては、工場制導入以前の職人の技能は、初期工場にとって不可欠の存在であったが、工場制確立後の技能形成に貢献するところは比較的僅少であった。
- 工場制導入後の技能形成は、職人のそれとは全く異なった。ただし、中小企業では、戦後まで職人的技能の世界が存続した。
- 職人的技能と、新たな技能体系との間隙を埋めたのは技術者である。
- 日本の技術者が育つ前に、この間隙を埋める手助けをしたのはお雇外国人の技師と職工であった。
これは今後研究をすすめるための作業仮説であると同時に本書の結論でもあろう。このそれぞれについて述べたいことはあるが、紙幅に余裕がないので、a)についてのみふれておきたい。それはこの評価では、工業化前の日本の職人の技能を少し低くみ過ぎているのではないかということである。確かに金属加工の分野をとれば、工作機械の使用を知らなかったなど、高い評価は与ええない。だが、木材加工の分野では、日本の職人の技能水準は先進諸国に比べても高く、工業化後の技能形成にも大きく貢献したのではないか、と考える。おそらく著者は、それは研究対象から除いた分野だと言われるであろう。だが、船大工、木型工など木材加工職人は、金属機械工業の分野でも無視しえない比重を占めていた。日本の造船業が短期間で発展し、軍工廠とともに機械工業の中心的存在となりえたのは、工業化前の日本の職人の技能の高さを抜きには考えれれないのではないか。
第 7章「職人の世界・工場の世界」は、「労働過程変革の歴史理論」の副題が示すように、工業化の過程において、工場労働者がいかに形成され、組織され、労働に携わっていたかを問題にしている。より具体的には、内部請負制と内部労働市場の変遷を歴史的にたどることによって、工場制度の展開とともに生ずる労働過程変動の論理が追求されている。ところで、この章は、前章および結論とともに、かなり疑問を感じながら読んだ箇所である。
そのひとつの理由は、著者が、日本労働運動史、労使関係史研究がすでに実証的に明らかにしている事実を十分に摂取していないかに見えることである。たとえば、著者は内部請負制の存続を強調し、その崩壊期を第一次大戦後におき、そこに争議多発の原因をみている。だが、第一次大戦後に争議がおきた大企業では、すでに日露戦争前後には経営側による直接管理への移行の努力が続けられていた。もちろん、著者が独自の見解を述べられるのは結構だが、通説と異なる新たな主張を展開されるのであれば、その根拠を具体的に示されるべきであったろう。
この点ともかかわるが、国際比較についても、不満が残った。著者は、国際比較を意識されるすぐれた研究者と思うのだが、本書に関する限りその期待は裏切られた。「結論」では、とくに 1節を設け「比較史的視点」を論じている。だが、それは僅か 2頁で、そこで指摘されているのは、「日本における職人の世界が比較的もろく壊え去ったという印象がある」という印象論である。この印象は正しい。だが、問題は、どの点でもろかったのか、何故そうだったのかであろう。だが、それについての追究はなされていない。少なくとも、欧米におけるクラフト・ギルド、クラフト・ユニオニズムの伝統の強さ、これに対比しての日本の職人の伝統的な組織の自律性の弱さについては、もっとつっこんで検討してほしかった。
〔初出 『大原社会問題研究所雑誌』423号、1994年2月〕