書評・尾高『職人の世界・工場の世界』


《書評》
尾高煌之助『職人の世界・工場の世界』


 (リブロポート、1993年3月、305+X.定価2987円)

評者  二村 一夫


はじめに

 本書は、「経済発展の重要な鍵は、何といっても人材の育成と開発にある」との観点から、「日本の工業化に対する職人の貢献を確定」することを意図した作品である。「幕末・維新期の工業労働力を準備するにあたって、伝来の職人たちはいかなる役割を演じたのだろうか。さらに、職人の技能は、どの程度工場労働者(職工)に伝えられたのであろうか」、これが本書の問題関心である。ただし、研究対象は、「自生的な工業化のために必要不可欠な金属加工業と機械工業」に限定されている。
 ただ、このテーマは、著者も言うようにかなりの難問である。問題は資料の乏しさで、「一般に職人は、企業者と異なり、その事績を記載した資料を残すことが少ない」。また残っている場合でも、数量的検討を可能とするような内容をもっていない。ここをいかに解決するかは、まさに研究者の腕の見せ所である。

 尾高氏は、前著の『労働市場分析』(岩波書店、1984年)においても、造船業を対象に近世後期以降の生産技術の変化を跡づけ、分断的労働市場が発生した要因をさぐるなかで、伝統的な職人の世界と工場制度とを比較する試みをされていた。また、最近の論稿、「産業の担い手」(『日本経済史 4』岩波書店、1990年)では、19世紀末の愛知県、岩手県における「職工調査」の個表という、まだ使われたことのない資料をもとに、小規模工場における経営と労働の実態を追う仕事をされている。どの作品も、さまざまな統計資料や新発見の諸資料を使って克明な実証的研究をおこない、外国の日本研究にも目をくばり、教えられるところの多いものであった。また、本書と同時に、戦前から石油危機以降までの職業教育について論じた『企業内教育の時代』を刊行し、高い評価を受けている。

 評者はかねてから、従来の日本労働運動史や労使関係史が「工業化以前の社会における労働慣行や労働組織、民衆の価値観などが、工業化後の組織や運動に及ぼした影響」を無視していることに疑問をもち、つぎのように指摘してきた。「工業化の過程で、熟練労働者の中核を形成したのは職人層であった。江戸時代以前の職人組織と幕藩権力との関係、職人の価値観、労働慣行などと、工業化以降の労働者階級の組織、価値観等のかかわりは、無視しえない重要な研究課題である」(『足尾暴動の史的分析』終章)。
 これまで多くを学んできた著者の作品である上に、こうした評者自身の問題関心もあって、タイトルだけで本書に惹きつけられ、大きな期待をもって熟読した。この期待は、一部は満たされたが、同時に不満も残った。もちろん、著者の問題関心と評者のそれが同一というわけはないから、不満といっても評者の一方的な「ないものねだり」に過ぎないかもしれない。ただ、異なった学問分野の協力を必要とする研究課題だけに、労働史の側からの意見表明も無意味ではあるまい。そこで、まずは本書の内容を紹介し、それにコメントを加えることで、評者のこうした感想の意味を説明していこう。

 本書は、「はじめに」と「結論」を別に 7章から成っている。「はじめに」では、すでに紹介した本書の意図および利用する資料の性格、研究対象の限定が簡潔に述べられている。それに続く 7章の構成は次の通りである。


〔初出 『大原社会問題研究所雑誌』423号、1994年2月〕


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