本書は、氏が1959年に発表した『足尾暴動の基礎過程』と題した1907年足尾暴動についての論文を改稿し、さらに大幅に増補したものである。本書の骨子は、「足尾暴動の基礎過程」再論(『金属鉱山研究会会報』第27号)に述べられ、それと前後して大原社研『研究資料月報』に12回にわたって連載された論文を集大成されたものである。
序章、終章をふくんで全五章で構成されているが、第一章では、鉱山暴動について〈自然発生的抵抗〉説を検討し、友子同盟の果した積極的役割を明らかにする。
第二章は、『足尾暴動の基礎過程』を改稿したもので、飯場制度について、その歴史的変化が採鉱法の進歩に伴なう生産過程の変革によって起ったことを充分に論証しようとしたもので、日本の労働構造が大河内一男氏のとなえる「出稼型」では論証できないことを強調している。
さらに補論として、飯場頭の出自と労働者募集圏および足尾銅山における囚人労働をとりあげ、これらを総合して明治期足尾銅山の労働構造について述べている。
第三章は、鉱山労働者の労働条件がどのように変化してきたかについて、先ず足尾の賃金水準について、他産業との比較、他鉱山との比較、鉱山急成長期の高賃金の背景等について論じたあと、鉱山における生産部門の技術進歩とこれに伴なう労働の質的・量的変化について、機械化による近代化が急速に進行した選鉱、製錬について個別に述べたあと、鉱山の根幹となる採鉱については、当初の自由請負採鉱である「抜掘法」から採掘区画に制約して組織的な近代的採鉱法である「階段掘法」への転換による坑夫の賃金水準の推移について述べ、最後の不熟練労働者の賃金水準がどう変わっていったかについて述べている。
この章では、賃金水準変動の主要因が労働力の需給関係の変化によることを明らかにしようとしたもので、これを立証するために、鉱業技術の展開過程、特に製錬技術については、実習報告書などから多くの紙幅を割いており、技術史としても役立っている。
終章は、争議・暴動原因、暴動の影響について総括したあと、今後の課題として、労資関係をとりまく歴史的、社会的、文化的要因、労働者意識等をとりあげ、これまで労資関係や労働運動についての理解が、著しく経済主義的であったために誤った解釈をするようになっているが、たとえば前近代社会の遺産である百姓一揆の行動規範、友子同盟の評価などを加え、総合的な解明をすべきであるとしている。
本書は、近代足尾銅山について、鉱山労働者が鉱山の急成長によってどう変わり、また技術の進歩に伴なう生産過程の変化によって、それぞれの生産部門がそれぞれの変革に応じ、独特の変化をしていったかについて、歴史的過程の中で見据えようとしている。
副題の「鉱山労働者の社会史」とは、そうした著者の意図をあらわしたものといえよう。本書が、単なる足尾暴動の分析にとどまらず、労働の諸相の史的変化から見た近代足尾銅山史としてとらえることが出来るのは、著者が30年来蓄積してこられた研究成果であると考える。
最後に、やや寸評的なことになるが、至誠会の中核となった坑夫について、たとえば、鉱層型鉱山と鉱脈型鉱山との生産過程、労働過程の微妙な相違、「抜掘法」、「階段掘法」など採鉱方式の採用とその限界、それぞれの生産過程による労働側の意識的問題などについて、充実した解明がはかられればよかったと思うが、これは資料的制約もあって十分に究明されなかった。
ともあれ、複雑で難解な鉱山の状況について、新しい境地を拓かれた著者の研究に心から敬意を表するものである。