本書は、まさしく実証的な方法によって書かれた第一級の歴史のモノグラフであり、労働運動史研究に新たなパースペクティブを拓くものといえる。もっとも二村氏にとって足尾暴動は30年も前に手掛けた主題であり、その成果は(本書第二章)すでに定説として広く認められているのであるから(たとえば東洋経済『日本近現代史辞典』を見よ)、ことさらに新しいわけではない。
だが、そこでの二村氏の所説は、この1907年(明治40年)暴動を「原生的労働関係と奴隷制的飯場制度の強度な支配」のもとにあった労働者の「苛烈な労働条件や身分的な拘束に対する鬱積した不満」の自然発生的爆発であるとする大河内一男氏の見解に対し、それとは「全く逆のもの」すなわち「飯場制度の変化=弱化」のなかで生じたことを指摘する。あえていうなら、ただそれだけであった。
なぜ、全職種中で最高給を得ていた坑夫(開坑採鉱夫)から──暴動の引き金となった60%もの──賃上げ要求が出されたのか、またかれらが江戸時代以来の伝統をもつ同職団体(クラフトギルド)の友子同盟、それにもとづいて組織された大日本労働同志会(のち至誠会)を通じて主体的・民主的にこの闘争に参加していたかということは、処女論文以来「二〇年余」にして再開された研究、その総括である本書によって初めて明らかにされたのであるから、これは「研究史」上やはり新しいといわなくてはならないのである。
巻末に掲載されているリストによると、二村氏は、1980年代前半にほぼ右の順で第一の(通念からすれば)逆説的な疑問に対する解答を与える努力をされ、ついで1984〜85年に「足尾暴動の主体的条件」と題された、前段でいえば第二の友子同盟に関する論文(4点)を書いておられる。しかし本書を成すに当たっては、前者を第三章、後者を第一章とし、その間に第二章としで前述の処女論文を配しておられるが、第二章は飯場「制度」にかかわる40ページほどの論述であるからして、これを第一章に加えてよいとすると、第一、三章ともそれぞれ150ページ前後を占め、通例なら第一部、第二部と見てよい雄篇である。したがって二村氏の分析・所論をここで逐一まとめることはとうてい不可能であり、本書から私の学び得た、そしてまた深く感銘を受けたポイントの一端を以下与えられたスペースの範囲内で記しておきたい。
第一章でも二村氏は「偉大な敵手」の一人である丸山真男氏の、つぎのような1907年の鉱山暴動に関する理解を批判する形で、自らの所説を展開しておられる。すなわち丸山氏によれば、足尾暴動は「絶望的に原子化された労働者のけいれん的な発作」の典型と目されているけれども、他鉱山(たとえば幌内炭坑)においても暴動勃発の一ヵ月以上まえに鉱夫総代は再三にわたって賃上げ等の嘆願を繰り返しており、それが「礦長」に容れられず、総代が解雇されるに及んで暴動が起きているのであって、この場合も友子同盟という「結社」ないし連帯にもとづいて労働者は主体性をもってその闘争を進めていた、と見てよい。そして足尾の場合、(中央の)社会主義者と連絡のあった永岡鶴蔵・南助松のような渡り坑夫のリーダーがいたという点で「例外的」であるが、しかしかれらの来足自体、友子の連帯にもとづいており、賃上げ要求は全員一致を得るまで長時間の民主的討議の結果であったし、飯場頭の挑発によって争議が暴動化してしまったのちも、友子あるいは坑夫は「破壊はよい、飲食もよい、しかし盗むな」という「百姓一揆の行動規範」に即して行動しているなど、この古くて新しい友子同盟の存在をもっとも良く示してくれる「事例」なのである。一口にいうため抽象的になることを許されるなら、ここで二村氏は歴史における連続性(あるいは連続的要素)を見いだし、強調されているのであり、私はこの点に関しいわゆる我意を得たという思いを抱くものである。
さりとて、歴史はまたしばしば不連続的要素を含むものであり、足尾銅山においてそれは主として製煉部門に(暴動前の20年間に)導入された近代技術であったと見られる。二村氏は第三章、とくにIII節において、氏自身の発見になる帝国大学工科大学学生の実習報告書などによって技術進歩につき詳細に記述し、それが製煉夫の数と質を変化させ、かつその賃金を坑夫にくらべ相対的に低くしたにもかかわらず、かれらをして賃上げ闘争の第一線に立たせなかった、ということを鮮やかに示しておられる。裏返していうと、これは、開坑・採鉱部門における機械化の遅れが友子同盟を通して伝承された在来技能をもつ坑夫への(経営側の)依存度を強め、かれらの高賃金と「横断的」労働市場、ならびに友子同盟そのものの継続性をもたらしたことを、意味しているわけで、足尾銅山全体として見るなら、不連続的要素の導入が伝統的存在の継続をもたらしたという、歴史の弁証法を抉り出してみせる第三章を圧倒される思いで読んだことを記しておきたい。
二村氏は本書に「鉱山労働者の社会史」という副題を添えておられる。これはとくに第一章にふさわしい。それに対していうなら、第三章は技術史、経営史、そして(数量)経済史への寄与としても高く評価できるといえるであろう。