評者:武田 晴人


《書評》

二村 一夫 著

『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史




 本書は、1907年の足尾暴動に関し「暴動そのもの」と「その歴史的背景」とを追求した書物である。まず、全体の構成を目次から示すと、本書は、短い「はしがき」の後、次の五つの章から構成されている。
   1) 序章  暴動の舞台・足尾銅山
   2) 第1章 足尾暴動の主体的条件
   3) 第2章 飯場制度の史的分析
      a) 補論l 飯場頭の出自と労働者募集網
      b) 補論2 足尾銅山における囚人労働
   4) 第3章 足尾銅山における労働条件の史的分析
   5) 終章 総括と展望

 みられるように本論を成すのは第1章から第3章の3つの章であり、第2章の母体となる「足尾暴動の基礎過程」を1959年に発表していた著者が、20年あまりの中断の後この10年間に丹念な資料調査に基づいて、大原社会問題研究所の『研究資料月報』などに順次発表してきた関連論文を再構成したものである。著者の言葉によれば、本書の特徴は「その論争的性格と実証的方法」とにあり、「どれもがこれまで、ほとんど史実によって検証されないまま、自明のこととして広く受け容れられてきた解釈を、資料に基づいて吟味することを意図し」、しかもその論争的な形式ゆえに、若干の矛盾等をいとわず「あえて論文集として刊行することにした」ものだと言われている。

 しかし、前述の「足尾暴動の基礎過程」による出稼型論の批判、あるいは労働運動史研究の方法に関する提言など、日本の労働問題研究に重要な問題提起を行ってきた二村一夫氏ならではの骨太の構成により、論旨が極めて明快な著作である。私の未熟な読み方であえて整理すれば、第1章は労働運動史を、第2章は飯場制度を中心とする労使関係の制度的枠組みを、第3章は賃労働そのものを分析することを通して、足尾暴動の全体像を明かにしたものである。まずはこの貴重な著作の刊行を心から喜びたい。



 本書の内容を二村氏が果した実証の細部に立入って紹介し、論ずることは困難であるから各章の論争点となっている問題を中心に紹介して行くことにしよう。
 暴動の舞台となっている足尾銅山を紹介した序章に続く、第1章は「〈原子化された労働者〉説批判」と副題が付けられているように、これまで足尾暴動の「暴動」という表現から連想されるような通説的理解への批判が意図されている。通説的理解とは、足尾暴動が原子化され、「非結社形成的」であった坑夫の「自然発生的抵抗」であるというものであり、「原子化された労働者」という表現は、丸山眞男の図式を念頭におき、その例示として鉱山暴動ないしは鉱山労働者を挙げることに対して、「暴動にいたる」、または暴動における労働者の行動を具体的に追求することで批判しているのである。
 具体的には、徳川時代からの伝統をもつ坑夫のクラフトギルドともいうべき友子同盟の役割が強調される。暴動の参加者の多くはこの友子同盟に組織された人々であり、暴動に先立つ賃上げ運動で坑夫の力を結集させるうえでも友子同盟が決定的な役割を果したこと、また、暴動に至る過程で足尾では永岡鶴蔵を中心とする労働至誠会という結社形成の動きがあったこと、そしてここでも永岡が友子同盟の一員であったことが重要な意味をもったというのである。こうした労働者の組織的な動きが賃上げ要求として噴出し、友子同盟四山(通洞、本山、小滝、簀子橋)の請願がまとめられていった時、このような状況に危機感を抱いた飯場頭が、「至誠会を撲滅するために計画し、配下の坑夫をして実行させた」のが足尾暴動だ、というのが著者の見解である。

 第2章は「〈出稼型〉論に対する一批判」と副題が付され、大河内一男氏の出稼型労働力論についての批判が意図される。出稼型論が分析に一定の有効性を持つことを認めつつ、それが労働運動・労働問題の研究において当然視野にいれるべき企業の労務管理政策や国家の労働政策などを論理の枠内にとりこみえていないこと、労働者の主体的側面を無視していること、さらに労働力を労働市場の性格によって特徴づけているにすぎないことなどの問題点が指摘される。そのうえで方法的批判の有効性が具体的な分析の中で示される必要が強調され、足尾暴動を対象として分析が行われる。すでに良く知られた論文を基礎としているのでその内容を要約する必要がないかもしれないが、二村氏が足尾暴動の分析で焦点とするのは、「奴隷制的な飯場制度の支配」の評価であり、大河内氏をはじめとする「通説」に対して「飯場制度の強度な支配力」のためではなく、「飯場制度の弱化」の故に暴動が発生したことを明かにする。
 この場合とくに重視される視点は、労働力が「資本の支配する生産過程において、その生産機構の特質に応じて特有の性格を刻印される」という点であり、従って同一生産部門でも技術的な変化が労働力の性格を変えていくことであった。こうした視点から二村氏は、飯場制度が「日本の労働市場の特質、或いはそこにおける労働力の特質によって規定されたものというより、むしろこの段階における日本の鉱山技術の跛行的な発展に基づぐものであった」ことを明かにし、「抜き掘法」から「段階掘法」への採鉱技術の発展により作業請負が廃止され、飯場制度が変質していったところに暴動発生の基礎的条件を見るのである。

 第3章は、労働争議の原因とされる「賃金の低さ」について、足尾暴動は「構造的な低賃金といった理解では説明し得ない事例」の一つであると問題を提起する。坑夫の大幅な賃上げ要求が暴動の一因であることに疑問はないが、なぜ「他の職種の労働者より高い賃金を得ていた坑夫」が、しかも「他鉱山や他産業と比べても高かった」にもかかわらず、賃上げを求めたのかというのである。この問に答えるため、まず、足尾の高賃金が労働力需要の急増の結果であったことを確認したうえで、鉱夫の賃金水準の比較検討から、製錬夫賃金の大幅な低落傾向、坑夫賃金の名目的な上昇と実質的な低下などの差異が問題とされる。この差は、職種別の労働力需要の差異と、これに影響を与える技術的変化から説明される。結論のみ記せば、製錬夫の場合には、1880年代には急速な拡張のなかで生じた熟練不足が高賃金を生み出したが、西欧式の製錬技術の導入定着によって熟練の変質が生じ、OJTによる企業内養成によって供給されるようになったこと、しかも足尾の技術の先進性がその熟練をいわば足尾特有のものとしたために「社会的通用性」が低く、賃金水準を抑制することを可能にしたという。
 これに対して坑夫については、1880年代には短時間労働・高賃金であった坑夫は、1897年の鉱毒予防工事命令をきっかけとする経営政策の転換によって賃金上昇が抑制され、移動による高い賃金の獲得の可能性が残っていたために傾向的には上昇したものの、物価騰貴により実質賃金の低下を免れえなかった。つまり、実質賃金の低下が坑夫の生活水準の維持を困難にしたことが、暴動に至る条件として重視されているのである。


 以上の通り、二村氏のこの著作は、足尾暴動というミクロの舞台に注目しながら、そこから提出される問題提起は、労働運動史・労働問題研究に関連して極めて広範囲にわたり、かつその核心部分に及ぶものとなっている。資料的な制約のなかで明かにされていく事実の重みに圧倒されるが、それ以上に、提起された問題の大きさに感嘆せざるを得ない。それらをどのように受けとめ、生かしていくかが、フィールドを同じくする研究者の今後の共同の課題であり、それだけの成果を挙げた本書とその著者に最大の賛辞を惜しむべききではない。
 ただ感心していては書評の責任を果したとはいえないので、若干の疑問点なり、感想を付け加えておくこととする。本書の主旨からして細部の実証に立入ることを避けるべきであろうから、以下の感想もその骨格に係わるものに限ることにしたい。なお、本書の280ページ以下に私の『日本産銅業史』に関する二村氏の反論があるが、この点については、私の資料の紹介の仕方が不親切であったことを認めたうえで、改めて『日本産銅業史』の187〜188ぺージの注記を精読されることを二村氏に希望しておきたい。私は自分の結論に変更はないが、両者とも坑夫と製錬夫との賃金格差の存在は認めているのであり、差異はその程度の評価であるから何れにしろ大きな問題ではない。

 さて、私の疑問は、広い意味での足尾暴動の原因に関連している。二村氏は、暴動の主体的条件を友子同盟や至誠会などの組織的な動きのなかに認め、採鉱法の変化による飯場制度の支配力の低下や、経営方針の変化による賃金の抑制に求めている。しかし、第2章で採鉱法の変化により作業請負が変化したことと、第3章で製錬夫との対比でこの時期の坑夫の熟練に変化がなかったと強調されることとは、どのように関連しているのであろうか。採鉱法の変化が採鉱切羽での労働の質を変えるものではなかったことは、誤りではない。労働用具や、作業の基本的な内容に変化はなかったからであり、その限りで両立可能である。しかし、二村氏は第3章のむすびで、賃金に関連して、その実質的な低落と同様に、同職種間の格差の大きさにも注意すべきことを指摘し、賃金決定の方法、その公正さの欠如が坑夫の不満を醸成したと述べている。もしそうだとすると、第2章で強調される作業請負の変化は、工程管理・採鉱の計画化だけでなく賃金決定方法の変化を当然のことながら含む筈であるから、第3章では例えば坑夫の熟練に質的な変北がなかったとしても、賃金決定方法の変化がなかったのか、あったとすればそれは賃金水準にどのような影響を与えたか、あるいは同職種間の賃金格差のあり方にどのような変化をもたらしたかなどが、問われるべきではなかったかという気がする。
 残念ながら第3章の二村氏の分析は、製錬夫に関連した分析のスペースに比べて──この部分が極めて貴重な成果であり、技術史研究としても高い評価を受けるものであることは間違いないが──採鉱技術や坑夫に関説する部分が少ない。賃金決定方法については、第1章で説明されているが、これは暴動直後の実態に即したものでしかない。あるいは資料的な制約によるものであるかもしれないが、第2章との関連において第3章の叙述がバランスを失しているという印象を否めないし、坑夫の労働条件の分析を充実させることが、第3章の分析の意図するところをより明確にできたと考えられるからである。

 もう一つの疑問点は、坑夫の熟練に変化がなかったという前提についてである。これについては、私にもこれといった反論の手掛りはない。ただ、この点にこだわるのは、二村氏が足尾暴動に関して友子同盟の存在を強調されるからである。二村氏は飯場制度のもつ歴史的な位置、その特有の技術的条件、技術発展の跛行性による過渡的性格を主張する反面で、友子同盟については、伝統的な坑夫組織として、その組織の強さを強調しているかに見える。友子同盟は、坑夫の自発的な組織として、その熟練を一つの基盤として組織的な紐帯を維持していたと考えられていたから、その基盤が採鉱の機械化まで変化したのか、あるいは変化しなかったのかが気掛りなのである。あるいは誤解かもしれないが、二村氏は本書の終章で今後の課題として、主体的条件の要因を一層立入って検討すべきこと、社会史的な接近が必要であることとならんで、前近代の遺産を問題とすべきことを提示しているので、その際に是非解き明かしていただきたいと思う。

 以上で拙い書評を終えるが、最後に書評の執筆がおくれたことを二村氏にお詫びするとともに、単に労働問題等に関心を持つ研究者だけでなく、広くさまざまな領域に関心を持つ人々に対して、本書を直接に読まれることを是非ともお願いしたい。





たけだ・はるひと氏は、東京大学経済学部教授

東京大学出版会、1988年5月刊、366+xiiiページ、5,400円、ISBN 4-13-020084-4

初出は、『社会経済史学』第56巻第1号、1990年6月号



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