これまでのわが国において、日本の労働運動史、労使関係史等に関する実証研究は、かなりまとまった蓄積を有してきたにもかかわらず、労働史、生活史の領域となると、残念ながらまだ緒についたばかりである。しかし、国際的にみれば、かなり以前からこうしたたテーマに係わる注目すべき成果が現れてきていることは、ほぼ常識化しているといってよい。
そうした折、二村一夫氏が長年にわたる研鑽の集大成として本書を刊行されたことは、日本の労働史研究の大きな突破口になること必至であろう。二村氏の本書は、興味深い実証分析の手堅さは勿論のこと、本書全体にちりばめられた方法論的視角の鋭利さも、魅力を倍加させてくれる効果を持っている。
本書は、序章と終章の間に、実証的な3つの章が配置され、全体で350ページを超える迫力ある叙述がなされている。以下では、このなかでとくに第1章「足尾暴動の主体的条件──〈原子化された労働者〉説批判」、第2章「飯場制度の史的分析──〈出稼型〉論に対する一批判」、それに終章「総括と展望──労働史研究の現地点確認のために」を中心に検討を試み、できるだけ「問題史的分析」の深層に立ち入ってみたいと思う。
まず、第一章においては、足尾暴動(1907年)とは一体何であったのか、その背景、原因から、暴動の実態、終息に至るまでのプロセスが克明に分析される。とりわけ、従来から主張されてきた暴動における主体性欠如という見方(丸山真男)に対して、全面的な批判が加えられていく。
暴動前の状況として、大日本労働同志会足尾支部の結成(1904年)に尽力した永岡鶴蔵や、大日本労働至誠会の結成(1906年)を主導した南助松らの行動が描かれる。とくに、後者の至誠会は賃上げ等の賃金・労働条件改善を訴え、それが坑夫の自主的組織「友子同盟」にも影響を及ぼしていく。これら坑夫の上に立つのが飯場頭であり、彼らに付与されたざまざまな権限をめぐって日頃から坑夫との間で問題がくすぶりつづけていた。
暴動が起こったのは2月4日であり、このときとくに役員の不正が糾弾された。著者によれば、「〈暴徒〉の狙いは採鉱方や見張方といった下級職制を威嚇・報復すること」にあった。下級職制に対しては、賃金査定等をめぐって不満がうっせきしていたためである。暴動は3日にわたり、所長への攻撃もあったが、最後は出兵要請により鎮圧された。結果は、全員解雇、選別再雇用である。
では、なぜ飯場頭でなくて役員への攻撃となったのか。この暴動の原因について、著者は「飯場頭主謀説」をとる。まさに「至誠会を撲滅するために計画し、配下の坑夫をして実行させた」わけだ。飯場頭の権限を削減(後述)しようとする「至誠会こそ諸悪の原因」であった。飯場頭の煽動による暴動であり、そこには鉱山労働をめぐる複雑な上下関係が存在していたとする著者の主張は、次のように主体性欠如を否定する。
つまり、ここで著者は友子同盟の動きに注目する。なぜなら、暴動に先立ち、組織的な体制を整えたうえで手続きに沿った形での交渉を企図していたからである。そうした事実のもつ意味(主体性)を過小評価してはならぬとする著者の視点には、歴史家としての確かな眼がある。
次に、第2章で論じられるのは、飯場制度の史的分析を通しての大河内理論批判である。それは、大河内氏が同制度を〈奴隷制的飯場制度の強度な支配〉と理解する、その視角への根本的疑義をなす。
飯場制度において注目すべきは、飯場頭である。彼らは、労働力確保、請負仕事の割り当て、賃金管理等を通じて坑夫に対する密接な係わりをもった。とはいえ、主要生産手段は鉱業主の所有であり、「本質的には飯場頭は資本家と労働者の間に介在する中間搾取者」にすぎなかった。著者は、飯場制度について「産業資本に包摂された請負制度」といい、「〈労務管理〉についてはほぼ独自の権限をもち、生産過程においても一定の自立性を有するとはいえ、基本的には資本に従属したもの」とみる。では、なぜ鉱山で飯場制度が成立するのか。それは、鉱山に特有な生産過程のためである(詳細は第3章)。
ところが、近代技術の導入とともに旧来の経験等は役立たなくなり、飯場制度の機能は変化していった。つまり、作業請負の廃止は、飯場頭の権限を大幅に削減した。それは、飯場頭にとって大きな危機であり、坑夫の反感をかう「寄生的性格」を強める一因になった。飯場頭と坑夫の対立の一根拠は、ここにある。こうして、著者は鉱山争議の社会的基盤を「飯場制度の変質=弱化」に求めるが、それが大河内氏的把握(飯場頭の強度の支配力)を批判するものであることは、いうまでもない。
なお、第三章では、「足尾銅山における労働条件の史的分析」として、鉱山の技術進歩、それに伴う労働力構成の変化等、非常に緻密な議論が展開されており、1・2章の分析をさらに説得的にする役目を果たしている。
最後に、終章。ここで、本書を貫く基本視角が論じられるとともに、今日までの研究史に対する痛烈な批判が試みられる。足尾暴動分析において得られた主要な点として、たとえば、賃上げ要求者がむしろ高給の坑夫であったこと、それゆえ切り下げへの不安が運動へと駆りたてたこと、また、坑夫の間に〈差別〉に対する怒りが強く、その意味では「端的に言って、足尾暴動とは、坑夫の職員に対する報復・制裁行動」であったこと等、があげられる。とくに後者については、暴動が飯場頭の煽動であったにせよ、実際に起こった暴動の行為の本質面を、論理的に見事に照射しているといえよう。
また、徳川時代以来の伝統をもつ友子同盟の機能に注意を喚起し、「前近代社会の遺産」が鉱山労働者問題を考える場含、極めて大きな意味をもつと指摘する。著者によれば、「工業化以前の社会における労働慣行や労働組織、民衆の価値観などが、工業化後の組織や運動に及ぼした影響の検討などほとんど問題にされたことがない」のであり、それには十分な反省の必要があるだろう。かかる視点は、日本の近代化過程のみならず、現代日本の労働者のビヘイビアを考えるうえでも貴重な示唆になるという著者の主張には、ほぼ同感である。
近世的なものが、いかに近代化に係わりをもってくるのか。この問題の重要性を、本書は鉱山労働という一定の視角から描き出すことに成功している数少ない文献のひとつである。その意味で、日本の労働史研究は、まだ緒についたばかりなのである。
以上、3つの章に限定する形でコメントを加えてきたが、本書が日本労働史の本格的な研究成果である点は高く評価すべきであろう。ただ、欲をいえば、鉱山労働者の能力主義と連帯主義との生産過程におけるせめぎ合い、また生産過程のみならず生活過程も含めた鉱山労働者像の描写を加えて経営、労働各レベルでの鉱毒認識等にもう少し論及がほしかったことを、気付いた点として書き留めておきたい。なお、このように一冊にまとめあげるのがもう少し早い時期であったならば(ちなみに、2章の原型論文は1959年)、方法論的に混迷している学界へのインパクトも、はるかに大きなものがあったように思えてならないのは、評者のみだろうか。