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評者:塩田 庄兵衛

《書評》

二村 一夫 著

『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史

 足尾銅山には何度か行った。戦後早くから「足尾鉱毒問題」に関心を持っていたので、その発生源である銅山の現地を見たかったことや、東大社会科学研究所の労働組合調査への参加や、さらに組合が編集した『足尾銅山労働運動史』(1958年刊)の作業に協力することなどが目的であった。本書の著者とは、たしか法政大学助手時代に同行したことがある。宿舎で、彼が提起した大河内一男氏の「出稼型」論にたいする批判をめぐって議論した記憶がある。やがて彼は1959年に、本書の第二章のもとになった論文「足尾暴動の基礎過程──『出稼型』論に対する一批判」を発表し、学界に深い感銘をあたえた。

 さて、このたびの彼の大著『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史』が刊行された直後に、私は「赤旗」紙の書評欄に短い紹介と感想を書いた(1988年7月4日号)。
また彼の友人たちが催した合評会(7月9日)にも出席して、与えられた短時間の意見を述べて、著者の簡単な応答を受けた。
 その後、昨年(1988年)秋・足尾に詳しい村上安正氏(足尾に育ち、26年間、銅山の職員として働き、二村氏も私も長く交際をつづけてきた友人)の案内で久しぶりに、現地に一泊旅行を試みた。「足尾暴動」がおこった1907年当時、3万5000の人口を持ったと伝えられる鉱山の町は、人口5000そこそこに衰退して、荒涼たる風情であった。私は「銅山観光──全長700米の坑内。400年の歴史がそのまま生きている博物館」と謳う町営の施設を見物して往時を偲んだ(さきに私は北海道夕張炭鉱や佐渡金山でのこの種の観光施設を見物して、日本の産業構造の変転の一端を目のあたりにした)。
 このような若干の経験をはさんで、もう一度本書を読み返してみたが、鉱業史、鉱山労働運動史の専門研究者でない私の感想に変化はおこらなかった。そこでこの小稿では、さきの「赤旗」紙の文章をそのまま再録させてもらったうえで、800字の制限内では述べられなかったいくつかの論点について、やはり本稿のあたえられた紙数の制限のなかで、順を追ってコメントを加えるという形で責を塞ぎたい(したがって本書の目次に即した内容紹介は省略させていただく)。

綿密な調査で具体的に
 軍隊まで出動した1907(明治40)年の足尾銅山暴動を分析した論文で学界の注目を浴びた著者が、それ以来四半世紀の歳月をかけてそのテーマを追いつづけ、このたびの大著を仕上げたねばり強さに敬服する。
 労働争議が、資本と労働の矛盾・対立関係を集中的に表現するという視点は、かねてから私なども持っていたつもりだが、著者は、これを足尾暴動という一つの事例を徹底して追究することによって、これまで立ちおくれていた労働運動史研究に、科学的方法を提供しようと志したわけである。そのために、賃金を中心とする労働条件、飯場制度、鉱業技術の発達、経営方針の変化、労働者の自主的組織運動などの諸要因を綿密に調査・分析して、整理の行き届いた、すこぶる具体性をもった叙述によって、立体的構図を描きだすことをはかっている。
 おそらく、それぞれの個別分野での、開拓者的な仕事として尊重されることだろう。例えば私は、渡良瀬川の鉱毒問題の原因について教えられた。
 著者はみずから本書の特徴を、「その論争的性格と実証的方法である」と宣言している。そして「偉大な敵手」として、大河内一男氏の「出稼ぎ型労働力」論、丸山真男氏の「原子化された労働者」説、山田盛太郎氏の「日本資本主義分析」をえらび出している。しかし著者の批判の刃が、「敵手」のどこまで届いたかについては、別の場所で吟味したい。
 また、鉱山労働者の友子同盟の重要性について、くりかえし強調されているが、その機会に、片山潜が「鉱夫のギルド」を重視していた事実(1918年「日本にける労働運動」)に一度も言及されていないのはなぜだろうか、と首をかしげた。
 それはともかく、おそらく部分が全体を宿すという確信に立って精魂を傾けたこの学術的労作は、労働運動史研究への貴重な寄与となるものと歓迎する。

(塩田庄兵衝・労働運動史研究者)(赤旗7月4日号)

 (1)「労働争議が、資本と労働の矛盾・対立関係を集中的に表現するという視点は、かねてから私なども持っていたつもりだが……」と述べた点について──。
 藤田若雄・塩田庄兵衛編『戦後日本の労働争議』(1963年4月、御茶の水書房刊)と題する調査報告書に、私は故藤田氏と連名で次のように書いたことがある。

 「労働争議はもちろん、労・資双方にとっての非常事態の発生として当事者には意識されるが、そのときにこそ、平常時の労資関係がもっていた問題点が、したがって労働争議が内部にはらんでいた問題点が、かえって集中的に表面化する。そしてさらに、争議という戦闘行為がうみ出したあたらしい事態の展開によって、労資関係は、したがって労働運動は、あたらしい次の段階にすすんでゆく。この意味で労働争議調査は、労資関係と労働運動の特徴の解明にとって、もっとも有力な手がかりとなるものといえる、という見地に立って、われわれは戦後日本の労働争議を観察しようとした。」(同書・はしがき)

 このような問題意識にもとづいて私自身も参加した共同作業は、戦後かなり早い時期から開始されていたから、あるいは研究者の常識というのかも知れない。そしてさらにいえば、一般的にいって歴史とは、そのような理法にしたがって動いているものであるといってよいかも知れない。しかし著者の功績は、この立場を徹底的に具体的につらぬこうとするねばり強さを発揮して、一つのモデルをつくりあげた点にあるのだろうと考える。
 (2) 著者がみずから本書の特徴を、「その論争的性格と実証的方法である」と宣言している点について──。
 「実証的方法」を自負している点については異存はない。しかし、「論争的性格」を自認し、日本の社会科学界の三人の巨匠を「偉大な敵手」としてえらび出し、〈闘争宣言〉を発して挑んでいる点についてはどうだろう。
 私見によれば、大河内一男氏の「出稼ぎ型労働力」論を精力的に批判した成果は承認してよいと思う。このことは、著者の本書での業績をも含めて、学界ではいちおうの合意が成立している論点ではないだろうか。

 次に丸山真男氏の「原子化された労働者」説をとりあげて、「丸山氏の労働者像は主体性のなさでより徹底している」ときびしく批判している点は説得的だろうか。暴動=自然発生的抵抗説は古くから流布しており、著者はそれを俗説として論破することを目ざそうとしたのだろうが、なぜ丸山真男氏か、という問題が残るように私は思う。丸山政治学の体系にかかわる基本問題であるならば、やはりそのことをここで論じてもらいたかった。偶然標的にえらんだまでだ、という印象をあたえるようではまずいと思う。
 さらに、私を含めて多数の社会科学者が強い影響を受けてきた、いわば日本の学界のひろい部分を支配してきた山田盛太郎氏の『日本資本主義分析』にたいして、何をどのように批判しているのかを、多数の読者に明示してもらいたいと希望する。山田氏の『分析』では、囚人労働や納屋制度などの〈遅れたもの〉の役割を過大評価しているという批判は新しいものではない。しかし山田氏の本領は、日本資本主義を全構造的にとらえようとした方法にあることが基本点だと私は理解している。著者は「どこにも明示していないので、念のためにつけ加えれば……つねに意識していたのは、それぞれの理論の背後に強い影響力をもって存在していた『日本資本主義分析』であった」と「はじめに」で挨拶されるだけでは読者にたいして不親切であるように私は思う。

 私はさきの短評で、「著者の批判の刃が、『敵手』のどこまで届いたかについては、別の場所で吟味したい」と書いたが、実は、「吟味」のための材料不足を感じると告白するならば、私はあきめくらのそしりを甘受しなければならないだろうか。
 (3) 片山潜になぜ言及しないのかという点について──。
 友子同盟について詳説している著者が、「鉱夫のギルド」を重視した片山潜の指摘について知らぬはずはないが、やはり省略しないで紹介した方が公正だったろうと私は考える。それは英文で書かれた Labour Movement in Japan(1918)のなかに記され、岩波文庫の『日本の労働運動』に日本語訳が収められている。
 そこで片山が述べていることは、著者が「友子同盟」についてくりかえし強調していることと、精粗についての差はあっても、趣旨において異なっていないように私には思われるが、さらに次のような記述もある。

 「わが国の鉱夫は、鉱山会社の建てたバラックの長屋に押し合って住んでいる。彼らは鉱夫だけの小さな部落をつくっており、互いが知り合い、そして坑内で働いている時には、彼らの好きなどんな問題についても、自由に話合うことができた。」(岩波文庫版、337頁)

 ここまでくると私の頭には、松田解子さんの小説『おりん口伝』が描き出した、鉱夫の労働と生活とのリアルな姿が浮かんでくる。関連して夏目漱石、山本有三、宮嶋資夫、新井紀一、木下順二などなどの、足尾銅山をはじめとして鉱山に目を向けた小説や戯曲を思い出す。
 改めていうまでもないほどのことだが、私は著者の長年の研究がこのような形で立派に実を結んだことを祝福するとともに、わが国の労働運動史研究が、この国際的視野をみがいてきた著者によって大きな財産を一つ得たことをよろこぶものである。



しおた・しょうべい氏は、東京都立大学名誉教授、立命館大学名誉教授。
本稿執筆当時は、流通経済大学経済学部教授

東京大学出版会、1988年5月刊、366+xiiiページ、5,400円、ISBN 4-13-020084-4
初出は、『社会政策学会年報』第33集、1989年5月




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