二村一夫《随筆集》  『さまざまな出会い』


年表大国・日本

二村 一夫

 日本は〈年表大国〉である。これほど大量の年表が出版されている国は少ない。たんに数が多いだけではなく、内容形式とも多種多様である。綜合年表はもちろん、経済史、政治史、思想史、文化史、さらにはわれわれが編纂した『社会労働運動大年表』にいたるまで、各種の専門年表が出されている。
 もちろん世界中の年表を調べた訳ではないから確かなことはいえないが、外国の年表は、重要事項について正確な日時を調べるための事典といった色彩が強い。日本の年表のように、政治・経済・社会・文化・国際など分野別に項目を並べ、その時代を鳥瞰できるように構成したものは少ない。典拠文献付き、解説付きなどすぐれた工夫がなされ、形式的にも内容的にも充実しているのも、日本の年表の特色といってよい。  複数の分野を横断的に参照できる年表が盛んな理由のひとつは、狭い枠内に大量の情報を盛り込みうる日本語の表記方法にあるに違いない。とくに漢字は、僅かな数の文字で豊かな内容を表現できる。あまり良い例ではないが、日独伊英米仏などの国名をカタカナやアルファベットで表記しようとすると、何倍ものスペースが必要となる。さらに、漢字だけでなく、カタカナ・ひらがな・アルファベットなど、多様な文字を使いわけ出来ることが、短い文を分かり易くするのに役立っている。  だが、日本が〈年表大国〉となったのは、こうした技術的な理由だけではあるまい。年表が数多く出るようになったのは戦後のこと、とくに1960年代以降であり、それも近代史を対象とするものが多いことから分かるように、日本人の同時代史に対する強い関心がその背景にある。この半世紀、日本はたえず変化を続け、しかも何回かの大激変を経験した。人の一生より短い期間に、これほど大きな政治的、経済的、社会的、さらには思想的な変化を経験した例は、人類の歴史でも、絶後とは言えないだろうが、空前のことではないか。
 こうした時代を生きてきたわれわれは、社会がどんなに大きく変化するものか、また人間もどれほど変わりうるものかを実感させられてきた。多くの人が、こうした変化に富んだ歴史を、自分の生涯と重ね合わせて考えようとしており、そうした志向が年表大国を支えているように感じられる。年表をひもとくと、いやでも自分が体験した出来事に目がゆき、同時代に見聞きしたことがらを発見し、さらにその時には自分が知らなかった出来事が、自分の生涯に影響を及ぼしていたかに気づかされる。どんなに優れた歴史家が描く歴史像であろうと、自分の人生をそこに重ね合わせることは難しい。それに比べ、年表を眺めることには、自分が生きてきた時代を再発見し、自分を再発見する〈歴史の旅〉の楽しさがある。
 今回、ほぼ10年ぶりに『新版・社会労働運動大年表』を編集して痛感したのは、日本の体験と共通の変化が世界規模で進行していることであった。ことによると、アジアや東欧諸国の変化は、戦後の日本より速いかも知れない。もうひとつ気づかされたのは、そうした世界の変化が、日本の変化を加速させている事実であった。たとえば、戦後政治で長年の宿敵ともいうべきライバル関係にあった自民・社会両党が連立政権を組むといった事態は、東欧革命、ソ連解体と無関係に起こったわけではない。1956年のハンガリー事件は、多くの日本人にとっては遠い国の出来事に過ぎなかったが、ベルリンの壁の崩壊は、いまなお日本に大きな影響を及ぼし続けている。その意味でこれからの年表は、もっと国際欄の比重を大きくする必要がある、と感じたことであった。




初出は『ウイークリー 出版情報』655号、1995年6月1日。97年9月加筆。



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Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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