『二村一夫著作集』バナー、トップページ総目次に戻る

食 の 自 分 史

(33) お葉漬け

おはづけ

 食の自分史で落とすわけにはいかない忘れ難い食べ物は、「お葉漬け」である。「おはづけ」では分からない方もいらっしゃるだろうが、信州の冬の味覚の代表「野沢菜漬け」と言えばご存知の方も多いだろう。野沢温泉に来たスキー客らがこの名を全国に広めたに違いない。野沢以外の長野県内各地では、おそらく今でも「お葉づけ」と呼んでいるのではなかろうか。
  「お葉漬け」の材料となる「おな=御菜」は、今では野沢菜が圧倒的に優勢だが、かつては松本の稻核(いねこき)菜、伊那の葉広菜をはじめ、木曽菜、源助菜など、地域によって独特の菜があった。いずれも葉の大きい蕪(かぶ)菜で、味に大きな違いはない。蕪といっても根は小さく、ここは切り落とし、食べない。
  霜が降りはじめた晩秋、1、2回は霜をあびた「お菜」をよく洗って1日干し、大きな漬け樽に入れ、その上から塩をふり、お菜を置いては塩をふる、といった作業を繰り返して何層にも重ね、内蓋をして、その上に大きな重石を載せて漬け込んだ。蓋の上まで水が揚がってきたら重石を軽くし、10日間ほど漬け込むと食べ頃になった。一家で何樽も漬け、冬の間は毎食のおかずとして、さらには「お茶うけ」にも供されていた。晩秋から早春にかけて、どこの家でも、「まあ一杯」とお茶が出されると同時に、お葉漬けも振る舞われた。今なら鉢や皿に盛って出すのが普通だろうが、その頃は、いきなり手のひらに、「さあどうぞ」と載せられる場合も少なくなかった。
  味は家によって微妙な違いがあった。唐辛子を多めに使う家、昆布や煮干しの出汁を「差し水」として加える家、あるいは柿の皮を加えて甘みを出すなど、それぞれの家の隠し味があった。家によっては食べる直前に《味の素》を振りかけてくれた。近年は「野沢菜漬けの素」なるものが売られ、これを塩に混ぜて使う家が増えているらしい。グルタミン酸、コハク酸、クエン酸、甘草などなど、いろいろな旨味成分・味成分がこの「漬け物の素」には含まれているようだ。

 こうした自家製の「お葉漬け」の特色は、何より時間の経過によって味や色が少しずつ変化して行くことだった。どこの家でも、納屋や一日中日が当たらない北側の軒下など、寒い場所に漬け樽を置き、寒中の朝などは、蓋の上にでた汁に氷が張っているのを割って取り出していた。しかし、日数が経つとお菜は次第に黄色みを帯び、最後にはベッコウ色、つまりは黄褐色になった。暖かい日がふえると発酵がすすみ、酸味も増してくる。古漬け 緑色の鮮やかな新しいお葉漬けもうまいが、日を重ねるにしたがい、緑色が薄くなり黄ばみを増したお葉漬けも悪くはない。大事なことは、漬け樽から出してすぐ食べることだ。時間をおくと、だんだん味が落ち、臭いも悪くなる。出したてを食べるのがベストなのは、ぬか漬けと同じだ。
 暖かい季節まで残って、酸っぱくなり過ぎたお葉漬けは、さっと水洗いして、細かく刻んでカツ節をまぶし醤油をかけて食べたりした。また、こうした古漬けは、油で炒めると、また別の味になり、うまかった。

 お葉漬けに使う野沢菜系の「お菜」は茎が柔らかいのが特徴である。茎はサクサクと歯ごたえがよいので、一般に葉っぱよりは、茎の部分が好まれる。「野沢菜」とともに「三大菜漬け」として知られる「広島菜」は茎が硬いので、漬け物としては葉の部分が好まれるようだ。我がつれあいは岡山出身で、広島菜しか食べたことがなかったので、自分では遠慮したつもりで、お葉漬けで一番美味い茎の部分ばかり先に食べ、周囲をちょっと呆れさせた。

 冷蔵庫がない時代、冬になると新鮮な野菜が手に入りにくい地域では、どこでも大量の野菜の漬け物を作っていた。沢庵漬けやべったら漬けなど大根の漬け物、白菜漬け、野沢菜や高菜、広島菜といった菜漬け、それに〈京の漬け物〉各種 ─ しば漬け、すぐき、千枚漬け ─ など、その土地土地にあった漬け物が生まれ、育っていた。その昔、庶民の食事は「一汁一菜」だったとよく言われる。「一汁一菜」とは、味噌汁とおかず一品の食事をさしているが、実際には、これとは別に漬け物がついた。漬け物は、とりたてて「おかず」というものではなく、いわばご飯の「つきもの」、それだけ日本の食卓には欠かせないものだったのである。

 ただ、どの漬け物も野菜の保存を主目的にしていたから大量の塩を使い、塩分濃度は高かった。ところが、1970年代に入って、塩分の撮りすぎが高血圧の主原因であることが広く知られるようになると、日本の漬け物は急激に変化した。塩分濃度を下げて、味を保つ工夫が重ねられたのである。いま一般に売られている漬け物は、梅干しもふくめ、昔の漬け物とはまったく別の〈新つけもの〉となってしまったのだそうだ。昔と変わらぬ伝統技法で作られている漬け物は、なんと京都のスグキだけだという〔前田安彦『新つけもの考』岩波新書〕。

 昨今の「野沢菜漬け」は、人工着色料を使っているのではないかと疑われるほど、いつでも鮮やかな濃い緑色をしている。それもそのはずで、季節によって原料の生産地を変え、一年中採れたてのお菜を漬けているのだ。10、11月は長野県内で、12、1月は徳島県、2月は静岡県、3〜5月は山梨・長野の両県で寒冷紗を使って日照を弱める「トンネル栽培」、6月は茨城県、7〜9月は八ヶ岳や戸隠の中腹の高冷地で栽培するといった方式で、年間を通じて新鮮なお菜を確保しているという。
 漬け方も、今では工場内の大きな漬け込み用のタンクに入れ、塩分5%の冷却水を循環させて2日間ほど塩漬けし、これをいったん水洗いして小袋に入れた上で調味液を加え、味をつけているのだそうだ。年間を通して同じ色、同じ味が保つ工夫が重ねられているのである。調味液の塩分は2%程度で、最初の塩漬けに使われる食塩水の塩分濃度の2分の1以下に押さえられている。まさに〈新つけもの〉の代表ともいうべき製品だ。
  しかし、こうした工場産の色鮮やかな「野沢菜漬け」しか手に入らないとなると、かえって時間の進行とともに少しずつ色と味が変わった、かつての「お葉漬け」が懐かしくなる。

 なお、小学唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」の冒頭にある、《菜の花畑に入り日薄れ》の「菜の花」は、野沢菜の花 ─ 種子をとるための花 ─ だったに違いない。作詞者の高野辰之は、野沢温泉にほど近い豊田村に生まれ、野沢温泉村で没している。郷里の小学校教員をへて上京し、小学校唱歌教科書編纂委員となり、作曲家岡野貞一とのコンビで「故郷」や「春が来た」「春の小川」などの名曲を作詞した。ちなみに、野沢温泉には、高野辰之記念 おぼろ月夜の館がある。
〔2016.2.7〕




雑文集           『食の自分史』目次        (32) くりたけ

wallpaper design ©
Little House

written and edited by Nimura, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
e-mail:
nk@oisr.org