二村 一夫
日本労働組合評議会史関係文献目録および解説
日本労働組合評議会に関する研究は、後掲の目録に見るように決して多いとは言えない。しかし、右派、中間派、自由連合系などの組合に関する研究にくらべれば、量的にも質的にもかなり進んでいることもまた事実である。なかでも谷口善太郎『日本労働組合評議会史』は、評議会が解散させられてから僅かに2年後、今から35年も前に執筆されたものでありながら、評議会の全体像を見事に描いた労作である。単に評議会史研究としてだけでなく、日本労働運動史研究の最高の業績のひとつであると言っても過言ではない。
しかしこの谷口『評議会史』も、今日の時点で見た時いくつかの欠陥をもっていることもまた否定できない。これまで指摘されている点をあげれば、評議会を背後で指導していた日本共産党との関係が充分にかかれていないこと(山辺健太郎の谷口『評議会史』への解説)、赤色労働組合主義の無条件的支持の観点にたっていること(小山弘健『日本労働運動社会運動研究史)』などである。信夫清三郎『大正デモクラシー史』、渡部徹『反体制運動史』は、どちらも、こうした批判をふまえた研究として注目される。
ところで、以上あげた研究も含めて、これ迄の運動史研究全体に共通する欠陥のひとつに、分析、叙述があまりにも「方針書」と「決議」中心であったことが指摘されている(高桑末秀『労働運動史研究』第21号)。私はこの指摘はたいへん重要であると考える。もちろん方針書や決議をそれ自体として研究することも可能であり、必要であろう。しかし労働組合運動史研究としては、それらの方針書や決議が下部の活動家や一般組合員にどのようにうけとめられ、どのように実践されたか(あるいは実践されなかったか)ということの検討を怠るわけにはいかない。中央の方針がそのまま組織全体で一様に具体化されるとは考えられないから。地方による条件の相違、産業別の違い、組合の基盤であった工場の特殊性などによって、同一の方針書が全く異った意味をもち得る。こうした点から見れば、評議会史の研究にはまだ大きな空白が残されている。京都地方労働運動史、兵庫県労働運動史をはじめとする最近の地方別労働運動史研究の進展は、かなりの程度こうした欠陥をうめてくれた。しかし、運動の中心地であった京浜、大阪については、神田文人「共同印刷争議」の他には全く研究がない。産業別、あるいは工場を単位とした研究にいたっては、まだほとんど手がつけられていない状態である。どの工場にどれだけの組合員がおり、どのような活動をしていたかということが明らかにされたとき、おそらくこれ迄の方針書や決議に対する評価は大きく変らざるを得ないのではないだろうか。
この点を一、二の例について見てみよう。谷口『評議会史』の読者が強く印象づけられるのは、評議会の絶えざる発展である。創立以来、山川イズム、福本イズム等の誤りを克服し、遂に結社禁止命令の出る直前に至って評議会は「初めて真に革命的労働組合としての機能と職分とを全幅的に発揮しうる条件をえたものであった」。この評価は方針書を中心に見る限り恐らく正当なものであろう。ところで労働組合の発展をはかるもうひとつのモノサシである組織人員の増減について見た時、評議会は谷口の描くものとはかなり異った姿を現わすように思われる。たとえば評議会の中心的な組合であった関東金属労働組合や大阪金属労働者組合の場合、三・一五の弾圧以前に石川島造船所、藤永田造船所などの主力支部は壊滅し、組織人員は急減している(大原社会問題研究所「労働組合調査」など)。その他の組合について検討したところでも評議会の組織人員は1926年前半を境にかなり急速に減少していたものと推定される。
もうひとつ、中央の指導者の方針が必ずしも下部に徹底しなかった例をあげておこう。渡辺政之輔の論文集『左翼労働組合の組織と政策』に「大崎支部聯合会に関する件」と題する論稿が収められている。これは、支部聯合会という組織形態が産業別組合への発展を阻害するものであることを鋭く指摘し「評議会創立の際の組織原則となったもの」と言われている。ところが、現実には評議会においても支部聯合会という組織形態が存在し続けていた。大阪造機船労働組合の鯰江支部聯合会、京都電機工組合の吉祥院支部聯合会などがそれである。こうした事実を抜きにして、渡辺政之輔の論文だけで評議会の組織方針を論議することは正当ではないであろう。
さて次に資料についてみよう。評議会史の資料として最も基本的なものは、いう迄もなく機関紙『労働新聞』である。覆刻の企てがあると聞いているが、まだ実現していない。評議会の公式の方針、主張、争議をはじめとした闘争の報告だけでなく、毎号「各地組合情勢」欄に大きなスペースがさかれており、各地方評議会や傘下の各組合の動きが各種委員会記録を中心に掲載されており、組織の実態を知る上でも重要である。『無産者新聞』『マルクス主義』は評議会自体のものではないが、評議会を指導していた日本共産党の合法機関紙誌であり、評議会史研究に欠かすことのできないものである。
『労働者』については、現代史資料『社会主義運動(二)』の資料解説六を参照していただきたい。『工労』は、評議会の主力組合の一つであった石川島造船所の造機船工労組合(よく造機船工労働組合と記されているが、これは誤り)の機関紙である。これは工労組合が総同盟刷新運動に参加する以前のものであるが、編集には徳田球一の秘書であった秋山(田中)長三郎氏が当り、工労組合を評議会に獲得する上に大きな役割を果したものである。『時代』は、はじめ博文館印刷所の従業員組合、HP倶楽部の機関誌であったが、HP倶楽部の後身である出版労働組合の評議会加盟とともに、評議会関東出版労働組合の機関誌となった。これらの機関紙誌類は、今日ではまだ一般には容易に利用し得ないが、それを或る程度補うものとして、これらの機関紙誌に発表された主要な論文をまとめた論文集がある。山川均、福本和夫の著作は後掲目録の他にもいくつかあるが、評議会と直接関係のあるものに限った。小泉保太郎(三田村四郎)、渡辺政之輔、鍋山貞親の論文集は、いずれも「評議会の輝ける指導者」が『労働新聞』『マルクス主義』『労働者』などに発表した論文・方針書・時評などを収めている。とくに渡辺の『左翼労働組合の組織と政策』は、他で発表されていない重要な文書が収録されている点でも貴重である。ただ注意する必要があるのは、これらの論文集はもとの論文とくらべて、言葉づかいその他でかなりの加筆訂正が加えられている場合があることである。なかでも小泉『左翼労働組合運動』は「福本の思想の影響を受けていた」当時の論文については「大訂正を加えて」いる点、注意を要する。
法政大学大原社会問題研究所編『日本労働組合評議会資料』は、同研究所が戦前から蒐集した各種大会議案、中央委員会などの委員会報告をはじめ、声明書、争議ビラ、争議報告書などの一次資料を中心に旧協調会所蔵の官側の記録を加えて覆刻したものである。原則として年次順に編まれている。まだ完結していないので1927年4月以前の資料しか見ることが出来ないが、創立大会速記録〔その2〕、総同盟第一次分裂問題資料〔その四、五〕をはじめ、評議会史研究の根本資料が集められている。〔その一〕〔その二〕以外はまだ入手が容易である。
ところで、以上あげた資料はいずれも「オモテムキ」の文書であり、これだけで運動の実態を把握することにはかなりの困難がある。これは労働運動史一般に問題となるところであるが、とくに評議会の場合には、その背後で運動の実際の指導権を握っていた共産党やレフトがあり、しかもそれらの組織が秘密組織として当然のことながらそれ自体の資料を容易にあとに残さないため、実態把握は一層困難である。これは、ある程度は回想記や関係者からの聞きとりによって補うことはできるが、それにも限度がある。この点を解決するには官側の各種の文書、各種の通信類、他の系統の組合、政党の機関紙誌の利用が考えられなければならない。通信類は、労働運動の内情などに関する情報を、週刊あるいは日刊で会社方面などに流していたもので、旧労働記者、労働運動からの脱落者などによって発行されていた場合が多い(法政大学大原社会問題研究所資料室報第65号には、通信類の一端をしめす目録がある)。一般に、情報の出所は不明確であり、資料としての信頼度は高いものではないが、他の資料とあわせて利用することは充分可能であると思われる。通信ではないが労働問題綜合雑誌ともいうべき『進め』なども同種の資料として役立てうる。他団体の機関紙誌、たとえば総同盟の『労働』や『労働者新聞』あるいはアナ系の『労働運動』などは、反評議会の立場であるだけに、評議会機関紙などにはあらわれない事実を伝えている場合がある。しかし何と言っても重要なのは、官側の記録、殊に労働争議にともなっておこった刑事事件や、三・一五、四・一六などの治安維持法違反事件の刑事記録である。これ迄、こうした資料は機関紙誌以上に利用が困難であったが、この現代史資料『社会主義運動』によって次々と重要な記録が覆刻されつつあることはたいへん喜ばしい。ところで一口に刑事記録と言っても、その内容はきわめて多岐にわたっている。すなわち捜査報告書、現場見分書、警察官による被疑者、あるいは証人に対する聴取書、検事の聴取書(被疑者、証人)、予審請求書、予審訊問調書(被告人・証人)、検証調書、鑑定書、上申書、予審終結決定意見書、予審終結決定書、公判調書、公判始末書、判決書、証拠書類写等々と言った如くである。この中で、一般的に言って、資料としての利用価値が高いのは被告人に対する予審訊問調書であろう。本巻解説にもある様に、本来「予審の目的は、被告事件を公判に付すべきや否やを決する為、其の必要なる事項を取調ぶる」にありながら、「今日の実際を観るに、予審に於て一切の訴訟材料を蒐集し、公判に於ては予審の取調を基礎として唯々其の復習に専念し、予審調書を以て唯一の資料と為し、之に依りて判決を為す」(小斉甚治郎『刑事訴訟法概論』1942年)状態であった。それだけに、予審では被告人一人一人について、個別に詳細な訊問がなされることが多く、予審訊問調書の資料的価値を高くしている。もちろん資料の性格からして、意識的、無意識的になされた虚偽の陳述が含まれていることは避けられない。したがって、これを資料として使用するにあたっては、一つ一つの事項について各人の供述をつき合わせ、他の資料と照合し、あるいは関係者からの聴きとりによって補正するなどの作業が必要であろう。それと同時に、聴取書、予審訊問調書その他の刑事記録についての史料学的研究が望まれる。
本巻所収の各資料は、刑事記録の資料としての性格を知る上でも、欠くことのできないものとなるだろう。
【研究文献】
磯村秀次(谷口善太郎) 「日本労働組合評議会史」、『社会問題研究』第100号−第105号 1930
野田律太 『評議会闘争史』 1931 中央公論社
谷口善太郎(磯村秀次) 『日本労働組合評議会史』上下 1932 京都共生閣 1948 高桐書院 1953.54 青木文庫
塩田庄兵衛 総同盟の分裂『学習の友』第71号 1959『日本労働運動の歴史』所収 1960 三一新書
神田文人 共同印刷争議『学習の友』第72号 1959『日本労働運動の歴史』所収 1960 三一新書
信夫清三郎 『大正デモクラシー史』 第3巻 1959 日本評論新社
高桑末秀「評議会と労農党の活動」、『京都地方労働運動史』所収、1959、京都地方労働運動史編纂会
中瀬寿一「第二次護憲運動および無産階級運動」、『講座現代反対制運動史T』所収、1960、 青木書店
渡部徹「反対制運動の組織化」、『講座 現代反対制運動史 U』所収、1960、青木書店
大山吉雄「労働運動の発展と無産政党の成立」『兵庫県労働運動史』所収 1961 兵庫県商工労働部労政課
木元進一郎「評議会と自主的工場委員会運動」、『経営論集』第20号、1961、『労働組合の〈経営参加〉』所収 1964 森山書店
村山重忠「日本労働総同盟に加盟した六組合について」、『社会労働研究』第14号(上)、 1961
田沼肇「米騒動・社会運動の発展」、『岩波講座 日本歴史 第19巻 現代2』所収、1963、岩波書店
渡部徹「無産階級運動」『岩波講座 日本歴史 第20巻 現代3』所収、1963、岩波書店
金原左門「日本楽器争議における評議会のリーダーシップ」、『法学新報』第70巻第10号、1963
大河内一男・渡部徹監修 『総同盟五十年史』 第1巻 1964 総同盟五十年史刊行委員会
松川史郎 「共産党の指導の下に闘われた日本楽器の大ストライキ」 『月刊学習』第42号 1964
秋山長三郎 「評議会運動史の問題点」『労働運動史研究』第38号 1965
高橋彦博「評議会における〈政党と組合〉」、『労働運動史研究』第38号、1965
大河内一男・松尾洋『日本労働組合物語・大正』、1965、筑摩書房
高橋彦博「総同盟と評議会における金属関係労働組合の産業別編成」、『金属労働資料』第40号、1965
大河内一男・松尾洋『日本労働組合物語・昭和』、1965、筑摩書房
犬丸義一「日本マルクス主義の源流」、『講座現代のイデオロギー2』所収、1961 三一書房
【機関紙誌類】
『関東地方評議会会報』日本労働総同盟関東地方評議会出版部発行、1924.12、1号のみ.
『労働新聞』日本労働総同盟関東地方評議会発行、月2回刊、第1巻第1号−第1巻第9号、1925.1−1925.6、6号までは総同盟関東地方評議会機関紙、7・8号は日本労働総同盟革新同盟機関紙、9号は日本労働組合評議会機関紙
『労働新聞』労働新聞社発行、月2回刊、第1号−第52号、1925.6−1928.3、他に号外・婦人版・金属版あり、日本労働組合評議会機関紙
『マルクス主義』マルクス協会・希望閣発行、月刊、1号−56号、1924.5−1929.4、共産主義グループ・日本共産党理論機関誌
『無産者新聞』無産者新聞社発行、月2回刊・旬刊・週刊・5日刊、1号−238号、1925.9−1929.8、共産主義グループ・日本共産党合法機関紙
『労働者』労働者社・希望閣発行、月刊、1号−14号、1926.12−1928.4、「統一運動同盟」の事実上の機関誌
『工労』工労社発行、月刊、1巻1号−1巻4号、1924.11−1925.2、 造機船工労組合機関紙
『時代』創刊・終刊不明・月刊 第2年第8号(1925.8)以前はHP倶楽部機関誌 第2年第9号(1925.9)以後は被評議会関東出版労働組合機関誌
大原社研『資料集』
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その一(1924−5年)同研究所刊 1957
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その二(1925年)1958
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その三(1926年1月−3月)1959
法政大学大原社会間題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その四−日本労働総同盟第一次分裂問題I−1960
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その五−日本労働総同盟第一次分裂問題U−1960
法政大学大原社会間題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その六(1926年4月−6月)1961
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その七(1926年7月−十2月) 1963
法政大学大原社会間題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その八(1927年1月−4月) 1963
法政大学大原社会問題研究所編 『日本労働組合評議会資料』 その九(1925年5月−1927年4月) 1965
みすず書房『現代史資料』
山辺健太郎編『社会主義運動(二)』1965 みすず書房
山辺健太郎編『社会主義資料(三)』1965 みすず書房
評議会指導者の論文集
山川均『無産階級の政治運動』 1924 更生閣
山川均『左翼の闘争』、1927 白揚社
北条一雄(福本和夫) 『理論闘争』 1926 白揚社
北条一雄(福本和夫) 『方向転換』 1927 白揚社
無産者新聞社編 『無産者新聞論説集』 1928 上野書店
小泉保太郎(三田村四郎)『左翼労働組合運動』 1929 マルクス書房
渡辺政之輔 『左翼労働組合の組織と政策』 1931 希望閣
鍋山貞親 社会民主主義との闘争』 1931 希望閣
鍋山貞親 『左翼労働組合と右翼との闘争』 1931 希望閣
市川正一 『〈階級的大衆的単一政党〉とは何か?』 1952 希望閣
雑誌『マルクス主義』の総目次が附されている
渡辺政之輔 『戦略問題の要項』 1952 希望閣
渡辺政之輔 『渡辺政之輔著作集』 1963 日本共産党中央委員会出版部
内容は『戦略問題の要項』とほぼ同一
国領五一郎・山本懸蔵 『国領五一郎・山本懸蔵著作集』 1963 日本共産党中央委員会出版部
国領五一郎の公判代表陳述「日本の労働組合運動」などが収められている。
市川正一 『市川正一著作集』(下) 1963 日本共産党中央委員会出版部
内容は『〈階級的大衆的単一政党〉とは何か?』とほぼ同一関係者の伝記・回想録など(単行本のみ)
加藤勘十 『階級戦の先頭を往く』 1928 前衛書房
町田辰次郎 『労働争議の解剖』 1929 第一出版社
鈴木文治 『労働運動二十年』 1931 一元社
野口義明 『無産運動総闘士伝』 1931 社会思想研究所
徳田球一・志賀義雄 『獄中十八年』 1947 時事通信社
野田律太 『労働運動千一夜』 1948 日本労農通信社出版部
志賀義雄 『日本革命運動史の人々』 1948 暁明社
鍋山貞親・佐野学 『転向十五年』 1949 労働出版部
近藤栄蔵 『コムミンテルンの密使』 1949 文化評論社
鍋山貞親 『私は共産党をすてた』 1949 大東出版社
荒畑寒村 『共産党をめぐる人々』 1950 アテネ文庫
風間丈吉 『モスコウとつながる日本共産党の歴史』 上巻 1951 天満社
荒畑寒村 『左の面々』 1951 早川書房
西尾末広 大衆と共に』 1951 世界社
福本和夫 『革命は楽しからずや』 1952 教育書林
徳永正報 『いばらの足跡三十年』 上 1956 日刊労働通信社
矢次一夫 『昔の労働争議の思い出』 1956 国策研究会出版部
鈴木茂三郎 『ある社会主義者の半生』 1958 文芸春秋新社
麻生久伝記刊行委員会 『麻生久伝』 1958 同刊行委員会
荒畑寒村 『寒村自伝』 1960 論争社
内田藤七 『人生五十余年』 1961
山川菊栄・向坂逸郎編『山川均自伝』 1961 岩波書店
福本和夫 『革命運動裸像』 1962 三一書房
中村菊男 『松岡駒吉伝』 1963 経済往来社
座談会記録
「総同盟第一次分裂をめぐつて」 秋山長三郎 市村光雄 斎藤忠利 田中うた 丹野セツ 戸沢仁三郎 湊七良ほか 『労働運動史研究』第34号 1963
「続・総同盟第一次分裂」 秋山長三郎 市村光雄 泉盈之進 菊田善五郎 湊七良 斎藤忠利ほか 『労働運動史研究』第35号 1963
「小樽港における港湾労働の回顧」 鈴木源重 蔦谷喜代二ほか『北海道の港湾荷役労働』 1963 北海道立総合経済研究所
初出はみすず書房『現代史資料月報』第14回配本『社会主義運動』(三)付録(1965年10月)。
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