二村一夫随筆集  『さまざまな出会い』

石母田正先生のこと

講義中の石母田正先生(1956年)

人生の転機に、一度ならず二度三度と決定的な影響を受けた人について語るのは、その人より自分自身について多くを言うことになる。しかし、それ抜きに先生の思い出を書くことは出来そうもないので、私ごとが多くなるのをお許しいただきたい。
 あの『歴史と民族の発見』が刊行されたのは私が大学に入った年の三月であった。そこに収められた一編一編に深い感銘を受け、進学のコースを決めるとき迷わず国史学科にしたのもそのためであった。ただ、すでに歌声運動などというものに深入りしていたから、国民的歴史学の運動に加わった経験はない。しかし、その後研究テーマを決めるときに、この本は小さからぬ意味をもった。また〈敵手の偉大さ〉について教えられたことは、常に論敵を設定して研究を進める傾向として、いまだに痕跡を残している。
 進学した国史学科はまったく期待に反した。勉強したい近代史の講義がひとつもなかったのである。もっとも歌ばかり歌ってろくに教室には出なかったから、それほど文句を言えた義理ではない。それでもいざ卒業となると、もう少し勉強したいと思うようになった。法政の大学院を選んだのは、資料の宝庫である大原社会問題研究所の存在とともに、政治学専攻の修士課程が新設され、そこで石母田先生が教えられることを知ったからである。「『歴史と民族の発見』で道を誤ったので、その貸しを取り立てに来ました」と初対面のあいさつで言い、先生を苦笑させた。
 ゼミではエンゲルスの『反デューリング論』、『イギリス労働者階級の状態』、それにマックス・ウエーバーの『権力と支配』などを読んだ。新設のため全員が一年生というゼミの議論は幼かった。しかし私が勉強らしい勉強をしたのはこの時がはじめてで、先生の一言一言に目がひらかれていく思いであった。なかでも「若い時は何よりも自己が生涯かけて解決すべき問題を発見する時期だ。〈答え〉は〈問い〉の中に半ばは含まれている。今は答えを探すより、解くべき問いをなるべく数多く見つけなさい」と教えられたことは強く印象に残った。
 修士論文を出した直後、先生に呼ばれて大学院六階の研究室に行った。「助手試験があるから受けてごらん」と思いがけない一言であった。この言葉がなければ、私の人生はまったく違うものになっていたであろう。好運にも助手に採用され研究者の卵となった私に、先生はきわめて具体的な注意を与えられた。「書物は研究者にとっての大工道具である。よい道具を揃えなければ、良い仕事はできない。道具を揃えるのに金を惜しんではならない。必要な金は原稿を書いて稼ぎなさい」。結納の金まで本に使ってしまった先生らしい教訓であるが、最後の一句は無能で怠惰な弟子への危惧の念からつけ加えられたものであろう。はたして原稿が書けずにいると、先生はまた言われた。「動揺はあってもよい、中断さえも仕方がない、しかし仕事を放棄してはならない」。これは先生自身の信条でもあったが、不肖の弟子はこの言葉を自分勝手に解釈して、いささか安心してしまった。仕事を完成させないことと仕事を放棄しないことを同じことのように思い込んだのである。先生の指導で始めた研究を十数年間も中断し、その後完了間近なところまでこぎつけ先生への献呈辞まで書きながら、本にまとめることを一日延ばしにしているうちに逝かれてしまった。何とも無念である。
 一九七三年秋、先生はパーキンソン氏病という難病にかかられ、以後十二年におよぶ闘病生活が始まった。最後まで思考力にはいささかの衰えもみせなかったが、動作が著しく不自由となられた。戦前は出版社での勤務の合間に研究し、戦後は民科や歴研、さらには学部長、図書館長、学務理事などの活動に追われ、いつも「勉強する時間が欲しい」と思い続けてこられた先生が、時間はあるのに執筆できない苛立たしさは想像をこえた。しかし、先生はただの一度も愚痴をこぼされなかった。われわれに対してだけでなく、日常生活では我侭を言い続けてこられた奥様にさえそうであったという。だからといって、先生は決して研究生活を諦めていたわけではない。いつも聞かされたのは「八〇歳まで生きる。生きて概説を書く。概説こそ歴史家の最終目標だ」という言葉であった。
 一九三〇年、十七歳のとき、同窓の二高生の思想状況を分析批判する論文を書き、マルクス主義者としての自己の立場を表明された先生は、その後いかなる状況におかれてもその立場を貫き通された。現実が与える課題を避けず、誤りを恐れずに立ち向かわれた先生に、一時期、批判者は少なくなかった。しかし先生は言い訳をせず、最後は作品によって、またその生き方によって批判に答えられた。見事な、堂々たる生涯であった。





初出は『法政』一九八六年四月号。原題は「石母田正先生」。




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