二村 一夫 稿
研究動向・労働運動史
1 敗戦直後の通史的研究
労働運動史は、第二次大戦後に発展しはじめた新しい研究分野である。戦前の日本では労働運動それ自体が未発達であった上に、社会科学研究の自由もきびしく束縛されていたから、階級闘争を直接研究対象とする労働運動史研究は立ちおくれざるを得なかった。戦後、労働組合運動、社会主義運動をはじめとする諸運動の広範な展開にともなって、ようやく労働運動史研究も活発化し、独自の研究分野として成立するようになった。
敗戦直後は、簡単な啓蒙的通史や戦前の著作の復刻などが多かったが、そうしたなかで、はっきりした問題意識をもった研究も現われはじめた。日本労働運動の歴史的特質とそれを規定した政治経済条件を概括することを意図した渡部・小山の著作〔1〕、戦前・戦後の労働組合運動を多面的な角度から分析した末弘厳太郎の労作などがそれである〔2〕。
つづいて1950年代になると、主として明治期の労働運動、社会主義運動に関する新たな研究成果がいくつか現われた。「分裂と対立に彩られた日本労働運動を概観し」、分裂と対立の必然性を解明することを課題とした岸本英太郎の研究〔3〕、「労働運動と社会主義思想の関係を……自然発生的要素と意識的要素との相互関係としてとらえ……それを日本の歴史的過程に具体的に適用して段階的発展を明らかにすることを試みた」塩田庄兵衛の研究〔4〕、さらには特殊日本的な賃労働の型としての「出稼型」によって、日本の労働運動の全歴史を貫く特質の解明を行なった大河内一男の研究などである〔5〕。このうち、大河内の「出稼型」論は、単に労働運動史だけでなく、日本労働問題研究に大きな影響を及ぼし、方法論上の論議を呼び起こしたもので、戦後の労働運動史研究の代表作の一つである。
2 50年代後半の研究−方法論をめぐる論議−
1950年代後半に入ると、研究はようやく活発化しはじめた。研究者の層も厚くなり、57年には労働運動史研究会が発足し、機関誌『労働運動史研究』を通じて研究動向の紹介、新資料の発表、関係者からのききとりなどを積極的に行なった。戦前期を対象とした研究は、ようやく二次資料による通史的な段階から、一次資料にもとづく個別研究へと進みはじめた。渡部徹の全協(日本労働組合全国協議会)研究、隅谷三喜男の明治初期(原蓄期)の賃労働史研究、松尾尊兊の友愛会史研究、京大人文科学研究所などによる米騒動研究などがその代表的な成果である〔6〕〜〔9〕。
また、50年代後半から60年代にかけては、従来の研究方法に対する反省、批判もいくつか生まれ、その後の研究に影響を及ぼした。すなわち、隅谷は「賃労働の理論」を提唱して、労働運動史は「賃労働史の一環として分析さるべきである」と主張し、その後の労資関係史的研究の発展に道をひらいた。また二村一夫は足尾暴動の実証的分析を通じて「出稼型」論を批判し、「日本資本主義の資本蓄積の運動法則と日本労働運動の歴史的変化との内的な相互連関を明らかにする」ことを主張した〔10〕。
渡部は、従来の労働運動史は労働組合運動と社会主義運動、政党運動の本質的な差異を無視していると批判し、三者を区分して把握し、評価すべきことを主張した〔11〕。白井泰四郎もほぼ同様な立場から、これまで軽視されてきた右派の労働組合運動を積極的に評価すべきことを提唱した〔12〕。大河内も「出稼型」によって日本労働運動の全歴史を一義的に把握する方法を修正し、労働組合の組織形態の変化−横断的組合から企業別組合へ−をもたらした要因の追求にその主題を移行した〔13〕。
3 60年代の研究
渡部・白井・大河内らの提唱を受けた形で、60年代の研究は、労働組合運動に関する実証研究、とりわけ労働組合の組織形態の問題に集中していった。その先駆的業績は、西岡孝男による組織形態の変化に焦点をあてた労働組合史研究である〔14〕。また鼓肇雄は製陶労働組合について〔15〕、小松隆二は、これまでその実態がほとんど知られていなかった第一次大戦以後のいくつかの企業別組合の組織と活動について解明した〔16〕。渡部は、友愛会や第一次大戦直後に発生した労働団体についての調査を行なうとともに、労働組合運動と社会主義運動の癒着という日本労働運動の「病根」を主体的に追求する研究を精力的に行なった〔17〕。
これとは別に、兵藤釗は労働市場の歴史的変化を実証することによって「出稼型」論批判を企てたが、大河内の理論的転回に対応して鉄工組合および友愛会の研究に移った。兵藤はここで従来の労働運動史研究がほとんどふれることのなかった重工業大経営における労資関係の歴史的推移に着目し、これを綿密にあとづげることに成功した〔18〕。一方、大前朔郎とともに1921年の川崎・三菱両造船所争議の研究〔19〕を行なった池田信は、兵藤批判を手がかりに鉄工組合や友愛会の組織や活動の特質を追求して注目すべき成果をあげた〔20〕。
また岩村登志夫(福本茂雄)は、コミンテルン、プロフィンテルンなど国際的な運動との関わりで日本の運動、とりわけ1920年代後半から30年代における労働運動をとらえなおす企てに積極的に取り組んでいる〔21〕。
一方、地方史研究のなかで労働運動史の占める比重もしだいに増大しつつある。これまでのところでは事実史あるいは資料集的性格が強いが、斎藤勇の労作は一地方を舞台にした日本労働運動史の試みとして注目される〔22〕。なお地方労働運動史研究の方法をめぐっては、星島・堂面・西村によって論議が交わされている〔23〕。
4 戦後を対象とする研究
敗戦後10年近くたった50年代半ばごろから、しだいに戦後の労働運動を対象とする研究が現われはじめた。末弘の先駆的業績〔2〕につづいて現われたのは、大友福夫はじめ多数の研究者の共同研究による包括的な通史の企てであった〔24〕。ついで、「出稼型」論によって戦後の労働組合運動を分析した大河内の著書が刊行された〔25〕。また斎藤一郎、高野実、細谷松太ら運動関係者の著作もあいつぎ、体験者としての証言を残すとともに、従来の研究にも批判を加えた〔26〕〜〔28〕。
戦後期を対象とする研究は、その後も主として通史的研究、それも複数の研究者による共同研究として行なわれている〔29〕。それぞれ特色をもってはいるが、対象を客観化するための時間的距離が短い上に、指導路線もめまぐるしく交替し、しかも戦前とは比較にならない大衆的なひろがりをもって運動が展開されていることもあって、科学的密度の高い歴史的総括を定着させることは今後の課題として残されている。また戦前・戦後期を一貫してまとめた通史もいくつか現われた〔30〕。
なお、最近は占領下の労働運動、とりわけ労働争議に対する関心が強まっており、戦後運動史もようやく個別研究の段階に入りつつある〔31〕〔32〕。また、単産別の組合史研究もいくつか注目すべき成果をあげている〔33〕。
このほか、戦後期を対象とする研究としては、労働組合自身が創立10周年、あるいは20周年などを記念して編纂した組合史を逸することができない。これらは組織内配布の非売品として刊行されることが多いため、発行状況を把握するのが困難だが、渡辺悦次の調査によれば、現在わかっているだけでも約700点に達している〔34〕。これらの多くは、資料集あるいは事実を羅列した年代記の域を出ないが、一部では専門研究者と組合とが協力しあって成果をあげており、なかには、戦後の組合史を中心としながら戦前にまで視野をひろげたものもある。
5 社会主義政党史の研究
社会主義運動史については、戦前は非公然部面が多く事実の確認が困難であり、戦後は政治的利害の対立がなまなましくて客観的評価が困難であるなどの事情があるが、体験者の回想記や評伝をはじめとして、各種の機関紙・誌の復刻などで、基礎資料の整備が進み、思想史的研究の前進とともに、組織論、運動論の見地から政党史の分析も前進してきた。社会主義政党史を系統的に分析したものに増島宏、岡本宏らの業績がある〔36〕。
6 資料集・研究手引など
これまで労働運動史研究の発展を妨げてきた要因の一つに、基本資料の不備があったが、この点は最近では著しく改善されつつある。とりわけ朋治期については、労働運動史研究会によって主要な機関紙誌がすべて復刻され、また労働運動史料委員会によって資料集が編纂されるなどして、基礎的な資料はほぼ揃ったといっても過言ではない。また第一次大戦後についても、法政大学大原社会問題研究所によって機関紙誌の復刻や資料集の編纂が進められているのをはじめ、『特高月報』など官庁資料の復刻もあいついで行なわれている。残された問題は経営の所蔵資料の利用が容易でないことである。
労働運動史研究についてのこれまでの研究動向を概観し、問題点を指摘し、参考文献を紹介した研究手引ないし文献解題として、利用可能なものが若干ある〔37〕。
7 外国労働運動史の研究
日本の研究者の手による外国労働運動史の研究は、最近十余年間における在外研究の機会の増大、複写手段の発達と原資料の復刻の増加に加えて、各研究者の独自の視点と研究方法がしだいに確立してきたことの結果、質ならびにひろがりの双方にわたって大きな発展をみた。これまで研究が集中してきた国々についての研究は、もはや紹介的段階をゆうに越え、イギリスについては、初期から20世紀におよぶ各時期にわたって、飯田鼎、山中篤太郎、栗田健、前川嘉一、佐野稔、相沢与一、穂積文雄らによって精緻・多彩な研究が行なわれたし〔38〕、ドイツについては、初期から1860年代までの時期について、島崎晴哉、上杉重二郎の原資料にもとづくきめ細かな研究の成果がみられる〔39〕。またアメリカ、イタリアについても通史が書かれるにいたった〔40〕〔41〕。このほか、第一、第二、第三インターナショナルなど国際組織についても、通史こそ書かれてはいないが、飯田、西川正雄、中林賢二郎、松元幸子らによって原資料にもとづく独自の研究が進められた〔42〕。また地域的ひろがりの点では、中国、朝鮮、オーストラリア、インドなど、アジア諸国から、ラテン・アメリカ、アフリカなどの諸国の運動までが、わが国研究者の視野に入りはじめている。なおこの間、中林によって総合的通史が書かれた〔43〕。
【文献目録】
〔1〕社会経済労働研究所(渡部徹・小山弘健)『近代日本労働者運動史』白林社、昭22。
〔2〕末弘厳太郎『日本労働組合運動史』同上刊行会、昭25。
〔3〕岸本英太郎『日本労働運動史』弘文堂、昭25。
〔4〕塩田庄兵術『日本における社会主義運動の発展』中央公論社、昭26。
〔5〕大河内一男『黎明期の日本労働運動』岩波書店、昭27。
〔6〕渡部徹『日本労働組合運動史』青木書店、昭29。
〔7〕隅谷三喜男『日本賃労働史論』東京大学出版会、昭30。
〔8〕松尾尊兊『大正デモクラシーの研究』青木書店、昭41。
〔9〕井上清・渡部徹編『米騒動の研究』(全五巻)、有斐閣、昭33〜37。
〔10〕二村一夫「明治四〇年の足尾暴動について」、『労働運動史研究』12、昭33。「足尾暴動の基礎過程−『出稼型』論に対する一批判−」、『法学志林』57−1、昭34。
〔11〕渡部徹「日本労働運動史分析の方法論−政党論、労働組合論をめぐって−」、『社会労働研究』12、昭35。
〔12〕白井泰四郎「戦前における労働組合主義の評価について−労働運動史方法論への反省−」、『日本労働協会雑誌』23、昭36。
〔13〕大河内一男「企業別組合の歴史的検討」、『労働運動史研究』15、昭34。〔14〕西岡孝男『日本の労働組合組織』日本労働協会、昭35、改訂版、昭39。
〔15〕鼓肇雄『戦前における愛知県製陶労働組合史』風媒社、昭38。
〔16〕小松隆二『企業別組合の生成』御茶の水書房、昭46。
〔17〕渡部徹「日本的労働組合論の形成過程」、『日本労働協会雑誌』67、昭39。同「第一次大戦後の労働運動思想の推移」、『日本労働協会雑誌』102〜104、昭42。
〔18〕兵藤釗『日本における労資関係の展開』東京大学出版会、昭46。
〔19〕大前朔郎・池田信『日本労働運動史論』日本評論社、昭41。
〔20〕池田信『日本機械工組合成立史論』日本評論社、昭45。
〔21〕岩村登志夫『日本人民戦線史序説』校倉書房、昭46。同『在日朝鮮人と日本労働者階級』校倉書房、昭47。
〔22〕斎藤勇『名古屋地方労働史(明治・大正篇)』風媒社、昭44。
〔23〕社会政策学会編『戦後労働運動の展開過程』(年報15)、御茶の水書房、昭43。
〔24〕大友福夫ほか「戦後労働史」、『日本資本主義講座』7、岩波書店、昭29。
〔25〕大河内一男『戦後日本の労働運動』岩波書店、昭30。
〔26〕斎藤一郎『二・一スト前後−戦後労働運動史序説−』労働通信社、昭30。同『戦後日本労働運動史』2、三一書房、昭31。同『総評史』青木書店、昭32。
〔27〕高野実『日本の労働運動』岩波書店、昭33。
〔28〕細谷松太『日本の労働組合運動−その歴史と現状−』社会思想研究会出版部、昭33。
〔29〕棚橋泰助ほか『戦後労働運動史』大月書店、昭34。海野幸隆・小林英男・芝寛編『戦後日本労働運動史』(全六巻)、三一書房、昭36〜37。大河内一男・藤田若雄編『労働組合運動史』(『講座日本の労働問題』W)、弘文堂、昭37。塩田庄兵衛・田沼肇・中林賢二郎『戦後労働組合運動の歴史』新日本出版社、昭45。
〔30〕信夫清三郎・渡部徹・小山弘健編、講座『現代反体制運動史』(全三巻)、青木書店、昭35。塩田庄兵衛『日本労働運動の歴史』労働旬報杜、昭39。隅谷三喜男、『日本労働運動史』有信堂、昭41。大河内一男・松尾洋『日本労働組合物語』(全五巻)、筑摩書房、昭40〜48。
〔31〕労働運動史研究会編「産別会議−その成立と運動の展開」、『労働運動史研究』53、昭45。同「占領下の労働争議」、同上誌54、昭47。同「占領下労働運動の分析」、同上誌55・56、昭48。
〔32〕藤田若雄・塩田庄兵衛編『戦後日本の労働争議』御茶の水書房、昭38。東京大学社会科学研究所「戦後危機における労働争議−読売新聞争議−」、『東京大学社会科学研究所資料』6、昭48。
〔33〕大河内一男編『日本労働組合論』有斐閣、昭29。岡崎三郎ほか『日本の産業別組合−その生成と運動の展開−』総合労働研究所、昭46。
〔34〕渡辺悦次「戦後労働組合史文献目録1・2」、『労働運動史研究』47、50、労働旬報社、昭42、44。
〔36〕増島宏ほか『無産政党の研究−戦前日本の社会民主主義−』法政大学出版局、昭44。岡本宏『日本社会主義政党論史序説』法律文化社、昭43。
〔37〕小山弘健『日本労働運動・社会運動研究史−戦前・戦後の文献解説−』三月書房、昭31。塩田庄兵衛「労働運動史研究の成果と課題」、『労働運動史研究』38、労働旬報杜、昭40。二村一夫「労働運動史(戦前期)」労働問題文献研究会編『文献研究日本の労働問題』増補版、総合労働研究所、昭46。中西洋『労働運動史(戦後期)』同上。
〔38〕飯田鼎『イギリス労働運動の生成』有斐閣、昭33。山中篤太郎『イギリス労働運動小史』春秋社、昭38。栗田健『イギリス労働組合史論』未来社、昭38。前川喜一、『イギリス労働組合主義の発展』ミネルヴァ書房、昭42。佐野稔『イギリス産業別組合成立史』ミネルヴァ書房、昭46。相沢与一「独占形成期のイギリス炭鉱業における労働組合」、『フェビアン研究』18−11、昭42。穂積文雄『英国産業革命史の一断面−ラダイツの研究』有斐閣、昭31。
〔39〕島崎晴哉『ドイツ労働運動史』青木書店、昭38。上杉重二郎『ドイツ革命史』(全二巻)、青木書店、昭45。
〔40〕津田真澂『アメリカ労働組合の構造−ビジネス・ユニオニズムの生成と発展』日本評論杜、昭42。津田真澂『アメリカ労働運動史』総合労働研究所、昭47。
〔41〕山崎功『イタリア労働運動史』青木書店、昭45。
〔42〕飯田鼎『マルクス主義における革命と改良』御茶の水書房、昭41。
〔43〕中林賢二郎『世界労働運動の歴史』(全二巻)、労働旬報杜、昭40。
初出は日本経済学会連合編『経済学の動向』中巻(東洋経済新報社、1975年)所収の第九部社会政策第六章「労働運動史」である。
なお、本稿は塩田庄兵衛、中林賢二郎氏との連名になっているが、実質的にはほとんどを二村が執筆した。両氏が加筆されたのは「社会主義政党史」についてであるが、当該箇所〔約40字〕とそれに関する文献1点は、ここでは削除した。
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