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二村 一夫

1991年度歴史学研究会大会報告批判:近代史部会



石原 俊時 「19世紀スウェーデン社会と労働組合運動」
東條由紀彦 「日本の労働者の自己意識の変遷について」
中国労働運動史研究会報告者集団
      「民国期中国労働者の構成・意識・組織」


 「労働者──その結合の形態と論理」、これが委員会の設定した部会テーマである。この課題設定の意図は、労働運動史研究における経済決定論的傾向を克服すること、そのためには、国ごとに多様なありようを示す前資本主義社会からの人びとの社会的結合の特質を明らかにし、それが工業化の過程から資本主義社会における労資関係・労働運動のあり方にいかに影響したか、その相互関連を明らかにすべきである、というにあった。これは欧米の労働史研究者の間ではかねてから中心的な課題として意識され、研究されてきたところである。労働者階級の成立を経済構造によって一義的に規定されるものと見ずに、主体的な要因を重視すべきことは、1963年に刊行されたE.P.トムソンの The Making of EnglishWorking Class によって鮮明にうちだされた視点である。そこでは工業化以前の民衆の体験、民衆の文化の意義が強調され、また労働運動の担い手として、工場労働者よりも職人が注目された。だが、なぜか日本の労働運動史研究では、こうした視点での研究はまだほとんどない。いささか遅きに失した感はあるが、歴研がこうしたテーマをとりあげたことは大きな意味がある。とりわけ民衆の体験や意識・価値観を問題にするとなれば、国による相違を問題にせざるをえず、歴研大会のように世界各国を研究対象とする人びとが集まる場こそこれにふさわしい。それもイギリスやドイツでなく、これまで十分な検討がなされているとはいえない中国とスウェーデンを取り上げたことは積極的な意義があった。



 石原報告は、スウェーデン労働運動の特質として、それが「国民運動」のひとつとして、都市中間層の指導する諸運動と密接な関連をもって展開されたこと、とりわけ強力な自由主義的勢力が「労働者の市民化、国民化」方針を押し進めたことを明らかにした。すでに19世紀末には、自発的な個人の参加に基礎をおく多様な組織が勃興し、身分、社会的地位、性にかかわらない、自発的な個人の団結が展開し、スウェーデンの民主主義がこれによって支えられてきたことが明快に解きあかされた。ただ、中間層だけでなく、こうした運動を容認した支配層の特質について、もうすこし知りたかったと思う。
 このように、石原氏はスウェーデンの労働運動の特質を、意識的に問題にした。しかし、おそらくはスウェーデンにおける研究状況に制約され、また石原報告が主として19世紀後半だけをとりあげたため、国際比較的にみたスウェーデンの特徴とその歴史的根拠を追究する上では、不十分な点があったように思う。いくつか例をあげよう。
 1) 石原氏は、労働者階級形成の背景として「農業社会の急速な解体に伴う農村から都市への大規模な人口移動」を指摘した。これは、スウェーデン一国の歴史的変化としては、またストックホルムの木材加工労組の成立を論ずる限りでは正しいのであろう。だが国際比較的には、またより長期の歴史的視点からみたとき、スウェーデンは、労働者階級の多数が農村地帯に大きな比重をもって存在していたことこそ注目さるべきではないか。
 2) 関連して海外移民の問題がある。スウェーデンの労働運動の生成期は、まさに同国から海外へ大量の移民が流出した時期であった。1880年代だけで40万人が国外に出ている。総人口が1895年で492万人、労働力人口130万人であったことを考えると異常といってよい大きさである。こうした大量の移民は労働者側にきわめて有利な条件だったのではないか。この点にふれられなかったのは何故であろうか。
 3) また、石原氏は製鉄業や製材業における労働者組織化のおくれを指摘した。だが、これは19世紀だけを問題にしたからで、20世紀におけるスウェーデン労働者の組織率の高さは、他国とくらべ際だっている。この点を見なくては、アソシアシヨン民主主義から国民運動へと展開した歴史的伝統の意義は明らかにならないのではないか。
 4) また、石原氏は労働者の出自の不均質を指摘した。これもスウェーデン史において国民運動展開の根拠を問い、疑似共同体の創出をあとづける観点からの主張であろう。だが国際的にみた場合、スウェーデンはきわめて均質な社会だったのではないか。

 東条報告は、歴研大会としては異色の報告であった。マルクスやウエーバー、フロイトなどに由来する概念が、氏独特の解釈を加えて駆使され、日本社会に関する一般理論が提示されたのである。では「東条理論」が日本社会の歴史的把握に成功したかといえば、残念ながらそうは思えない。限られた紙幅でその理論体系の問題点を全般的にとりあげる余裕はないので、ここでは氏のキー概念のひとつであり、委員会の問題提起とも密接にかかわる〈同職集団〉論についてのみ検討することにしたい。
 東條氏の同職集団論は、日本に西欧型のクラフト・ユニオンが欠如していたとする、これまでの通説的理解に対する批判から出発する。そして「腕があれば一人前」という日本の職人社会で言い慣わされた言葉を根拠に、日本でも同職集団の参加には一定の技能水準が要求され、事実上の入職規制が存在したとし、「日本にも明示的ではないが、強い規制力をもった同職集団が存在した」と主張する。だが、こうした「事実上の入職規制」によって同職集団といった輪郭のはっきりした組織が成立するであろうか。そうは思えない。どんな仕事にも、仕事自体が要求する体力や技能の最低水準がある。そうした体力や技能がなければ、その仕事が出来ないという意味なら、どこの国でもほとんどの仕事に参入障壁はある。「腕が立つなら一人前」という言葉が示唆する入職規制は、こうした障壁にすぎない。周知のように、西欧の職能別組合の入職規制は、技能の有無よりも一定年限の徒弟修業という手続きを要求する枠組みの明確なものであった。これに対し日本では多くの場合、明示的な基準を欠き、その境界は融通無碍であった。仲間にするか否かは、その時々の条件によって変わった。人手不足ならその基準は甘くなり、個人的なコネがある者は容易に参入を許された。もちろん、ここにも、日常顔をあわせ一緒に仕事をする仲間としての作業集団は存在する。だが、これを「社会的に承認された熟練」によって結びついた〈同職集団〉とみることはできない。さらに疑問に思うのは、「基準が明示的でないのは国民的特質」と言うだけで、なぜ、そうした特質をもつにいたったかを問題にしないことである。
 東条氏はまた、同職集団と資本との関係について「職場は同職集団によって規制されており、その内容は資本にとっては一つのブラックボックスであった」と主張した。これも疑問である。はたして19世紀末の日本の鉱工業生産の現場で、労働者集団がかくも自律的に、生産過程を掌握していたであろうか。私自身がいくらか調べたことのある足尾銅山について言えば、1880年代以降の選鉱・製煉部門の職場は、大学出の技術者が生産の主導権を握り、たえず新技術の導入につとめていた。
 東条氏が示した「同職集団の位階層的構成概念図」も〈同職集団〉論の有効性への疑問を強める。何より、そこで〈同職〉とされたものの中には、同一階層に属さないものが含まれている。すなわち、一方では同一職種ではあるがその内部にいくつかの異なった階層からなるものがあり、他方には、そもそも同一職種として一括しえない多様な職種から成り立つものがある。前者の一例は、討論で中国との比較で問題にされた人力車夫である。東條氏は、「車夫は人力車を所有するだけ不熟練労働力のなかでは高い階層に属する」と発言された。だが、実際には自分の車をもつ者は少数で、多くは借車挽であり〈窮民〉に属する者が少なからず含まれている。後者の例は金属鉱山労働者である。彼らは、鉱山外の人々との関係では、山内の者として強い連帯感をもっていた。だが、彼らを〈同職〉として一括することはできない。実際は、開坑・採鉱夫、支柱夫、運搬夫、車夫、掘子、選鉱夫、製煉夫など、熟練度も賃金水準も異なる多様な職種からなっていた。
 さらにこの図では、同職の労働者は全国を通じ単一の集団を形成していたかのように見える。しかし報告では、同職集団は地域ごとに無数に分かれていたと説明された。とすれば、同職の者が多数の異なった集団に属することになり、〈同職〉集団という規定はほとんど意味を失うことになりはしないか。
 それ以上に問題なのは、同職集団の相互関係を律した論理である。これについて氏は、諸集団の関係は「不等価交換が支配的」で、「デマゴギッシュな、生き馬の目を抜くような関係」だったと主張された。だが、諸社会集団がそのような関係で、はたして全体社会が安定的に存続できるであろうか。
 以上、評者の専門分野であるだけに、批判的な見解のみ記す結果になった。しかし東條報告は、日本の近代社会を統一的に把握しようとする野心的な企てである。研究意図がかならずしも明瞭でない個別実証論文が数多く発表され、一方これを批判する側は、総体的把握の必要を一般的に主張するだけでその構想を具体的に提示しえずにいる研究の現状では、こうした仮説の提示は貴重である。

 中国労働運動史研究会報告者集団の報告は二部構成で、前半は1970年代後半以降の中国労働運動史研究の成果を整理したものであった。この研究史の整理は「民国期中国労働者の実体」として、1)労働者類型、2)労働者の社会意識、3)労働者の組織状況についての研究状況が説明された。これには、1920年代を中心とした労働者類型についての詳細な表と網羅的な文献リストが付され、中国労働運動史に不案内な評者には大いに参考になった。ただ、労働者を熟練工層、都市雑業層、非熟練・家計補充的労働者層の3類型にまとめ、なぜか手工業者や職人層など旧型の熟練労働者を取り上げなかったのは疑問であった。先にふれたように、ここ20余年の欧米の労働史研究は、初期労働運動の担い手としての職人層の大きな役割を明らかにしてきた。一方、日本の初期労働運動においては、職人の組織も運動も弱体であった。この点、中国がどうであったかを明らかにすることは、国際比較の上でも重要である。報告では、中国は「同業的な結びつきが非常に強い伝統をもっており、クラフト・ギルドがそのまま労働組合に転化したものが3〜40%」あったと指摘された。にもかかわらず、旧型熟練労働者がとりあげられなかったのは、研究そのものが少ないのか、あるいは史料上の制約があるのかもしれない。だが、それ自体が、中国労働運動史研究の方法上の問題と関わっているのではなかろうか。
 報告の後半部分は、1930年代から40年代にかけて、中国最大の労働団体であった中国労動協会の組織と活動に関する研究であった。ここでは、スウェーデンとは別の意味で、中国では労働組合が法的に禁圧されず、政権党である国民党との緊密な結びつきの中で、労働組合が大きな勢力となったことを知ることができた。この部分は、前半の研究史の総括においてこれまでの研究が1920年代以前に集中していたことを反省し、今日につながる1930年代以降の労働運動の歴史を明らかにすることを意図したものであることは理解できた。ただ率直にいって、久保報告は、委員会が提起したテーマについて正面から答えようとしていないように感じられた。もっとも、労動協会の主力だった上海総工会と秘密結社の密接な関連が指摘され、さらにその歴史的背景なども、討論である程度は補われたのではあるが。



 大会の最後に委員の一人は「委員会の提起した問題関心にそれぞれの報告が十分答え、非常に勉強になった」と総括された。私も、この評価に大筋で賛成である。それぞれよく準備され、力の入った報告であった。どの報告も、おなじ「労働者階級の生成」といっても、国によって、従来のような原理論的把握ではこぼれ落ちてしまう多様な内容があることを明らかにしていた。とくに、各国の違いをもたらした諸要因のなかで、国家権力と民衆の関係がきわめて大きな比重をもつことが明瞭になった。たとえば、中国についての報告と質疑応答によって、中国民衆の草の根レベルでの組織化が、日本にくらべ、はるかに多様で、しかも大規模で、高度に発達していたこと、そうした高度な組織化の背景には、国家と民衆の関係のあり方、具体的には国家が民衆の生活を保護・干渉することのなかった事実が背景にあったことを学んだ。
 また、これまで、前工業化社会からの遺産というと、ともすれば職人など、いわば民衆の社会的結合様式、価値観だけが注目されてきた。しかし、石原報告は、非特権的な中間層の社会的結合のありかたが、その後の労働運動の展開までも規定したことを明らかにした。問題は労働者か中間層かということでなく、その社会を構成した諸階層の結合の性格、とりわけ政治権力との関連が重要な意義をもつことを再確認したというべきであろうが。
 最後にあえて希望をのべれば、各報告はもう少し他の報告を意識し、相互に比較可能なものとなるよう、努力すべきであったと思う。たとえば対象とした時期が、スウェーデンは19世紀後半、日本は幕末から現在まで、中国は1930〜40年と、大きなずれがあった。石原報告はもうすこし後の時期まで展望して欲しかったし、東条報告はもっと時期をしぼり、たとえば〈近代〉だけを対象にした方が、時間的にも無理がなく、分かりやすくもなったのではないか。また、各報告者がもうすこし国際比較的な視点でまとめてほしかった。討論が個々の報告に関する質疑が主で、全体的な討議になりにくかったのも、そこにひとつの原因があったろう。
 なお、このテーマは、本来なら近代史部会だけでなく、近世史部会と共同で行われるべきであったのではないか、と感じた。今後はこうした機会を設けることも検討ねがいたい。



初出は『歴史学研究』No.627(1991年12月)







Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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