「訳者あとがき」本書はAndrew Gordon の処女作The Evolution of Labor Relations in Japan: Heavy Industry, 1853-1955 の日本語版である。より正確に言えば,本書の序章から第W部第10章までと結論の大半が原著の日本語訳である。原著は,1985年にHarvard University Council on East Asian Studies Monographsの1冊として刊行されたが,その基礎となったのは,著者の博士論文“Workers, Managers, and Bureaucrats in Japan.Labor Relations in Heavy Industry, 1853-1945”である。この博士論文を改稿し,さらに戦後10年を書き加えて日本の労使関係100年の通史として完成させたのが原著である。一方,この日本語版は,原著書の翻訳だけでなく,1950年代後半から2010年にいたる日本労使関係を概観する第X部を新たに書き下ろし,それに伴って結論も補訂している。つまり本書は,日本の労使関係の誕生から今日にいたる150年余の歴史を描ききった通史であり,原著初の改訂増補版である。 著者のアンドルー・ゴードン氏は1952年ボストンの生まれ。1975年にハーバード大学東アジア研究コースを最優秀の成績で卒業し,1981年にハーバード大学大学院で歴史および東アジア言語の博士号を取得した。その博士論文が高く評価され学位取得と同時にハーバード大学助教授に選任された。当時のハーバード大学は,他校でのキャリアを経ることなしに若手教員をテニュア審査の対象としなかったため,1985年にデューク大学助教授として転出した。1987年デューク大学でテニュアを取得して准教授となり,1991年に教授に昇進した。1995年からハーバード大学歴史学部教授となって古巣に戻り,2002年Lee and Juliet Folger Fund Professor of History となって現在にいたっている。なお2011年初めから同大学ライシャワー日本研究所の所長に就任し,
3.11東日本大震災以降,ハーバード大学における日本支援活動の中心となって活動している。ゴードン教授は,すでに1998年から2004年にかけてライシャワー日本研究所長を務めており,今回は2度目の所長選任である。再任でなく,間をあけて2度の所長就任は,同研究所としてはこれが初めてのことであった。この間,2004年から07年まで歴史学部長を務めている。 だがGordonの著作,とりわけここに翻訳したThe Evolution of Labor Relations in Japan は,単に労働史研究の分野で高い評価を受けているだけの作品ではない。原著は,英語圏というより広く「非日本語圏」において,日本の労使関係や「日本的経営」に関する認識を一変させた研究である。非日本語圏の研究者に,日本の労使関係・労働運動・労務管理・労働政策などに関して包括的で正確な知識を与え続けて来た書物なのである。ちなみに,次のスペイン語版も刊行されている。La evoluci ón de las relaciones laborales en Japón:La industria pesada, 1853-1955 (Madrid.Ministerio de Tabajo y Seguridad Social,1992). このほかにも著者は,ハーバード大学およびデューク大学で,20年あまり近世以降の日本史,アジア史を講じた経験をもとにA Modern History of Japan: From Tokugawa Times to the Present (New York.Tokyo.Oxford University Press)を執筆している。初版が2003年に,増補第2版が2008年にイギリスのオクスフォード大学出版部から出版されたこの本は,形の上から言えば大学レベルの日本近代史教科書である。だが無味乾燥な「教科書的」作品ではなく,一般読者に向けた教養書として,「世界のどの国の人が読んでも〈共通に理解できる〉新しい近現代日本史」として幅広い読者を得ている。そのことは,この本が英語圏だけでなく,日本はもちろん,中国,韓国でも翻訳出版されており,さらにスペイン語版についても出版計画がある事実が示していよう。なお日本語版は,『日本の200年』(上下)としてみすず書房から2006年に刊行されている。また,著者が中心となってすすめた研究プロジェクトの成果としてPostwar Japan as History(Berkeley.University of California Press, 1993)があり,中村政則監訳『歴史としての戦後日本』上下(みすず書房,2001年)として日本語版も刊行されている。これらの著作が示すように,Andrew Gordon 教授は単なる日本労働史研究者ではなく,英語圏における日本研究のトップランナーのひとりと言ってよい。 本書の内容は,本文を読んでいただければ分かることなので,ことあらためて紹介することはしない。ただ本書の特徴,研究史上の位置について簡単に触れておきたい。私は,本書の類書にない長所は,以下の4点にあると考えている。 ところで,原著書はさまざまな点で幸運に恵まれた作品であった。その第1は,日本経済の競争力が世界中で高く評価され,「日本的雇用慣行」や「日本的労使関係」といった独特な労使関係の存在が注目された時期に刊行されたことである。もちろん作品の質の高さが寄与したことは言うまでもないが,その出版のタイミング,そのテーマの点でも,日本研究者はもちろん,労務管理研
究者・経営学者・社会学者・経済史家などの研究者だけでなく,日本に関心をいだく世界中の人びとに注目され,その必読書となったのである。 誤解を招くといけないので急いで付け加えれば,著者は,5企業の労使関係史を,これらの二次文献に依拠して取りまとめたわけではない。原著の基本的骨格は,それまでほとんど使われていなかった協調会の調査記録,大原社会問題研究所の収集資料,とりわけ労働組合の機関紙誌などを読みこなし,さらには労働運動家や労務管理者へインタビューを行うなど,多種多様な一次史料と
8年間も格闘したことによって得られたものである。原著完成にいたるまでの研究経過,とりわけその前半期をすぐそばで観察した者として,この機会に証言しておきたい。実は,著者と訳者が知り合ったのは,本研究が始まる直前の1977年秋,ハーバード大学においてであった。さらに著者が翌78年から1980年に日本に滞在して博士論文の第一次草稿を執筆した際には,まったくの偶然であったが,著者夫妻は我が家から徒歩わずか5分ほどの近所に住み,日常的に交流する機会があった。さらに著者が研究の素材となる史料の多くを発掘したのは,訳者の勤務先である法政大学大原社会問題研究所であった。 第3に,研究の素材となる史料面でも著者は幸運であった。『労働世界』をはじめとする社会・労働運動関係の機関紙誌の復刻が開始され,労働運動史料委員会編『日本労働運動史料』のような史料集が刊行され始めたのは1960年代のことであった。また,長年死蔵されてきた法政大学大原社会問題研究所の所蔵資料の整理がすすみ,一般に公開されて閲覧出来るようになったのは1970年代前半のことである。もうひとつ付け加えれば,著者はライシャワー大使の弟子としての立場を生かし,日本の労働史研究者には容易ではなかった大企業各社の人事部所蔵資料にアクセスする機会に恵まれ,現役の労務管理者だけでなく,すでに退職した労務管理者からもインタビューをおこない,彼らの個人的なメモまで利用することが出来たのであった。 いずれにせよ,本来なら,本書は遅くとも20年前には翻訳刊行されてしかるべき作品であった。原著が刊行された時,訳者は一読して日本でも広く読まれるべき作品であると考え,翻訳したいと考えた。ただあいにく訳者の身辺の事情はこの大著の翻訳を許さず,機を逸してしまった。定年退職して,長年の課題であった高野房太郎研究を『労働は神聖なり,結合は勢力なり ─ 高野房太郎とその時代』(岩波書店,2008年)として刊行し終えた後,ようやく本書の翻訳にとりかかった。もともと仕事が遅く,時間がかかることが予想されたので,長年の友人である安藤とみえ・ボードマンさんに第1章から第10章および結論について下訳をお願いした。その後で,もちろん訳者自身も最初から原文にあたって翻訳作業をすすめた。これを終えた段階で,日本語に堪能な著者の校閲を受け加筆訂正した。さらに推敲を加え完成稿に近づいた段階で,木下順國學院大学教授に全訳稿を,関口定一中央大学教授には序章から第3章までと第8章,第9章,第12章について,鈴木玲法政大学教授には第11章の訳文を点検していただくことが出来た。いずれもアメリカの労働史・労務管理史の専門研究者として労使関係史分野の英語に堪能であり,かつ日本労働史についても造詣の深い諸氏の点検を受けたおかげで,本書の訳文としての正確度は高まった。実は,チェックを受ける前に,出来る限り自然な日本語にするため,あえて原文を参照せず推敲を重ねていた時期があった。そのため,原文からやや逸脱した箇所が生じていた。諸氏のチェックのおかげで,そうした初歩的な誤りを防ぐと同時に,学術的に問題となる用語等についての指摘も受け,改善することが出来た。このように,本書の翻訳に当たっては,原著者をふくめ5人の人びとの支援を受け,さらに岩波書店の校閲も経ている。しかし訳文の最終決定は二村一夫が単独で行っており,翻訳に関する全責任は二村個人にある。なお,引用文献を探し出すことについては,アメリカ側では美穂・セーガル,日本側では法政大学大原社会問題研究所の若杉隆志,柴田光代,中村美香,松本純子の諸氏の支援を得た。記して感謝の意を表したい。 最後に,翻訳に関する技術的な問題について,ひと言ふれておきたい。一般の翻訳,とりわけ学術書の翻訳においては,特定の単語には特定の日本語を宛てる一対一対応を用いることが一般的であろう。しかし,本書では,あえて一対一対応を無視した箇所が少なくない。つまり同一の英語を,文脈に応じて異なった日本語に翻訳している。その理由のひとつは,単純な「一対一対応」だと,漢文の訓読のように日本語としては不自然な文体となり,読み難いと感じたからである。原著者の論旨を誤って伝えることがない限り,日本語としての読みやすさを優先させている。「一対一対応」をとらなかった,と言うより,とり得なかったもうひとつの理由は,本書が日本を研究対象とした本だからである。著者が日本語から英訳している単語の場合は,元の日本語を探し出して訳し戻している。著者は日本の職名や組織名などでは,異なった日本語に単一の英語を宛てている場合がある。著者は,多様な名称を英語圏の読者なら誰にでも分かる言葉に置きかえて論じているのである。具体例をあげれば,日本語で職長・組長・役付工・作業長などは,すべて“foreman”と訳されている。 あるいは原著で“personnel section”あるいは“personnel division”とある部署は,元の日本語では,職工係・労務係・人事係・勤労課・工人課・職員課・人事部・労働部など,実に多様な言葉が使われている。本訳書では,企業名と年代が特定できる限り,社史などで出来る限り実際に使用された名称を探し出すことに努めた。ただし,芝浦製作所の「工人課」のように,他社での使用例がないため,説明なしには理解し難い語については,労務課など一般的な語に変えている。 もっとも,このように,本来の言葉が日本語である場合は,調べるのに時間はかかるが,迷うところはなかった。むしろ難しかったのは,頻繁に使われており,これに単一の日本語を宛てると不自然になる,あるいは誤解をまねき,理解を困難にする恐れのある言葉であった。一例をあげれば“factory”である。この語は,著者が批判すべき先行研究として意識していたアベグレンやドーアの著書の書名に用いられている言葉でもあるため,原著でも多用されている。しかし“factory”を常に「工場」と訳しては,日本文としては不自然になる場合が少なくない。アベグレンのThe Japanese Factory の日本語版がその書名を『日本の工場』ではなく『日本の経営』としたことは,販売上の配慮だけではなかったと思われる。本書もそうした点を考慮し,“factory”を常に「工場」とはせず,「企業」や「経営」と訳した箇所が少なくない。このほか“seniority”を「年・`」とするか「勤続年数」にするかは,日本語の文脈でより自然だと感ずるほうを採用した。さらに翻訳に困った一例は,本書のキイワードである“membership”や“full members”である。辞書では“membership”は「一員であること」とか「会員資格」といった訳語が出てくるが,これでは原文の趣旨は伝わらない。メンバーシップとカタカナ語にするのが一つの解決法ではあるが,出来るだけ分かりやすい日本語にしたかったので,「 2012年5月 岩波書店,2012年8月7日刊行
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