《書評》
星島 一夫 著 『地方労働運動史研究序説』
評者:二村 一夫
このところ、各地で地方労働運動史の研究が進みはじめているが、そのなかでも愛媛大学を中心とする愛媛県の研究者の成果には注目すべきものが多い。別子争議などの研究が『愛媛大学地域社会総合研究所研究報告』に発表されたのはすでに十数年前のことである。また『資料愛媛労働運動史』(全九巻)は戦前の労働者状態や労働運動について、豊富な資料を収録していた。最近でも『愛媛地評十年史』のようなすぐれた成果が発表されている。本書は、この『愛媛地評十年史』の編集、執筆にあたった著者が、「地方労働運動史研究の意義」について真正面から論じたものである。まず、その論旨を紹介しておう。
第一にとりあげられているのは労働運動史研究の一般的意義である。著者はこれを次のように規定される。
「社会的変革の主体としての労働者階級が、どのような主体的並に客観的条件のもとで、どのような運動を通して、自覚的に階級形成をとげてきたかを明らかにし、その過程をつらぬく一般的法則を説明し、当面の実践的課題にこたえる」こと。
この前提にたって、著者は地方労働運動史研究の意義はつぎの三点にあると主張される。
1) 地方労働運動史と日本労働運動史は相互連関しているがゆえに、地方労働運動史の研究なしには、日本労働運動史は明らかにならない。
2) 労働運動は抽象的なものでなく、地域、職場の労働運動として具体的に展開される。労働運動のもつ一般的法則は、具体的な地域、職場の特殊的、個別的労働運動の中に現われる。だから、日本労働運動史研究は地域、職場の労働運動の歴史研究を通してのみ、はじめて、普遍的意義をもつことができる。
3) 労働運動史研究の基本的課題は労働者大衆の階級的自覚の発展過程を明らかにすることにあるが、これには総評会館の中でどのようなことがおこったかをみるだけではどうにもならない。じかに、具体的に各地域、各職場での労働者大衆の自己運動をとらえる必要がある。
以上の三つの論点のそれぞれは、勤評闘争や二・一ストなど、戦後の愛媛県下の労働運動を対象とした事例研究によって裏づけられている。この事例研究そのものは『愛媛地評十年史』での研究蓄積の深さをしめして、たいへん教えられるところがあった。しかし、本書全体については、いくつかの疑問を禁じえなかった。
その第一は、本書で最も強調されている「労働者の自覚的階級形成」についてである。著者は、これを全く労働組合運動の枠内で論じておられる。たとえば「事例研究」の一つで、1954年に「愛媛の労働者は二大階級の一方の階級としての主体性を確立された」と結論される。その根拠は中小企業労働者の闘争の昂揚であリ「愛媛地評の指導性の確立」である。
だが、もともと「自覚的階級形成」は革命党の成立と不可分のことではなかったか。更にいえば、「階級として確立」するか否かという問題は、すぐれて全階級的な問題であって、一府県を単位として論じうることではないのではないだろうか。
疑問の第二は、「地域、職場における特殊的個別的運動史の研究を通してのみ日本労働運動史は普遍的意義をもちうる」との主張についてである。もちろん、地域、職場での個別的具体的な運動史研究が、日本労働運動史研究において重要な意義をもっていることに異論はない。だが、そこからただちに「地域、職場での個別的運動史研究を通さない日本労働運動史は普遍的意義をもちえない」と主張することはできないだろう。個別的運動史研究を通しても普遍的意義をもたない日本労働運動史研究はいくらもあるし、逆に地域、職場での個別的研究と離れてなされた研究であっても、普遍的意義をもつものはありうる。
このほか、地方労働運動史研究の意義を論ずるにあたって、地方とは「具体的には〈都道府県〉をさすものとする」と簡単に割り切っていること、また「地域、職場における個別的研究」を地方労働運動史とほとんど同じものとして論じていることなども、検討の余地があるのではなかろうか。
星島 一夫 著『地方労働運動史研究序説』愛媛大学経済研究叢書1、1967年、愛媛大学文理学部刊、114頁
初出は『労働運動史研究』第48号、1968年4月
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