《書評》
評者:二村 一夫 日本の社会運動の歴史において、重要な役割を果たしながら、見すごされてきた人物は少なくない。小岩井浄もその一人であろう。本書は、この小岩井の前半生を、その活動の主な舞台であった大阪地方の労働者・農民のたたかいのなかに位置づけた「小岩井浄論」を中心に、「新労農党論」「日本人民戦線史をめぐる諸問題」など8編の論稿を収めている。
しかし、本書はこの独自の見解について必ずしも説得的ではない。理由はいくつかある。第一は、人民戦線という本来、全国的な問題を論ずるのに、運動の全体的な状況について具体的に検討せずに、大阪地方だけの事例に拠っていることである。とりわけ社会大衆党の評価についてこの感が強い。第二は、論証がやや安易なことである。この時期の運動について、「社会運動の状況」や予審調書など官側の資料を多用するのは止むを得ないところがあるが、それだけに、もっと批判的に用いる必要があったのではないか。もっとも、多くの関係者からのききとりが、ある程度この欠を補ってはいるのだが。 最後に、最近の現代史研究の論争点の一つとなっている「何時まで人民戦線の可能性があったのか」という設問の不明確さを指摘しておきたい。いったい問題になっているのは、人民戦線運動の展開の可能性なのか、人民戦線成立の可能性なのか、あるいはファシズムを阻止する可能性なのか。本書の研究史的論稿も、この区別を欠いている。ちなみに、本書のタイトルも正確には「日本人民戦線運動史序説」とすべきであったのではないか。 岩村登志夫『日本人民戦線史序説』(校倉書房、1971年刊)、326ページ |