二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史


前口上(はじめに

 二村一夫という男は自他ともに認める〈食いしん坊〉である。定年退職の記念品として包丁とまな板を望んだことが、ときどき話題になる。ただし世にいう〈グルメ〉ではない。和食なら吉兆か辻留、フランス料理ならマキシム、イタリアンならサバチーニ、鰻は竹葉亭か野田岩などと講釈できるような知識はない。その昔、〈食通〉になりたいと思った時期もあるが、いかに半可通でも〈食通〉ともなれば常に食べ歩かねばならない。それには強靱な胃の腑と分厚い財布が不可欠である。だが、あいにくそのどちらも持ち合わせていないから、これはかなわぬ夢とすぐ諦めた。そうは言っても、一流の板前や名人シェフの料理には、なみなみならぬ関心がある。道場六三郎や陳建一、ムッシュ坂井が自ら腕をふるったひと皿を、せめて死ぬまでに一度は食べておきたいと願っている。もっとも、ひと皿食べれば、死んでもいいというわけではない。名シェフはこの三人だけではないし、世界中のおいしいものを色々とたべてみたいから。

 最近、一時間待ちのラーメン屋紹介などのB級グルメ番組を見ることがある。どんな味だろうと想像して楽しみはするが、行列に加わって食べようとまでは思わない。かなりの出不精なのである。そのかわり、家にいながら楽しめるテレビの料理番組なら、時代劇とともに、評論家がつとまるくらいよく見ている。実用番組にも関心はあるが、好んで見るのは料理ショーである。かつては「料理の鉄人」を毎週楽しみにしていたが、残念ながらこれは終わってしまった。いま贔屓にしている番組は、「ビストロスマップ」「どっちの料理ショー」、「チュウボウですよ!」などなど。「テレビチャンピオン」は食べ物系に限らず眺め、世の中にはこんなことにまで人生をかけている人間がいるのかと、感心したり呆れたりしている。実用番組のなかでは、「食彩浪漫」やケーブルテレビの《料理大学》が「愛視聴番組」である。とくに《料理大学》の畑耕一郎の明快な話とプロの技には、いつも感心している。

 こんな風に食い意地が張っているのは、食べ盛りを、戦中戦後の食糧難時代に過ごしたからであろう。食いものの恨みが、いつまでも尾を引いているに相違ない。もっとも、一九四二(昭和一七)年四月一八日の二村家の昼食のおかずはサツマイモの甘辛煮だった、などといった事実を、ドゥリトルの日本初空襲の記憶とともに覚えているところをみると、食糧難時代の怨念だけではなく、やはり生まれながらに食いしん坊なのかもしれない。

 そこで、というほど肩肘張った話ではないが、《二村一夫著作集》をわざわざ読みに来てくださる読者各位の気晴らしにもなればと、『食の自分史』執筆を思いたった。実のところは、『高野房太郎とその時代』の連載にやや倦んだ著者自身の気分転換をはかる意図もないではない。それに、研究者の哀しい性で、こんな雑文でもいくらかは学問的な意味があると言いたい気持ちもある。それと言うのも、この七〇年間の日本人の食生活の変化は、これまでの人類史にあまり例のない激しいものがあったと思うからである。たとえば現代の日本人は、しばしばイギリスの料理を、「まずい上に変化に乏しい」と悪口をいう。だが、実は一九二〇年代末から三〇年代にかけて東京で暮らしたあるイギリス人は、日本人の食生活について、まったく同じような感想をいだいていたのである。

〔食事に〕変化をつけるということは日本人にはあまり重要なことではありません。日本人は私たちとは違って単調さを厭わないのです。
キャサリン・サンソム著、大久保美春訳『東京に暮す』(岩波文庫)二四ページ。

 実際、私の体験でも、一九四〇年代以前の日本の庶民の多くは、ほとんど毎日毎食、ほぼ同じものを食べていた。米の飯にみそ汁、漬け物がその基本だった。それさえ食べかねた者も少なくない。だが今やそうした単調な食生活は完全に過去のものになってしまった。食材は世界中から集まり、調理法も和洋中、さらにはエスニックなど「なんでもあり」である。これほどの雑食性を示している国民は世界中にあまり例がないのではないか。いずれにせよ、七〇年近い生涯の間に体験した「食」をめぐる思い出のなかには、ぜひ書きとどめておきたいものが少なくない。たとえば、敗戦直後、ごく短期間だけ活躍した電気パン焼き器のこと、これで焼いた脱脂大豆粉のパンの味、というより無味については、体験者のひとりとして、ぜひ書き残しておきたいと思う。

 またこうした食習慣の激変が、日本人の体型や顔つきまで変えてしまったことも忘れてはなるまい。私の身長は一七〇センチ、同年代の人びとの間にいるかぎり上背はやや高い方に属する。しかし、いま電車で若者たちに囲まれると圧迫感を覚えることが多い。それに彼ら、彼女らの腰の位置は、こちらの胸に近い、というのはややオーバーだが、最近の日本人の脚が長くなっていることは確かである。それに、毎年、入学試験の監督をしながら、気づいたことがある。それは若者の顔の形の変化である。試験監督者の義務のひとつに、受験生ひとりひとりの顔を受験票の写真と見比べることがあるのだが、この一〇年から一五年ほどの間に、年々丸形や四角が減り、全体に面長になってきた。なかでもアゴの張りがなくなり、華奢になっている。柔らかい物を好んで食べる傾向が、アゴの骨や筋肉の発達、いや未発達に影響しているに相違ない。
 さらに言えば、一九三五年では男女とも五〇歳に満たなかった日本人の平均寿命は二〇〇〇年では男七八歳、女八五歳と、驚異的な伸びを示している。もちろん、この変化には医療の進歩といった他の要因もあるが、食生活の変化も寄与しているに違いない。こうした寿命や身体的な形状の歴史的変化を直接体験したものの一人として、記憶の糸をたぐって書きとどめておくことには、それなりの意味があろう。

〔二〇〇三年五月二三日 記〕



雑文集   『食の自分史』目次

(一) ガラスの瓶のドロップス  ファイルの先頭へ