(3) 離乳食
私は離乳食の味を覚えている。そんなことを言うと、「うっそー!」とか「いいかげんなことを言うな」とやっつけられそうである。だが、食べた離乳食についての記憶はかなりはっきりしている。 午前教会へ礼拝ニ行テ来タ。帰リニハ一夫モ同道ダッタ故ニ郵便局ノ傍ヨリ負フテ来タ。数日前ヨリ乳ヲ止メタ故カ、オ茶オブナント云ツテ瀕リニ水分ヲ要求スル様ダ。 翌36年6月に弟の正が生まれているから、下が生まれる前に離乳させておかなくてはと考えたに違いない。だから、離乳食を食べたのは2歳前後のころ、ことによると3歳になってもまだ食べていたのかもしれない。その離乳食こそ〈こおりもち〉であった。餅を、夜は凍らせ、昼は融けといった過程を繰り返すことで、水分をすっかり抜き、保存に耐えるようにしたフリーズ・ドライ製品である。寒天や高野豆腐の製法とほとんど同じ、厳しい寒さと空気が乾燥する土地ならではの特産品である。 三月十一日 一、 いつもお菓子として氷餅ばかり出しているが他のお菓子を出してはどうか。もしよろしければ、諏訪には相応の菓子がないので、江戸より届けてもらいたい。
私が離乳食として食べたのは、一般的な〈凍り餅〉ではなく、吉良義周もたべた秘伝〈氷餅〉だった。餅からつくった〈凍り餅〉の方は、熱湯を加えて戻すと柔らかい餅状になる。だが、秘伝〈氷餅〉は熱湯を注ぐと重湯状になるからである。私の記憶にある離乳食の〈こおりもち〉は、ねっとりとした液状のもので、餅ではなかった。これに砂糖を加え、甘くして食べたのである。 もちろん、私は離乳食として〈氷餅〉だけを食べていたわけではない。おそらく玄米の重湯や味噌汁の方が、はるかに日常的に食べさせられていた〈離乳食〉だったに違いない。だが、この方はまったく印象に残っていない。
もうひとつ、いくらかは離乳食的な意味合いもあったろうが、むしろ〈おやつ〉として幼時の私が食べていた粉食に〈むぎこがし〉がある。漢字で書けば「麦焦がし」であろう。関西地方では「はったい粉」と呼ぶもので、大麦を炒った上で粉にしている。地域によっては裸麦を使うこともあるらしい。砂糖を加え、熱湯で練って食べる。〈氷餅〉と似た食べ方だが、重湯状にすることはなく、もう少し硬く練った。私が愛好した食べ方は、初めは粉のまま、途中からだんだんお湯の量を増やし、さまざまな味を楽しむというものだった。粉だけだと咽せることがあるのは難点だが、香りは抜群である。〈むぎこがし〉の生命は麦を炒ったこうばしい香りだから、私は湯を入れずに食べるのがけっこう好きだった。別名が「香煎」(こうせん)であるのも、その香りの高さゆえであろう。
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