二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(八)



五家宝

五家宝、磯部せんべい、笹飴

 上諏訪時代のおやつのなかで、ときに思い出すのは、父が土産に買ってきてくれた各地の名菓である。この頃──一九三〇年代の半ばから四〇年くらいまで、つまり昭和一〇年代前半──父はしばしば東京や新潟をはじめ関東各地に出張していた。どうやら信州味噌、食用油、石鹸など、諏訪・岡谷近辺で作られていた製品の開拓セールスをしていたらしい。だから買ってきたのは、名の知られた菓子という意味では「名菓」だが、有名店の由緒ある「銘菓」ではない。国鉄中央線や信越線の駅頭で売られていた、ごく普通の菓子である。

 良く覚えているのは、熊谷の五家宝(ごかぼう。〈おこし〉と同じようなタネだがあれほど固くせず、糖蜜を使って柔らかくまとめたものを内側に、これも糖蜜で黄粉を固めた生地で巻き、さらにまわりを黄粉でまぶした、三層の棒状菓子である。たっぷりついた黄粉をこぼさずに食べるのは、子供には至難のわざで、手や顔をはじめ、そこらじゅうが黄粉だらけになった。サクサク感と粘りが共存するしっとりした独特の歯応えも悪くはなかったが、なにより香ばしい黄粉が好きだった。
  半年ほど前、NHKの「ひるどき日本列島」で熊谷の五家宝工場が紹介され、しばらく食べていなかったこの菓子のことを懐かしく思い出した。作り方は金太郎飴などと同様で、はじめは太い円筒状につくり、それをどんどん伸ばして行くものだった。ただ、私の記憶にある五家宝とはいくつか違う点があった。番組に出た工場のタネは、糯米をいったん粉にし、それを餅にしてからつくったあられを使っていた。昔の五家宝は、米そのものを膨らまし、これをタネにしていたように思う。ただし、これはうろ覚えの記憶だから定かではない。
  もうひとつ違ったのは、製品の丈である。昔は二〇センチ以上もある長いものを、切って食べていた記憶がある。いまは初めから短く切ったものが主らしい。こちらも記憶はあやふやだが、切って食べることは、宮本百合子の『二つの庭』にも出てくるから確かだ。

庭に面した座敷へ行った素子が呼んだ。
「きのう貰った五家宝切っておいで、お茶も願いますよ」
 やっとわが家でくつろげるという風に、伸子は子供らしい顔つきになって好物の五家宝をたべた。
「妙なものが好物なんだなあ」

 同じ信越線沿線の安中か横川あたりで売られていた〈磯部せんべい〉も好きな菓子だった。〈磯部せんべい〉も〈五家宝〉同様、ややローカルな菓子だから、よその地域の方はご存知ないかもしれないが、温泉せんべいの一種、群馬県は磯部鉱泉の特産品である。なによりサクサクした軽い歯触りが好きだった。どうも私は、カルケットといいウエハースといい、サクサク系に弱いらしい。別に歯が悪いわけではないのに、焼きひびの入ったような固焼きせんべいにはあまり食指が動かない。
  せんべいは、米を原料とするものが圧倒的に多いが、〈磯部せんべい〉はその点では少数派である。小麦粉に砂糖、卵白、それに炭酸と温泉水を加え、薄く焼き上げたものである。この〈温泉せんべい〉は、温泉まんじゅうと並び、温泉場では定番の土産品だから、同種のものは全国各地にある。関西では有馬温泉が有名だが、有馬よりは磯部の方が古くからあったらしい。有馬は明治の末、磯部は明治一〇年代が始まりだという。
  もっとも磯部が〈温泉せんべい〉発祥の地かというと、ちょっとあやしい。実はチェコにも同種の菓子〈コロナーダ〉がある。甘い薄焼きのせんべいで、〈カルルス塩〉が加えられているのが特徴である。〈カルルス塩〉とは、ボヘミヤの有名な温泉町カルロヴィ・ヴァリーの温泉水からとれる塩で、消化を助ける薬でもある。この〈コロナーダ〉「こそ、日本の温泉せんべいの祖先」だとは、熊倉功夫氏の説である。磯部せんべいも、誰かが〈コロナーダ〉の話を聞いて、作り始めたものだろう。
 若い読者のなかにはことによると〈温泉せんべい〉を知らない方がおられるかもしれない。でも風月堂の〈ゴーフル〉はご存知だろう。あれは、フランスで、古くから庶民の菓子として焼きたてを売っていたゴーフルからヒントを得たものだという。間にバタークリームが塗られている点は違うが、あの外側は〈温泉せんべい〉そのものである。

 ちょっと苦手というか、あまり嬉しくないお土産として記憶しているのは笹飴である。これは笹団子と同じく新潟名産。熊笹の葉に飴を貼り付け二つ折りにしただけの、まさに「素朴を絵に描いたような菓子」である。夏目漱石が『坊ちゃん』の中で、下女の(きよ)が土産にほしがったというエピソードを書き込んでいるから、知名度だけは五家宝や磯部せんべいより高いであろう。

 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。〔中略〕あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。
〔中略〕
 うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。

 飴が笹にくっついて剥がれにくいことがあるから、笹ぐるみ食べたくなる。だが、普通の人間では、とても熊笹の葉をむしゃむしゃとは食べられない。仮に食べたとしても、飴が歯にくっついて、始末におえなくなるだろう。笹飴は、口に入れたら、ひたすら舐めてとけるのを待つほかない。
  同じ水飴でつくった菓子に翁飴があるが、こちらは寒天を使いゼリー状になっているから、ずっと食べやすいし歯応えも良い。ともに、米から作った水飴が原料である。そういえば、水飴を割り箸のまわりに巻き付けて舐めたことを覚えている。離乳食の一種だったのかもしれないが、これも越後土産だったに違いない。米どころ新潟は水飴つくりも盛んだったからである。いずれにしても、さっぱりした甘さがとりえだけの単純な菓子だ。砂糖が高価な時代からの、庶民の甘味として愛好された古い歴史をもつものではあるが。

 このほか、父の土産には県内の名産もあった。これについては、また次回。

〔二〇〇三年七月一九日 記〕



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