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食 の 自 分 史

(9) みすず飴

信州名産「みすず飴」

 父の土産には、もちろん県内の名菓もふくまれていた。むしろ土産でいちばん多かったのは純長野県産の〈みすず飴〉だった。「飴」といっても、実際はゼリーの一種で、リンゴ、アンズなどの天然果汁に寒天、水飴、精製糖を加えてつくった菓子である。カップ・ゼリーのような柔らかさではなく、ねっとりと、しかし歯に粘り着くほどではない寒天ゼリーで、歯応えは翁飴に似ている。おそらく翁飴にヒントを得て作られたものであろう。詳しい製法は知らないが、まず大きな板状のゼリーをつくり、縦横それぞれ1センチ5ミリ、長さ3センチ5ミリほどに裁断し、これをオブラートでくるみ、さらにセロハンで包んだものである。小さな菓子だから、口さびしいときにちょっと食べるのに向いている。
 最近あまり見かけないから、ことによると「オブラート」を知らない人がいるかも知れない。澱粉とゼラチンでつくった食べられる透明の薄い紙である。飲みにくい粉薬を包んで飲みやすくするのによく使われ、今でも薬局に行けば売っている。

 名前の「みすず」は、いうまでもなく信濃にかかる枕詞「みすず刈る」から来たものである。この枕詞は、「万葉集」では本来「水薦苅(みこもかる)」と記されていたのを、賀茂真淵らが「水篶(みすず)」と読んだことからくる誤読に由来するという。だが、水辺の〈真菰〉などより、篠竹の別名〈美鈴〉の方が信州の自然に合致している。その意味で、この誤読は正しい誤り、あるいは、誤りの方にこそ真実があると言うべきだろう。何より、音の響きは「みすず」の方がずっと綺麗だ。信濃とはなんのゆかりもない詩人の金子みすずが、ペンネームに選んだだけのことはある。これに引きかえ、「みこも」から連想されるのは「おこもさん」ではないか。歌の枕詞にふさわしい言葉ではない。

 みすず飴は、母の生地である上田市で作られている菓子だから、母が頼んで買ってきてもらったのかもしれない。もっとも「みすず飴」は上田土産とは限らず、県内各地で売っていた。実は、長野市は善光寺の門前通りに、父がたいへん親しくしていた土産店があり、そこで買ったり、貰ってきたことが多かったようだ。この店には、私も一二度連れて行ってもらった記憶がある。
  ずっと後のことであるが、私は、その店のご主人・工藤さんのお蔭をこうむることになる。食とは離れた自分史になるが、脱線ついでに書きとどめておこう。
  工藤さんのご長男は私より3、4歳年上だったが、秀才で東大の経済学部にストレートで入ったご自慢の子息だった。父は、この工藤さんから息子に対する教育方針を聞いてきて、その真似をしたのである。それは他でもない、子供に自由に本を買うのを認めることだった。おかげで、高校生の私は、駅前の本屋で何時でも付けで本を買うことが出来るようになった。思いもかけない嬉しい話で、まったく工藤サマサマであった。
〔2003.8.2〕



 


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written and edited by Nimura, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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