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食 の 自 分 史

(10) 枝豆と黄粉

枝豆

 好きな食べ物は何かと聞かれると、答えに窮する。数え切れないほどあるから。その時、その土地、季節、気候、そしてもちろん体調によって違ってくる。ただ、「しょっちゅう食べるものが好きな物だ」とは言えるだろう。となれば、そのトップは文句なしに米の飯だ。1日に2回は食べている。朝はパンだが、昼食、夕食にはご飯が欠かせない。朝食は、主としてライ麦パンをバター代わりの胡麻ペーストと蜂蜜、梅ジャムなどをつけ、ミルクティをがぶがぶ飲みながら食べている。しかし、毎日ライ麦パンと紅茶だと、時には飽きてフランスパンとコーヒーにしたり、胡桃入りパン、胡麻パンなどにかえてみる。これに対し、なぜかご飯は飽きることがない。それどころか、外で飲んだりして、たまに食べないことがあると、何となくものたりない。幼いときから食べ慣れたものだからであろう。

 米の飯のと並んでよく食べるのは、豆、とくに大豆であろう。この季節だと、なんといっても枝豆である。色といい、食感といい、味といい、これだけ気に入っている食べ物は少ない。文句なしの大好物である。最近は、だだだちゃ豆(茶豆)、丹波黒豆、天狗印など、特定産地のブランドを売り物にした枝豆がつぎつぎとあらわれ、いろいろな味を楽しめるのも嬉しい。
 とはいえ、枝豆の味は、かなりは茹で加減で決まる。茹でたての熱々で、しかし茹ですぎない、いわば「枝豆のアルデンテ」が美味いと思う。だが、この茹で方がけっこう難しい。パスタなら、茹でる時間何分などと説明が入っていることが多いが、枝豆にはそれがない。3分とか4分がいいと言う人もいるが、その時によって実の入り方が違うから、茹でるのに必要な時間は違ってくる。茹でながら、ときどき熱いのを我慢しつつ、食べてみるのがいちばん確かである。
  よく飲み屋などで、今まで冷蔵庫に入っていたに相違ない冷たい枝豆が出てくるとがっかりする。そういう店に限って、長短さまざまな枝が付いたままの、文字どおりの「枝豆」である。これは、やはり、さやの端をきちんと切り落として、中に塩分が染みこめるようにしないとダメである。茹で頃もよく、あつあつの枝豆を出す店は、ほかの料理もうまいとみてよい。ただし、茹ですぎてしまった枝豆は、アツアツで食べるより冷めてからの方が、まだましである。冷製パスタはアルデンテではなく、すこし余計に茹でた方が良いというのと、同じ理屈だろう。

 未熟な、若い大豆を食べる習慣は、日本以外にはないようである。四半世紀あまり前、初めてアメリカに行った時に、あちこちのスーパーを回って枝豆を探したがどうしても見つからなかった。車でオハイオ州を移動中、見渡すかぎり枝豆状態の大豆畑にでくわし、1株か2株ほど頂戴したかったが、さすがに手は出さなかった。
  大豆は、世界中どこでも穫れる作物なのに、それを枝豆として食べないのは何故か、昔から疑問だった。友人のトム・スミスにその疑問をぶつけてみたところ、「大豆は家畜の餌としてつくっているので、人間が食べようとは思わないからだろう」との答だった。一理あるとは思ったが、ポーク・アンド・ビーンズでは大豆を使う場合もあるのだから、納得しきれなかった。「作物を未熟な状態で食べるのは無駄なことだから」という人もいたが、スイートコーンやヤングコーンは、まさに未熟な若いトウモロコシを賞味するものだから、これもあたらない。
  私は、日本人の嗜好が、新鮮な素材そのものの色や持ち味、食感を評価し、賞味する傾向が強いからではないかと考えている。これに対し、手間暇かけた調理を良しとする国では、未熟な大豆を茹でるだけの「調理」などは、とても「料理」とは考えないのだろう。日本では、さっと茹でる料理が少なくないが、フランス料理をはじめ欧米の料理は長時間煮込んで複雑な味を楽しむものが多い。あるいは中華料理のように、油を使って素材にコクを加える料理を発達させた。
  また、日本の水が全体に硬度の低い軟水であることも、さっと茹でる調理法を発達させたとする説がある。カルシウム分が多いと野菜の繊維質を固くするというのである。アメリカやイギリスで暮らした時に、茹でる調理にそれほど大きな問題を感じたことはないから、はたしてこの説が正しいかどうか、疑問がある。ただ、枝豆には、素材そのものの持ち味を愛でるという日本人の嗜好が、端的にあらわれていることは間違いない。
  だから一昨年、アメリカのスーパーで枝豆を発見したときは、ちょっとビックリした。アメリカでも健康志向の人びとが増えており、日本食は健康的だと評価されている影響だろう。残念ながら生の枝豆ではなく、すでに茹でて塩味までついていたが。けっこう日持ちが良いので、なにか保存料でも使っているのではないかと、ちょっと心配だったが、さっと茹で直してせっせと食べた。

 つい枝豆の話に身が入ってしまったが、ほかの大豆食品、とくに納豆や豆腐は、年間を通じてほぼ毎日食べている。この他にも、がんもどき、油揚げ、湯葉などもかなりの頻度で食卓にのぼる。これに味噌、醤油まで加えれば、間違いなしに大豆食品の方が、米の飯よりはるかに頻繁に食べている。もちろん美味いから食べるのだが、同時に健康によいからでもある。玄米食のところで、祖父を「口で味わうより頭で食べていた」と冷やかしたが、私自身も、かなりそうした傾向があることは自覚している。十数年前に心電図に異常が発見されてから、その傾向はさらに強まった。ただし、私は、祖父とは違って、「口でも味わう」口である。いかに健康に良いからといって、不味いものはごめんをこうむる。ただ、頭で食べているうちに、口の方も慣れてくる。昔大好きだった肉より魚が好きになったり、塩分控え目を心掛けている間に、あまり塩味の強いものは美味いと思わなくなってきた。いくらかは歳のせいもあるだろうが、習慣は人を変えるものである。

なっとう  ところで、幼児期に納豆を食べた記憶はない。あのネバネバはとても子供が好む食べ物ではないから、当然かもしれないが、あまり見た記憶もない。信州では、「糸引き納豆」は普及していなかったのかもしれない。6歳の時、東京は田端に引っ越した。そこでは毎朝、豆腐屋のラッパやシジミ売りとともに、「なっと、なっとー」の売り声が聞こえた。わが家でも、たまには藁苞に入った納豆を買ってはいたが、私は好きにはなれなかった。なんとか納豆を食べるようになったのは、大学時代である。駒場寮の食堂では、朝食のおかずは生卵と納豆だけしかない時が多く、否応なしだった。

 幼児期によく食べた大豆食品といえば黄粉である。好物のひとつだった。安倍川餅やおはぎのような定番の黄粉料理も、もちろん食べたが、今なつかしく思い出すのは、白いご飯に黄粉をかけただけの「黄粉ご飯」である。この食の記憶は、「水野のお婆さん」と結びついている。
  「水野さん」は、祖父母の隣家──といっても間には石段があったり池があったりでちょっと離れた隣家だったが──の表具屋さんだった。祖父とは妙にうまがあい、ほとんど親類づきあいをしていた。二人とも書道の先生で、生徒が多い日や、用事で自分が教えられない時は、互いに応援を頼み頼まれる間柄で、また禁酒会の同志でもあった。実に器用な人で、水引細工、折り紙細工などはプロ級の腕前だった。また墨絵の名手で、達磨の絵を好んで描いていた。ご本人が、達磨大師のようなつるりとした頭だったことも、達磨を得意にしていたのであろう。
 「お婆さん」の方は、水野夫人ではなく、お手伝いさん、つまり「飯焚き」婆さんだったらしい。いま思えば、おそらくバセドー氏病を患っていたのであろう、大きな目が顔から飛び出しそうな、腰の曲がったお婆さんだった。このお婆さんが、妙に私を可愛がってくれた。その愛情表現が、「黄粉ご飯」だったのである。道であうと、すぐ家に連れて行って、黄粉ご飯をご馳走してくれた。母はこれをひどく嫌がって、たびたび叱られた。にもかかわらず、しょっちゅうご馳走になったのは、黄粉ご飯が好きだったのと、断わるのは何となく申し訳ないような気がしていたからでもあった。
  祖父の家でも、よく安倍川餅を食べさせてくれた。餅を焼いて、これを熱湯のなかにいれ、柔らかくしたものを黄粉をたっぷりまぶした餅だった。あんころ餅もあったに違いないが、記憶に残る祖父の家の餅は、安倍川餅ばかりである。この黄粉が美味かった。自家製だったからである。炒りたての大豆を、石臼で挽いてつくったから、香ばしいかおりがした。重い石臼をゴロゴロ、ゴロゴロと廻しながら、上の臼にあけてある小さな穴から大豆を数個ずつ入れて行くと、上と下の臼の間から粉が出てきた。祖父は、この石臼で玄米を挽いて、玄米餅をつくるのにも使っていた。

 このほか、幼時にたべた大豆料理で思い出すのは、昆布と一緒に煮た煮豆や鉄火味噌、ひたし豆、それに呉汁(ごじる)である。呉汁は料理というほどたいしたものではない。一晩水に浸しておいた大豆をすり鉢ですり下ろし、味噌汁が煮立つ前に入れるだけである。大豆をすり下ろしたものを「呉」というらしい。呉を入れたらあまり沸騰させない方がよい。具はネギ、大根など野菜類のほか油揚げが相性がいい。

 こんな風にふり返ってみると、大豆は、米の飯と同じで、幼いときから慣れ親しんだ味の最たるものと言ってよいようである。acquired taste(文字どおりなら「獲得した味」、つまり食べ慣れることによって好きになった味。意訳すれば「大人の味」)という言葉があるが、長年食べ慣れたものは、なかなか離れがたいものである。
〔2003.9.7〕



 


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written and edited by Nimura, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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