二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史 第二部 小胃期


はじめに

 二〇〇五年一一月二五日、早いものでもう二年近い昔になるが、人間ドックで胃ガンだと分かった。数え年一〇〇歳の母を亡くし、野辺の送りをすませた直後のことである。父に胃ガンと直腸ガンの病歴があったから、これはいわば想定の範囲内で、思いのほか平静に受けとめることができた。その数年前から半年ごとに胃の検査を受けており、早期発見に違いないと考えたからでもあった。ただ想定外だったのは、ガンが〈未分化型〉だったことである。
  医者から最初に〈未分化ガン〉と聞かされた時には、早期に発見したから、まだガンが発達していない、だから〈未分化〉と呼ぶのだろうなどと勝手に想像していた。だがこれは完全な早とちりの勘違いだった。胃ガンの多数を占める〈分化型〉のガンは、ガン細胞が互いに繋がり合い、ポリープ状等に凝集する。したがって手術で取りやすい。ところが未分化型の場合はガン細胞がばらばらに散らばっていて見つけにくく、転移しやすいものらしい。〔なお、手術後の病理検査の結果、癌のタイプは〈未分化型〉ではなく〈中分化型〉であった、との最終判断を告げられた。 どうやら癌のタイプは、かなり多様なものらしい。〕その結果、早期に発見したのだから、とうぜん内視鏡手術で済むだろうと予想していたのに、開腹して胃の三分の二強を摘出し、リンパ節の郭清手術まで受けることになった。おまけに胆石があったため、胃だけでなく、同時に胆嚢を摘出することも決まった。これは胃癌の手術を受けると胆石症になりやすいためで、すでに胆石がある場合は、胆嚢切除が標準的術式だとのことであった。手術を受けたのは二〇〇六年正月十三日である。
 切除した箇所は胃の下部で、食道から胃につながる部分──解剖学的には噴門部というらしい──は残された。これはラッキーだったようで、全部摘出された場合や噴門部を切除した場合は、食べたものや胃液・十二指腸液などが逆流する逆流性食道炎となり胸焼けなど不快な症状がでるらしい。
  幸い術後の経過は順調で、今のところ転移も見つかっていない。ただ、胃が小児サイズになってしまったことは、1回の食事量が減っただけではすまなかった。食べ物の好み、はては味覚にまで影響をこうむったのは予想外だった。これまで毎朝食べていたパンや紅茶を身体が受け付けないのである。ライ麦パンに胡麻ペースト、それに蜂蜜をつけて食べることが多かったのだが、これが美味しくない。ぜんぜん食べる気がしないのである。病院で流動食ばかり食べさせられていた間、あれほどパンを食べたいと思っていたのが嘘のようであった。
 どうやら食に関する限り、手術前とは別人となってしまったところがある。こうした激変の体験を記録にとどめておこうと考え、この「食の自分史 第二部」を始めることにした。しかも時間の経過とともに、変化はさらに続いており、忘れぬうちに書き留めておきたい。小児期ならぬ、小胃期の記録としてご笑覧いただければ幸いである。

 それはそうと、胃の入り口をなぜ「噴門」と呼ぶのだろう? その昔大道芸で「人間ポンプ」と称する男が、ガソリンか灯油かを飲んで口から火を噴くのを見たことがある。彼の胃なら食道につながる箇所は「噴門」と呼んでも不思議はない。だが通常の人間は、あんな具合に胃の内容物を自在に噴き出すことはできない。十二指腸につながる出口部分の「幽門」といい、なんとも異様な命名である。
  ついでに言うと、英語の解剖学用語で噴門は「the cardia」と呼ぶらしいが、この語源は何とギリシャ語で心臓を意味するkardiaだという。そう言えば、心臓に関する医学用語にはcardia やcardioを冠するものが多い。心臓移植は「cardiac transplant」、心不全は「cardiac failure」、心臓専門医は「cardiologist」である。どうしてこんなことになっているのか、いずれは人間が自分の身体をどのように把握してきたのかという歴史とかかわっているのだろうが、語源を知りたい。ご存知の方はお教えいただければ有難い。

〔二〇〇七年十月七日 記〕



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