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食 の 自 分 史

(27) 野山のおやつ(1)
    ─ 桑の実、桜の実、木イチゴ

桑の実、 みすま工房・高尾信行氏撮影

 1944年秋、弟と私は2ヵ月余り世話になった大叔父の家を離れ、同じ村内の堀端ほりばたに移った。母や姉たちも疎開して来るので、家を借りたのである。大叔父の家がある「下の宮」は村を流れる鹿曲川かくまがわの下流にあり、山村にしては平坦な土地が広がる水田地帯だったが、「堀端」は村の中心部「本郷」の小字だった。役場や学校も近くにあり、小規模ながら町家が建ち並んでいた。小字名の「堀端」からもうかがえるように、ここはもともと小さな「城下町」だった。鎌倉時代から戦国時代にかけて、春日氏の居城があったのである。城といってもその当時の山城だから、館か砦に近いものだったに相違ない。家からすぐ傍に秋葉山があり、その坂道を登ること約二十分ほどの中腹に平場があり、そこが城の主要部だったらしい。山中のそこかしこに、空堀の跡がはっきり残っていた。

 この堀端で土建業を営んでいた「竹花組」がわが家の大家さんだった。当主は気っぷの良い親方で、その末息子の勇くんは私と同年、春日小学校と望月中学で同期だった。小柄で気のやさしい男だったが、先年亡くなった。
  わが家が借りたのは、母屋と棟続きの隠居部屋だった。雨戸のない家で、障子1枚が外との境だったから、冬には隙間から吹き込んだ雪が枕元に積もった。母と子5人の総勢6人が、ここに文字どおり肩寄せ合って暮らしたのである。徴用されて会社員となっていた父は東京に残り、その世話のために祖母もしばらく東京に留まっていた。だが敗戦の年の春、空襲で田端の家が焼け、祖母も疎開してきた。この「家」いやこの「部屋」から小学校へ通い、中学へも進学したのである。2年あまり住んだだけだが、敗戦の日を迎えた場所でもあり、忘れがたい思い出が数多く刻まれている。

 古い歴史のある地域だったからであろう、さまざまな伝統行事が残っていた。道祖神の祭り、正月の獅子舞、〈とうかんや=十日夜〉の〈藁でっぽう〉などなど。〈東京っぽ〉とか〈疎開っぽ〉と呼ばれた私や弟も、こうした行事に参加させてくれた。言葉や習慣が違い、生意気な小僧だった私でも仲間に入れてくれたのだから、それほど排他的ではなかった。もちろん、今なら〈いじめ〉とされるだろう出来事は日常茶飯事だったが、自分ではあまり〈いじめ〉にあっているとは感じなかった。同年配の子に比べ背が高かく、気も強かった私は、喧嘩をけっこう楽しんでいたふしがある。こんな調子で書いていると、いつまで経っても「の自分史」にならないから、そろそろ本題に入ろう。

 今の子供たちには想像もできないだろうが、戦時下の日本では、どの家であろうと、学校から帰れば〈おやつ〉が待っているといったことはなかった。だからといって子供は〈おやつ〉なしで済むわけはない。すぐ腹が減り、口さびしくなる。そうなれば、手近にある「食べ物」は何でも〈おやつ〉にしてしまった。
  そうした中で今も記憶に残るものは、さまざまな〈野山のおやつ〉だった。思い出すままに書き記せば、桑の実、木イチゴ、あけび、ヤマブドウ、生栗、鬼ぐるみなどである。正確には〈野山のおやつ〉とは言えないが、あちこちの家の生け垣などに植えられていたスグリ、グミ、それに植木のイチイの実もよく食べた。
  これらの中で、いちばん美味かったのは〈桑の実〉だった。濃い紫色に熟した〈桑の実〉は甘く、食べ始めると夢中になった。大木だと実の数も多く、むさぼり食べることが出来た。ときには先客の蟻も一緒に口に入れてしまい、そのザラザラした感触に驚きもした。蟻が酸っぱいものであることを知ったのは、桑の実の旨さと同時だった。ただ問題は、気をつけないとその汁で衣服を汚してしまうことだった。服を汚すのは気をつければ済んだが、舌や口の中が紫色になるのは避けようがなかった。もうひとつの問題は、実の成る桑の木がそれほど多くはなかったことである。養蚕が盛んな地域だったから、桑畑はいたるところにあり、桑の木はそれこそ五万とあった。しかし実がなるのは、幹が伸び枝分かれした木だけである。養蚕用の桑は、たえず根もと近くで枝を刈り取っているから、実の成る木にはならないのである。〈桑の実〉がなったのは、畑の隅や山の中などに、たまたま根付いた木だけだった。そうした木は、誰もが狙っていたから、タイミングが悪いと未熟な実しか残っていなかった。
  口を汚すといえば、〈桜の実〉も同じだった。サクランボではなく、山桜など花をめでるタイプの桜の木の果実である。サクランボより粒は小さく、味もちょっと苦みや酸味があり甘味も薄いが、黒く熟した〈桜の実〉は、けっこう美味かった。ただ、桑の木にくらべ背が高い木が多く、落ちた果実は傷んでいることが多かったから、容易に口にすることは出来なかった。
  私のような木登りが下手な子でも、簡単に食べることが出来たのは、近くの山の中のいたるところに生えていた木イチゴだった。実の色は赤、黄色など種類も多く、食べる季節も長かった。ただ、甘味はとても桑の実には及ばないし、水分が少なく、ざらざらして口当たりは良いとは言えなかった。それに棘があるものが多く、気をつけないと刺された。赤より数は少ないが、黄色い木イチゴが比較的旨かった。
  野山のおやつの思い出となると、まだまだあるが、今回はとりあえずここまで。
〔2006.6.22〕




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written and edited by Nimura, Kazuo
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