第100回「岩三郎 ─ 兄への想い」をもって、『高野房太郎とその時代』はひとまず終わりたいと思います。まだ、いくつか書き残した点はありますが、身辺の事情で、当分の間キイボードにふれる時間が限られるので、区切りをつけておきたいと思ってのことです。「身辺の事情」などと思わせぶりな言い方をしましたが、じつは先月下旬に胃に未分化型の癌が発見され、今月中旬に入院し、各種の術前検査を受けてきました。新春早々に再度入院し、手術を受ける予定です。母の死に続いて私自身の病気が重なり、最終盤になって執筆のテンポが鈍りましたが、100回という切りのよい数になり、内容的にも房太郎没後のことまでふれましたから、とりあえず「完結」とします。不満は多々ありますから、いずれ折をみて追補訂正したいと考えていますが、今は、何とか最後まで書き終えてほっとしているところです。
『高野房太郎とその時代』の「オンライン版書き下ろし連載」を開始したのは、今から6年前、2000年1月のことでした。アメリカへ行っていた1年間は休みましたから、実質的な執筆期間は丸5年です。この間、怠け者の私としては比較的勤勉に、毎月2本近いペースで書き続けました。本にすれば優に一冊を超える文章をインターネット上で書き下ろすことは、一般にはあまり試みられたことのない企てだったと思います。もちろん大事なのは中身ですから、「オンライン版書き下ろし連載」を自慢しても仕方ありませんが。
ただ、数多くの画像、それもカラー画像を使ったことや、叙述を裏付ける原史料を別ファイルとして復刻提供し、リンクを張ってすぐ跳べるようにした点などは、インターネットの長所を生かしたものと言えるのではないでしょうか。とくに古い手紙を現代語訳して読みやすくすると同時に、すぐ原文を参照できるようにした点は、それなりの意味があったと思います。また日本語訳だけが刊行されている英文通信や書簡の原文の掲載も、翻訳に疑問を抱かれた場合などに、役立つことでしょう。
いずれにせよ、本文と関連する原史料の大量公開は、紙幅に制約のないウエッブサイトだからこそ出来たことでした。公開史料のうち「房太郎から岩三郎宛ての手紙」は、すでに大島清氏の手で発表されていましたが、法政大学大原社会問題研究所の『資料室報』という発行部数の限られたメディアでの公開でしたから、このサイトで初めて目にされた方も少なくないと思います。さらに房太郎とゴンパーズの英文往復書簡集は、文字通り世界初公開でした。
連載中、思いがけなく多くの読者からメールをいただき、励まされたこともしばしばでした。内容的な誤りを指摘してくださった方々には、たいへん助けられました。また、さまざまなコメントを寄せられた熱心な読者には、この場をかりてお礼を申し述べたいと思います。これこそインターネットならではの体験でした。こうしたご批判やご指摘を受けた際、すぐに訂正できるのも、雑誌や書物とは違うウエッブ連載の強みといってよいでしょう。
反面、これだけ長い文章をモニター上で読み通すのは、かなり辛いこともまた確かです。これは、いずれ活字本とすることで解決したいと考えています。
みなさま、長い間のご愛読、有難うございました。