『二 村 一 夫 著 作 集』 付録

高野房太郎より高野岩三郎宛書簡
      一八九〇(明治二三)年八月八日付

        岩三郎殿
  八月八日           房太郎拝
七月五日及十六日出之御書状正ニ入手仕候
八坂町老母モ遂ニ永眠被致候由(えいみんいたされそうろうよし)十四年以来
拝顔スル事ヲ得ザリシモ幼少之(みぎ)リノ御深
愛ハ今尚明ニ記臆〔記憶〕致居候老者先ヅ行クハ命数
ノ習ヒ今更致方無之候得共(いまさらいたしかたこれなくそうらえども)御存生中ニ今一度
拝顔ヲ得テ幼時ノ御世話ヲ御礼申上タリシナラバト
転タ(うたた)感涙ヲ流シ候附テモ母上ノ事貴弟ニ申
サルル迄モナク自分ノ思フ通リ物事ノ成ラザル度ニ
若シヤ不慮ノ変起リテ日本ヘ帰ラザルベラカラ
ザル必要ニ迫ル事モアリテハト思ヒ出テ益々感慨ニ膽ヘサル〔耐えざる?〕
事モ有之候
母上御帰崎ノ旅費等ニ就而(ついて)ハ如何ニ都合相致候哉
小生ニ於テハ御請求次第ニテ如何様共都合致シ差
送リ可申候得共(もうすべくそうらえども)只今ノ処ニテハ一寸差支仕候故
貴弟ヨリ之御書面ヲ相待居候
大試業ノ結果ハ如何ニ有之候ヒシヤ定メテ充分
ノ御成績トハ思得共十六日便ニテ何トモ御報告ナキ故
念ノ為メ御問合セ申上候将又(はたまた)御撰定ノ科目ニ就テハ
小生別段申述ブル意見モ無之、学事上ニ暗ラキ
小生ニハ何ガ何ヤラ更ニ相分リ不申候乍去(さりながら)貴弟ガ政治
科ヲ撰バレタルニ就テハ(やや)不充分ノ思ヒヲ致シ居候得共
貴弟ニハ貴弟ノ定見モ有之候事ト思故(おもうゆえ)、唯充分ノ御見
込ヲ伺度(うかがいたく)左スレバ小生モ一考スルノ便宜ヲ得ル事モ有之候
高尾秀太郎氏未タ来ラレス候定メテ又々見合セララレタ
ル事ナラン仝氏若シ当地ヘ来ラレ候ハバ如何様共世
可致候(いたすべくそうろう)
小説一冊次便ヨリ相送可申候
今便ニテ先月分十弗相送リ可申候 永々ノ延引
申訳無之候(もうしわけこれなくそうろう)今月分ヨリハ無相違(そういなく)相送リ可申候
名宛ハ是迄凡テ東片町百三十六番地ト致シ来
リ居ル義ニ有之候定メテ郵便局ニテノ間違ト存候
当所モ已ニ開業以来半月余ニ達シ商業モ
日々繁昌ニニ赴キ居候当時ハ百弗内外ノ日々入金
ヲ有シ候乍併(しかしながら)雇人ノ総数十人家賃二百弗
且開業始故普請其他ニテ当分ノ処ハ到底〔二字抹消〕
利益ノ見込ハ無之候
今便ニテ八坂町ヘ弔状差出シ置候
右迄匆々
 此状着後ノ手紙ハ当所宛ニテ相願候
Tacoma Chophouse
1122, Pacific Ave.
Tacoma,Wash.




本書簡現代語訳

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一八九〇年一〇月九日付書簡

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