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食 の 自 分 史

(7) 川魚

鮒の雀焼き

 ここで母方の祖父母をめぐる食の思い出を語ることにしたい。前に「主食についての記憶はさだかでない」と述べたが、祖父の『日記』を読むうちに思い出したことがいくつかある。そのひとつが、祖父母の家にはいつも川魚があったことである。竹串に刺したハヤや鮒が炭火のそばに立ててあった。2、3匹のときもあれば、丸火鉢の縁に2、30匹、すき間なく立てまわしてあったときもあった。冷蔵庫などない時代だから、保存には火をとおし、乾燥させておくほかなかったのである。

 酒は飲まず、碁将棋もせず、生真面目を絵に描いたような祖父だったが、その唯一の趣味が釣りだった。『日記』にかならず記されている釣果から推して、お世辞にも名人上手とは言えないが、熱心な釣り人だったことは確かである。仕事がない時は早暁から釣りに出かけ、一日中、川べりで過ごしていた日さえある。なぜか諏訪湖にはまったく行っていない。漁業権の関係か、入漁料が高かったのであろう。祖父のお気に入りの釣り場は、宮川、上川など諏訪湖に流入する川の下流だった。とくに文出や六斗橋あたりによく出かけている。
  私も自転車の荷台に乗せられ、何回か釣りに連れて行ってもらった記憶がある。どうやら私は、この祖父母にかなり可愛がられていたらしい。『日記』には、2人の姉たちの名はあまり記されておらず、出てくる時も「二村の子供」と一括りにされている。これにくらべ「一夫」の名は実によく出てくる。祖父母にすれば、子供も女ばかり、孫の世代も姉や従姉妹など5人が女だったので、最初の男の孫が珍しかったのであろう。

 祖父が主に釣ったのはハヤ、ついで鮒、鯉、鯰などだった。趣味の釣りといっても、最近のようにキャッチ・アンド・レリースなどはせず、釣った魚は持ち帰って食べている。実益をかねた趣味であり、魚は重要な蛋白源だったに違いない。しかし私には、祖父が釣った魚の味についての記憶はあまりない。もともとハヤはあまり美味しい魚ではないから、覚えていないのであろう。だが、祖父が釣った魚か、あるいは買ったものかは定かでないが、鮒の雀焼きが旨かったことはよく覚えている。鮒を頭をつけたまま背開きにし、串に刺して照り焼きにしたものである。頭からかじるとかりかり、さくさくとよい歯ごたえがした。あるいはいったん油で揚げてから甘辛く煮付けたのかもしれない。雀焼きのほかに好物だったのは甘露煮である。鮒の甘露煮もわるくはなかったが、わかさぎや鯉も美味しかった。
  いずれにせよ、海のない地方に育った者の食生活は貧しい。なにしろ海の魚で食べることが出来たのは、とびきり塩がきいた塩鮭、身欠きニシン、干鱈、まれに塩ブリだった。あと魚ではないが信州特産の塩イカ。これらについては、また書くことにしたい。

 母方の祖母について、ほとんどふれてこなかったから、ここで紹介しておこう。名は〈まつ〉、旧姓は井出である。小太りで、つねに率直な物言いをする人だった。今でも、わが一族の多くの者に共通する「ひとこと多い傾向」「言わでもがなのことを口にする傾向」を語る時引き合いに出されるのが、この〈まつ〉さんである。この性癖を身内では「佐藤の血筋」と言うが、実際は「井出の血筋」である。佐藤の血筋に共通するのは頑固さであり、口が悪いのは井出の血なのである。一族のなかでも私は、この双方の血を色濃く受け継いでいるらしい。
 祖母について姉たちが繰り返し語るエピソードがある。

「佐藤のお祖母ちゃんは変わった人だったね。」
「なにしろ私たちがお祖母ちゃんちに遊びに行くと、すぐ〈何しに来た〉と聞くのよ。〈遊びに来た〉と答えると、〈そうか。じゃそこで遊んで見せろ〉と来たからね。」
「口が悪い点では静伯母さんもひけをとらなかったけど。」

 この静伯母は、私が諏訪中学の時代に世話になったひとである。私が多感な少年時代をともに過ごし影響を受けたこの人についても、いずれ書く時があろう。
〔2003.7.5〕






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written and edited by Nimura, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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