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食 の 自 分 史

(6) 祖母の手作りおやつ

五平餅作り、『日本の食生活全集』20巻、聞き書 長野の食事より

 幼児期だけでなく少年時代にいたる〈おやつ〉のなかで、思い出深いのはいっしょに暮らしていた父方の祖母の手作り菓子である。我が家では子供の買い食いは厳禁だった。母方の祖父の方針がここにも及んでいたに違いない。それもあってか、祖母は私たちにいろいろな〈おやつ〉を作ってくれた。あんころ餅や安倍川餅、おはぎ、草餅、団子、大福、饅頭各種、きんつば、茶巾絞り、水羊羹や豆腐羹、フルーツ羹などの寒天寄せ、甘酒、あられ、おやき、などなど。戦前は、どこの家でも餅やおはぎ、草餅などは手作りが普通だった。しかし、祖母の手作りは多彩だった。
 そうした祖母の手作り菓子のなかで、忘れがたいのは茶巾絞り、とりわけ長芋の茶巾絞りである。さつまいもやジャガイモの茶巾も美味かったが、長芋の茶巾は絶品だった。もっとも、他の家の手作り菓子と比較するだけの経験もない頃だから、絶品といっても私がそう感じた、という文字どおり主観的な判断にすぎないが。

 祖母は、名前を釜代(かまよ)といった。祖母にも若い娘時代はあったのだし、女の子なのに〈釜代〉とはひどい名をつけられたものである。実は、これは、庚申月〔こうしんづき=干支の〈かのえさる〉の日がある月〕に生まれた子には鉄、鎌、鍋など金のつく字を使った名をつけると幸せになるという俗信によるものだった。しかしその親心もまったく効き目はなく、彼女の前半生は、私などには想像もつかないほど苛酷なものだった。1883(明治16)年に飛騨の金山に生まれ、十代前半からあの有名な野麦峠を越えて信州に〈糸引き〉に出た。16歳で産んだ子は養子に出さざるをえず、35歳で夫をスペイン風邪で亡くし、以後は女手ひとつで3人の子を育てた。といっても何とか一人前になったのは私の父だけで、父の弟は20歳台末に自殺し、女子薬専で学んでいた妹は結核で早世した。
  祖母は小学校にも行けず、ほとんど無筆で、独学でおぼえた金釘流のひらがなを書くのがやっとだった。しかし、生きて行くのに必要な知識技量は抜群で、着るものであろうと食べものであろうと、素材から完成品まで独力で作り上げる力を身につけていた。繭から糸を引くのは長年鍛えた腕でお手の物だったが、くず繭を真綿にしてこれを糸に紡いだり、ボロ布や古くなった漁網からでも横糸をつくって〈いざり機〉でさまざまな布に織り上げた。こうした能力の一部は、家庭で幼い時から仕込まれてきたものだろう。だが、それだけでなく、祖母は上手な人の仕事を傍で見て、その技を学び取る意欲と才能をもっていた。菓子作りもいつ覚えたのか、腕前はセミプロ級だった。たとえば、水羊羹なども、小豆を煮て、皮をとり、何回も晒してアクをとって品のよい〈こし餡〉をつくることからひとりでやっていた。

 何でも自分で作ってしまう祖母に驚かされた記憶はいくつかあるが、ここでは戦時中〈ごへいもち〉を作ってくれた時の思い出を記しておきたい。なにしろ疎開先だったから、五平餅作りに必要な道具が何もなかった。他の家から借りてくることも出来たはずだが、祖母はさっさと自分で細長い四角な箱を作り、それに粘土を厚く塗って専用の炉というか横長の火鉢を作ってしまった。また、餅を刺す串は、古い唐傘をばらし、その骨を使って見る間に作り上げた。型にする竹の輪も、もちろん手作りだった。
 〈五平餅〉、あるいは〈御幣餅〉は、木曽や伊那谷、つまり天竜川流域を中心した長野・岐阜両県の郷土食である。祖母にとっては若い頃に食べた懐かしい味だったのであろう。御幣の形に似ているから〈御幣餅〉だとか、五平さんが作り始めたから〈五平餅〉だといわれるが、定かなことはわからない。一年中いつでも作るが、とりわけ新米の美味しい秋のご馳走である。餅米は使わず、うるち米だけを普通のご飯よりやや固めに炊き、炊きたてをつぶして粘りがでるようにする。完全な餅状ではなく、粒が残るいわゆる「半殺し」にするのである。五平餅の形は地域によって〈わらじ型〉、団子型などがあるが、わが家の五平餅は直径3センチ、厚さ2センチほどの竹の輪の「型」に押し込んで作った。
  この餅を2個、串に刺して炭火であぶり、胡桃を加えたゴマの砂糖醤油をつけて焼きあげた。たれに味噌を加える家もあるが、わが家の五平餅は胡桃たっぷりの醤油だれで、つけ焼きすると醤油、砂糖、ごま、胡桃がいっしょに焦げる何ともいえぬ香りが食欲をそそった。まわりはカリカリ香ばしく、中は新米の炊きたての香りがする柔らかい熱々をフウフウ吹きながら食べるのは楽しみだった。「ごへいごんごう=五平五合」という言葉がある。五平餅はひとりで五合の飯を食べてしまうほど美味しいという意味だ。味の良さもだが、五平餅は量をたっぷりつくるので、育ち盛りの私でも「あヽ、喰った喰った」と、満ち足りた豊かな気分にしてくれる幸せの〈おやつ〉だった。
  ただし五平餅は食べるタイミングが大事で、焼きたての熱々でなくては駄目だ。ちょっと時間が経ち、冷めてしまった五平餅は「まわりはねっとり中は固い」になってしまう。何年か前、友人からわらじ型の御幣餅を土産にもらったことがある。暖めたり、焼いたりいろいろ試みたが、記憶にある祖母の五平餅とは似ても似つかぬ代物だった。
〔2003.6.18〕




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written and edited by Nimura, Kazuo
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The Writings of Kazuo Nimura
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