二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(一二)


ネーブル


ネーブル・オレンジ、ネーブルとはへその意味である。

 それまで慣れ親しんだ蜜柑とは、形も大きさも味や香りもちょっと違う、この果物に出会った時の記憶は鮮烈である。生まれて始めての遠足で、場所の記憶と結びついているからだろう。豊島園の緑の芝生の上、いなりずしのお昼を食べた後のデザートだった。季節は秋、青空に陽が輝き、ネーブルもその光を受けつやつやと輝いていた。小学校に入学して最初の遠足だったから、一九四〇(昭和一五)年のことである。省線山手線〔JRや国電の前は、山手線は鉄道省所管の線路の意味で〈省線〉と呼ばれていた。もっと昔は鉄道院の線路で〈院線〉だった〕で田端から池袋まで行き、そこで今の西武池袋線、当時は武蔵野鉄道に乗り換えて、豊島園まで一時間足らずだった。今、わが家から歩いて行ける豊島園遊園地が、一年生の遠足の行く先だったのである。
  高い滑り台の上から池に滑り落ちるボート=ウオーターシュートに乗ってはしゃいだのも、この時のことだった。滑り降りる間も舳先にスックと立っていた船頭が、ボートが水しぶきを上げて着水したとたんに、大きくジャンプするのが格好良く思えた。
  私が六歳だったから、そのとき隣にいた母──間もなく九七歳になる──は三三歳、二人ともまだ若かった。皮離れが悪いので、とても指では剥けず、母が果物ナイフを使ってまるで林檎の皮を剥くようにクルクルと剥いてくれたことを鮮明に覚えている。とても甘かったと思うが、味の方はその後の記憶と混ざり合っているから定かではない。

 ネーブル(navel)とはヘソのことだとは後で知った。たしかに実の頂き、花落ちの箇所の形はヘソ状である。和名では〈へそかん〉〈へそみかん〉〈へそだいだい〉などと呼ぶそうだが、これは navel orange の訳語だろう。〈へそかん〉では高級果実らしくないからほとんど普及しなかったに違いない。でも最近は高級感も薄れているし、デコポンなどという名の仲間がいるのだから、国産品は産地名を冠して〈○○へそかん〉を名乗って売り込む方が、個性的で目立って、むしろ良いのではないか。

〔二〇〇三年一二月一〇日〕




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