二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(一五)


おふくろの味(1)──五目飯


混ぜご飯

 僕にとっての〈おふくろの味〉は何か? 《食の自分史》などという雑文を書き始めてから、ずっと気になっている。この歳になると、母の味より、一家を構えた後の食体験の方がはるかに長いから、母の味も連れ合いの味も、はたまた自分の味も入り混じり、どれがどれか定かではない。
  あれこれ考えた末に辿り着いた結論は、昔よく食べたが最近はあまり食べていない、しかし時に食べたくなるもの、それが〈おふくろの味〉だろう。となると、すぐ思いつくのは「五目飯」「混ぜご飯」といったご飯ものである。それに「ちらし寿司」も忘れてはなるまい。もちろん今でもたまには「炊き込みご飯」や「ちらし寿司」を食べている。だが、昔にくらべその頻度は減り、しかもわが家の手作りを食べることはあまりない。時たま作るのは、せいぜい季節の「豆ご飯」「筍ご飯」くらいのものだ。いまよく食べる五目飯は、出来合いの弁当か、寿司屋のちらしくらいである。

 僕が子供の頃、わが家のご馳走のひとつは、母の手作りの「五目飯」だった。「ちらし寿司」となると、これはもう、とびきり上等のご馳走だった。なにしろ食べる人数が多かったから、皆を手っ取り早く満足させるには、炊き込みご飯が向いていたのだろう。「ちらし」となると、酢飯を作ったうえに、具を別々に味付けしなければならないから、炊き込みご飯よりずっと手間がかかった。手間がかかることが、心のこもったもてなしとしての意味をもっていたに違いない。
  もっとも信州の山のなかで生まれ育った母が作るものだから、「ちらし寿司」や「五目飯」でも、具にエビだの生魚が入ることは一度もなかった。最高のもてなしの時に、鶏肉が入るくらいがせいぜいだった。ふつうは油揚げや凍み豆腐が目玉で、あとは椎茸、にんじん、ごぼう、かんぴょう、蓮根、蒟蒻(こんにゃく)などのうち何種か、それに(いろど)りとして錦糸卵や鯛田麩(たいでんぶ)、隠元かきぬさやが載った「ちらし」であった。小さい頃は桃色の鯛田麩が好きだったが、少し大きくなってからは甘辛く煮た「かんぴょう」がお気に入りだった。おっと忘れてはならないものに刻み海苔がある。海苔は好物で、たっぷりかけて食べると何とも幸せな気分になったものである。
  わが家独特だったかどうかは知らないが、他の家ではあまり食べたことがない「五目飯」がある。これこそ間違いなしの「おふくろの味」だ。ほかでもない、缶詰の鮭を主な具に野菜をいっしょに炊きあげた五目飯である。疎開先で近所の人にこれを振る舞った時、親戚のお婆さんが孫に「蜂の子ご飯のように美味いぞ」と言いつつ食べさせていた記憶が鮮明である。まだ「蜂の子飯」を食べたことがなかったから、よけい記憶に残ったのだろう。

 ところで、大人になってから、何度か山国の食体験の貧しさを痛感させられたことがある。そのひとつが岡山の「祭りずし」、これを食べたとき、というより見ただけでショックを受けた。同じ「ちらし寿司」とはいっても、そこには瀬戸内の幸が文字どおり山盛りだった。池田の殿様が出した「一汁一菜の倹約令」を逆手にとって庶民が考え出した料理だそうで、季節の魚が何種類も載っていた。(たい)(はも)(さわら)海老(えび)(ひらめ)すずき(たこ)、穴子、ままかり、はまち、などなど。海に近い地域の食の豊かさと、「蜂の子ご飯」を美味とした山国の貧しい食との落差を痛感させられた。

  「ちらし寿司」と違って、「炊き込みご飯」はご馳走とばかり言えないものもある。例の〈かて飯〉である。米不足を補うために、大根葉や大根、さつま芋、じゃが芋、かぼちゃ、などをまぜて増量した炊き込みご飯である。これも母の味のひとつではあるが、懐かしいわけではない。

〔二〇〇四年七月二四日〕



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