二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(一七)


クマ、ツグミ、アトリ



ライスカレーに入っている小さな肉切れが、弟の皿と比べて、ひとつ少ないとか、大きい小さいで大騒ぎした戦時下の貧しい食生活だったが、忘れがたい肉食の体験がある。ひとつは、最近世間をにぎわせている熊の肉、もうひとつはツグミとアトリである。熊は、数は減っているらしいが、この秋、日本各地で人里に出没して大問題になっており、狩猟鳥獣として捕獲禁止区域外では狩猟も許されている。インターネット通販などで公然と売られているから、その気になれば今でも食べることはできる。キロ一万円近い高級食材ではあるが。しかしツグミやアトリを食べた経験のある人は多くないだろう。ツグミもアトリも冬に群れをなして北から渡ってくる野鳥だが、今から六十年近い昔の一九四七(昭和二二)年に「保護鳥」となり、その捕獲に使われてきたカスミ網も禁止されたから。
 「忘れがたい食体験」としてツグミの名をあげては、野鳥の会の人たちに怒られるに違いないが、まだカスミ網禁止前の体験だからお許し願いたい。ツグミもアトリも、貧しい山の民にとって貴重な蛋白源だった時代のことである。

クマ肉もツグミやアトリも、乗鞍の伯父から送られて来たものだった。この伯父、福島立吉ふくしまりゅうきちは、祖母が若いときに里子に出した子供、つまり父の異父兄である。北アルプスの山岳ガイドの草分け、それもスキーができる冬山ガイドだった。八十歳を過ぎた彼が口述した『北アルプス乗鞍物語』(長沢武編、ほおずき書籍、一九八六年)は、観光地になる前の乗鞍周辺の山村の暮らしや、日本のスキーや登山草創期の貴重な証言となっている。編者の筆が入って、彼独特の語り口が消えているのはちょっと残念だが、乗鞍周辺の草木、地名や習俗などが驚くべき記憶力で語られている。
 もっとも、クマ肉やツグミを送ってくれたのが父の兄だというのは、後で分かったことである。「乗鞍の親類」というだけで、それがどういう関係なのか、誰も教えてはくれなかった。不幸な祖母の過去と繋がっていたからだろう。どういう経緯があったのか知らないが、祖母はこの里子に出した子のことを心にかけ、いつの頃からか、行き来する関係になっていたのであった。

肉が送られてきたのは、もちろん冬だった。クール宅急便などない時代に、どうやって届けられたものか分からないが、おそらくいったん外で凍らせて送ってくれたのであろう。クマの肉は大きな塊として送られてきた。熊など食べたこともない母が調理したからであろう、記憶に残っているクマ肉は、噛み切ろうとしても歯をはね返すほどの「固い固い代物」だった。おそらく祖母がまだ諏訪にいた頃に違いない。祖母なら自分が四つ足を食べなくとも、熊の肉は長い時間をかけて煮込む必要があることくらいは知っていただろうから。
 歯が立たないクマ肉と違い、ツグミやアトリは美味かった。網にかかった姿のママ送られて来た何十羽もの野鳥を、毛をむしり、くちばしだけ取り去り、炭火で焼いて文字通りのヤキトリにして食べた。ツグミの方がアトリより一回り大きく、味も良かった。いま考えると可哀想なことをしたものだが、毛をむしられた姿の小鳥を頭から武者振りついて何羽も夢中で食べた。頭がとりわけ美味しかったことを、いまなお覚えている。

〔二〇〇四年一〇月二一日〕



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