二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史 第二部 小胃期

二 胃癌手術後の病院食(中)  三分粥

 回診の度に、担当医の先生方は「たいへん順調な回復ぶりです」と言ってくださる。だが、その言葉とは裏腹に、手術から一週間が過ぎても流動食が続くのには、いささかウンザリ。食事が始まっても三日間は流動食だけだった。内容は重湯、それに味噌汁かコンソメスープ、あとは牛乳と果物ジュースのワンパターンで、変わり映えがしない。しかも総量は二〇〇ccに制限されているから、各五〇ccとごく僅か。胃を三分の二以上切り取っているのだから、慎重にすすめざるをえないのは分からないではない。だが、もう少し患者の回復にあわせた食事にしてくれても良いのに、と思うことしきりだった。
 ちなみに枕元に掲げられた患者氏名の名札に記された担当医は八人。週一回の教授回診の時には、このほぼ全員がついてくる。それ以外は交代で、最低二人、時には五、六人で来室して診てくれる。包帯交換のときなど、全員で分担しての作業だから、まるでF一のコックピットのよう。あっという間に終了する。外科はチーム医療であることが、良くわかる。教育を兼ねた大学病院だから人数が多いのかもしれないが。
 手術から八日経った一月二一日にようやく流動食を卒業、三分粥になった。「三分粥」とは、米一に対し水二〇の割合で炊きあげたものだそうだ。何でこれを三分粥と呼ぶのかいろいろ調べてみたが、良く分からない。推測するに「全粥」が米一に対し水五、「五分粥」が米一に水一〇、したがって米一に水二〇は二・五分粥だが、切り上げて「三分粥」としたのだろう。日本語には、英語の「quarter」のような、四分の一を一語で表現できる言葉がないから、これも仕方がないか。

  以下、日記から食事関連の箇所を中心に抜粋する。



一月二一日(土曜) 術後八日目。
 目が覚めると、窓の外に白いものが舞っていた。例年、大学入試センター試験の日には良く雪が降るような気がする。この冬の初雪だったが、珍しく一日中降りしきり、かなり積もった。
 今朝、これが最後という点滴を開始すると同時に、針を刺した横から液が洩れ、ひどく痛い。苦情を言ったところ「口から水分を多めにとるように」という条件付きで、点滴は中止になる。形のある食事の開始と点滴の終了が同時になった。これは嬉しい。
 いつもよりちょっと遅い午前八痔一〇分、朝食が配膳されて来た。一般の患者と違う特別食なので遅くなったのだろう。待ちに待った形のある食事、これだけで嬉しい。思い立って、毎食の写真を撮ることにした。以下、写真による「胃切除手術後の病院食」の紹介である。予想より皿数があり、量も多い。手前右から三分粥、なめ味噌、はんぺんの煮物、後列右はカボチャの煮物、左は麩とネギの具の味噌汁である。はんぺんは一センチ弱、カボチャは五ミリ角程度に細かく刻んである。
胃の切除手術後8日目の朝食

 術後初めての食事らしい食事を、四〇分近くかけて食べた。担当医から「ゆっくり時間をかけて食べること。出たものを全部は食べず、半分くらいは残しなさい」と指示されているので、三分粥は八割ほど、カボチャは三分の一、はんぺんは半分、なめみそはほんの少々、味噌汁だけは全部たいらげた。白状すると昔から〈はんぺん〉はあまり好きではないのだが、生まれて初めて美味しいと思った。一〇日ぶりに歯をつかって食べたからだろう。それに薄味だが、味付けも悪くなかった。もっとも、小さく刻まれていることもあってか、カボチャは少々水っぽい。
 食後、胃切除者向けの薬との説明で「エクセラーゼ」が処方され、さっそく一カプセル飲んだ。インターネットで調べたところ、「エクセラーゼ」は各種の消化酵素を組み合わせた総合消化剤と分かった。「牛や豚の蛋白質にアレルギーのある人は飲んではいけません」とも記されているから、おそらく牛や豚の胃から作った薬なのだろう。
 今日からは一日六食、と言っても朝昼夕の三食、その間におやつが三回出る形なのだが。朝食が終わって一時間ほどで出た最初のおやつは、MARIEが三枚と牛乳二〇〇cc。牛乳はミルクティにして三分の一ほど、MARIEは二枚でおしまいにする。
 昼食は、冬瓜のおすまし、三分粥、シラスが載った春菊のおひたし、鱈とキャベツのミルク煮、ジャガイモと人参の煮込み。食材はすべて五ミリ角程度に細かくしてある。食欲旺盛で、出た食事を半分以上食べてしまった。さっそく担当医から「食べ過ぎないように」と注意される。 胃の切除手術後8日目の昼食
 三時のおやつは缶詰の蜜柑を使ったゼリー、オレンジジュース、カルケット四個。〈カルケット〉は、七〇年も前に離乳食として食べたことがある、カルシウム添加をセールスポイントにしたビスケットだが、まだ市販されているとは知らなかった。一個だけ食べる。昔懐かしい味というか、ごくごく普通の牛乳ビスケットだ。
 夕食は麩のすまし汁、三分粥、梨の砂糖煮(生からではなく缶詰)、かんぴょう入りの炒り卵、なめ味噌、それに大根と人参と鶏そぼろの煮物。 胃の切除手術後8日目の夕食

 夜八時、三度目のおやつが出る。暖かいカルピス五〇ccほどとボーロ二〇個。〈カルケット〉〈ボーロ〉と乳幼児用のお菓子が続く。胃を切除すると、食事に関する限り乳幼児扱いが無難と言うことらしい。さすがに〈ボーロ〉は手が出ず、カルピスだけを飲む。
 夜中に目が覚め、ちょっとお腹がすいたので、ミルクティをつくり残っていたMARIEで虫押さえ。


一月二二日(日曜) 快晴 術後九日目
 今日から蓄尿がなくなる。どうやら点滴と尿量測定は連動しているしい。恒例の体重計測は、パジャマのままで六五・六キロ。腹帯がなくなった分を考慮すると、前回とまったく変化なし。三分粥は今日でおさらば、明日から五分粥になる。
  朝食は白菜の味噌汁、三分粥、麩と人参の煮物、なめみそ、里芋の煮物。いささか三分粥にも飽き、半分ちょっと食べておしまいにする。

胃の切除手術後9日目の朝食

 一〇時一五分におやつが出る。牛乳二〇〇ccとMARIE三枚が出る。MARIEを二枚、牛乳はミルクティーにして半分ほど飲む。
 昼食は蕪のお清まし、三分粥、白滝・人参入りの卵豆腐にくずあんかけ、蕪の甘辛煮、春菊とシラス。

胃の切除手術後9日目の昼食
  午後のおやつは、缶詰の桃と蜜柑にヨーグルトをかけたものと、カルケットにオレンジジュース。
 夕食ははんぺんの吸い物、三分粥、白身魚の田麩、サツマイモの甘辛煮、みそ、梨の砂糖煮。 胃の切除手術後9日目の夕食
   今日は二組のお見舞いがあり、こけし屋のクッキーなどいただく。病院のおやつは乳幼児向けのお菓子ばかりで、いささか閉口していたところだったから嬉しかった。夜のおやつとして、病院から出たのは、またもやカルピスとボーロだった。だが今夜は、いただいたクッキーで大人の味を楽しんだ。とくに甘くないクッキーがいい。

〔二〇〇七年十二月三十日 記〕



雑文集   『食の自分史』目次

はじめに  ファイルの先頭へ