二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(二一)

おのっぺ

おのっぺ

 わが家の大晦日の食事は信州の流儀、つまり「年越しそば」ではなく、「お年取り」を盛大に祝うやり方である。父は商人だったから御多分にもれず大晦日は大忙しで、年越しそば派になっても不思議ではなかった。それが頑固に信州の食の慣行をひきついだのは、祖母がいたからであろう。
 「お年取り料理」の内容は七〇年間にずいぶん変化した。ただ、変わらぬ基本となるものがある。「おのっぺ」と称する具沢山の汁、それに「年取り魚」としての鰤だ。この二品は、私が好きだからということもあるが、変わらず続いている。変化が激しいのは、他の料理、これは一般的なお節料理なのだが、こちらは時代によってかなり変化している。

 今回のテーマは「おのっぺ」である。「おのっぺ」は信州だけの呼び方のようで、一般的には「のっぺい汁」というらしい。「のっぺい」は辞書にも出ており、漢字で書くと「能平」あるいは「濃餅」だという。だが、これはどちらも当て字だと思われる。今ではまったく使われない言葉に「のっとり」がある。これは「ねっとり」と同じで、粘りけがあって滑らかな状態を指す言葉である。おそらく「のっぺい」は、この「のっとり」からきた言葉であろう。というのは、本来の「のっぺい汁」は、具沢山の汁に水溶きの片栗粉などを加えて、トロミをつけたものだからである。これまで私は「のっぺい」は信越地方の郷土料理だと思いこんでいた。しかし、今回googleで調べたところ、北は岩手県から南は熊本まで全国各地に「のっぺ汁」、あるいは「のっぺ」「ぬっぺ汁」「のっぺ煮」があることを発見した。どうやら「おのっぺ」は信越特有の郷土料理などではなく、ほとんど全国区的な料理らしい。ただ、どの地域でも、「のっぺい」は俺らが国さの郷土料理だと思っている。なかでも新潟県人は越後の代表的な郷土料理だと思い込んでいるらしい。たしかに、新潟では冷たい汁として夏でも食べ、トッピングにイクラを載せるなど、独特な発達をとげているようである。いずれにせよ、どの地域でも「郷土料理」だと考えている点は「のっぺい汁」の特徴と言ってよい。

  ところで、平凡社の世界大百科事典によると「のっぺい汁」は古い歴史のある料理で、鳥料理として発達したものなのだそうである。江戸時代には「のっぺい汁」を売り物にする店まであり、堀の内妙法寺門前の〈しがらき〉が有名だったと言う。ことによると、各地の郷土料理も江戸で味をしめた人が、故郷へ伝えたものかもしれない。どうやら「のっぺい汁」は、もともとは「けんちん汁」などと同じ一般的な調理法だったようである。もっとも、トロミを澱粉でつけるか、里芋やナメコ、あるいは長芋を使うかなど、各地の産物に応じて様々に変化し、どこでもその土地特有の「郷土料理」となったのであろう。共通しているのは、味噌を使わぬ澄まし汁であることだ。

 さてわが家の「おのっぺ」だが、具には里芋、大根、人参、ゴボウなどの根菜、さらに蒟蒻、焼き豆腐、椎茸、昆布、それに「鰤カマ」が加わる。また、汁は醤油味のすまし仕立てだが、トロミはつけない。つまり、わが家の「おのっぺ」は、名前の由来である「のっとり、ねっとり」ではない、さらりとした汁物なのである。本来の「のっぺい汁」とは無縁の料理ということになる。このように書いてくると、果たしてわが家の「おのっぺ」が、どこまで信州流と言えるのか、それも定かではなくなってくる。なにしろ、私はこれまで他の家「お年越し料理」を食べたことがないのだから。
  実は、かつてわが家では誰も酒を飲まなかった。母方の祖父が禁酒運動家だったこともあり、父は体質的にまったく酒をうけつけなかったからでもある。今わたしは少量ながら晩酌をやっている。だがその昔、二村家では「お年取り」のような祝いの席でも、最初からご飯を食べながらの食事であった。したがって、汁物が食事に占める比重は大きかったに違いない。「おのっぺ」にトロミをつけないのも、そうした食習慣から生まれたものかもしれないのである。確かなことは、わが家の「おのっぺ」が信州全体の「お年取り料理」の典型例と言えないことである。それは、「おのっぺ」にブリを使っている点である。周知のように「年取り魚」は、西日本では鰤、東日本では鮭で、その境界線は信州を通っている。大まかにいうと、北信は鮭、南信は鰤なのだ。それに、どうやら南信のどの家でも「おのっぺ」に鰤を使うわけではなく、鶏肉などを使う家もあるらしい。どうも「食の自分史」というより「のっぺい汁研究」のような内容になってしまったが、今回はここまで。

〔二〇〇五年一月一一日〕


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