野山のおやつの「王様」、というより「あこがれの的」だったのは、アケビである。秋の木洩れ日を受けて輝く紫色の実の美しさ、ぱかっと割れた実からのぞいている半透明の乳白色の果肉に惹きつけられた。何よりその魅力を増していたのは、それを手に入れることの難しさだった。アケビの実は、高い木に巻き付いている蔓になるから、子供の手に届かぬところにある場合が多かった。〈高嶺の花〉ならぬ〈高嶺の実〉だったのである。蔓がからんでいる木が細ければ、蔓を引っ張り、幹を曲げて手許に引き寄せればよかった。だが、多くの場合は木に登らなければ手に入らなかった。それだけに、ゼリー状の果肉を口にしたときの感激はひとしおだった。
もっとも、実の大きさの割には皮が厚く、白い果肉の部分は小さかった。しかも、果肉のなかには大粒の黒い種が多数隠れているから、食べられるところはごく僅かだった。少々苦みのある種を口の中で選びわけ、たえず吐き出しながら、種の周りをなめるようにして食べたのである。ただ、野のおやつの中では甘味が比較的強かったし、ひとつ見つければまわりに数個はあることが普通だったから、これを見つけた時には胸が高鳴った。
この時期、私はよく一人で山の中を歩き回った。それほど遠出をするわけではなく、近くの山の中をほっつき歩いたのである。秋だと、背負い籠を肩に、栗の実やキノコを探し回るのが主な目的だった。キノコの種類は多く、シメジ、紫シメジ、栗茸、ネズミ茸などだった。キノコや栗は、キョロキョロと足下を観察し、それと同時に、アケビやヤマブドウを見つけようと、上も眺めながら、暗くなるまで山のなかで過ごした。前回、「あまりイジメにあった覚えはない」と書いたが、一人での山歩きを好んだところを見ると、実際にはかなり孤立していた時もあったのだろう。
実のところ、いまアケビの実を食べて美味しいと思うかどうか、ちょっと疑問だ。なにしろ食べられる部分は、ごく僅かなものものだから。種なしアケビでもできれば、けっこう果物としても通用すると思うが、そうした栽培種はまだないようだ。もっとも、山形など東北地方の一部では、果肉だけでなく、皮を食べるそうだ。水にさらして苦みを抜いた上で、油炒めにしたり、天ぷらにするらしい。その頃、これを知っていれば、大事に家に持ち帰っただろうが、見つければその場で食べて皮は投げ捨ててしまった。今度見つける機会があったら、ぜひアケビ皮の料理も試みてみたいものである。
【追記】
冒頭に掲げた写真はCOOL-1氏が撮影されたもので、〈COOL-1's HOMEPAGE〉のDIARY欄に掲載されている。転載を許可してくださったCOOL-1氏にお礼を申し上げたい。なお、そこでは美しいアケビの花の写真も見ることが出来る。