二 村 一 夫 著 作 集

食の自分史(二九)

野山のおやつ(三)──柴栗と丹波栗

栗、撮影:大井啓嗣氏@デジタル楽しみ村

 〈野山のおやつ〉のうち、子供でもすぐ見つけることができ、よく口にしたのは栗だった。もちろん、実の小さな柴栗しばぐり)である。春日村には、周囲の山のあちこちに野生の栗の木があり、秋には簡単に拾うことが出来た。イガが足に触れば、その周囲には必ずといってよいほど実が落ちていた。艶のある光を放つから、実を探し出すのも容易だった。

 日本全体が飢えていた時期だったから、〈柴栗〉といえども貴重品だったに違いない。だが、敗戦前後の時期、この山村で、この小さな実を拾い集める人は多くはなかったように思う。農繁期と重なるし、男手は兵隊にとられて、栗拾いなどする余裕もなかったのであろう。

 実だけがこぼれ落ちていることもあったが、イガに包まれたまま地面に落ちているものも少なくなかった。そんなイガを見つけると足で踏んで、実を飛び出させた。運動靴ならよいが、草履ばきの時は気をつけないと棘が足に刺さった。
 栗の実を見つけると、歯で噛んだり、鉈か鎌で皮に傷をつけて鬼皮を剥ぎ、生のまますぐ口に放り込んだ。もちろん渋皮も爪や刃物を使って取り除こうとはしたが、とても取り切れるものではなかった。それに〈柴栗〉の渋皮は比較的薄く、渋味もそれほど強くはないから、渋皮ごと食べてもあまり気にはならなかった。カリカリと音をたてて何遍も噛んでいるうちにほのかな甘さが口内に広がる、あの歯応えは忘れがたい。疎開しなければ、知ることのなかった食の体験である。どんな味かと聞かれれば「お試しあれ」と答えるほかない。あえて言えば、「野山のおやつ」とは言えないが、ほぼ似たような状況で食べた生のサツマイモと良く似た味である。もちろんどちらも生よりは加熱した方がずっと美味いが、山の中ではそんな手間はかけられず、そのまま食べたのであった。
 たくさん拾った時は家に持ち帰り、茹でたり、蒸したりして食べた。味の点だけで言えば、焼く方が水分がとんでほくほくし、甘味も増えて美味しい。だが、これがけっこう難しかった。焼きすぎれば炭になり、焦がすまいとすれば生焼けになる。それと、上手に鬼皮に穴をあけておかないと爆発して、実が飛び散ってしまうからである。その点、間違いないのはゆで栗だった。ゆであがれば歯でふたつに割り、あとはスプーンですくって食べた。実が小さいので、食べるのに時間がかかったが、それもまた楽しいことだった。

丹波栗と柴栗、撮影:寺川真知夫氏

 〈柴栗〉なら至るところにあったが、実の大きな〈丹波栗〉は何処にでもあるというものではなかった。堀端のわが家の近くでは、秋葉神社の参道入り口の傍らに一本の大木があった。しかしこの〈丹波栗〉の実を手に入れるのは容易ではなかった。〈柴栗〉と違って、競争相手が多かったからである。かなり背の高い木だったから、誰もが落ちてくる実を拾うのだが、その季節になると、何人もが木の下に集まった。まだ夜が明けぬうちに眠い目をこすりながら家を出て、暗い地面を目を皿のようにして探し、ポトンと音がすると、そこへ飛んで行った。それだけに、他の人を出し抜いて四、五個も拾ったときは有頂天になった。すぐには食べず、茹でるか焼くかしてゆっくり食べた。〈柴栗〉にくらべるとやや大味だが、一個で〈柴栗〉の五、六倍は身があるから、それだけで豊かな気分になった。

〔二〇〇六年八月二二日〕

【追記】
 冒頭の挿絵に使った写真はデジタル楽しみ村から借用したものです。また、丹波栗と柴栗の写真は寺川真知夫古代文学研究室からお借りしました。記して感謝の意を表します。






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