〈野山のおやつ〉のなかでの「大好物」は、文句なしに
「胡」とは異民族、外国を指す語で、
私は、昔から今にいたるまでナッツ類には目がない。松の実、アーモンド、カシューナッツ、マカデミア、ピスタチオ、ピーカン、ヘーゼルナッツなど、そのままローストしたものを良く食べるし、砕いたもの、砕けたものはアイスクリームにかけたりもする。チョコレートやクッキー、ケーキ類も、好んでナッツ入りを買っている。とりわけ胡桃はお気に入りで、菓子類だけでなく料理でも、野菜の和え物、サラダのドレッシングやトッピングなどによく使う。胡桃入りのジャコの佃煮やくるみ味噌は、ほとんど常備菜といってよい。だから、半年あまり前に手術を受け、『胃を切った人の食事』といった本で「避けた方が良い食べ物」の代表例として「ナッツ類」が挙げられているのを見てガッカリした。だが今になれば、量こそやや減ったとはいえ、以前とほとんど変わりなく食べている。おそらく、前世ではリスだったに違いない。
子供のころ鬼胡桃が大好物だった理由は、味が良いだけでなく、柴栗のように簡単に口に入るものではなかったからでもある。もともと木の数が栗より少ない上に、栗と違って、木になっている間に採る人がいたのであろう。だが、木になっている状態の胡桃は、そのまま食べることは出来ない。緑褐色の外皮を取り除かないと、我々が見慣れた胡桃は出てこないのである。しかもこの緑の外皮は臭いし、毒もある。だから採取した実を土に埋めるなどして外皮を腐らせてから実を洗い、乾かすのである。この点、ちょっと銀杏に似ている。
〈野山のおやつ〉としての鬼胡桃は、山の中や川原でたまたま見つかるものだった。なぜか鬼胡桃の木は、山の中より川岸や川原で目立っていた。実が堅い殻で守られて水に浮くから、大水などの時に流されて流域に広がったものであろう。こちらの目にとまる頃になると、緑褐色の外皮はすっかりなくなり、硬い殻がむき出しになっていた。当然のことながら、一度に一個か二個くらいしか見つからない。だがそれで十分だった。鬼胡桃を食べられるまでにするのは、子供には一仕事だったのである。柴栗のように、その場で食べるという訳には行かなかった。
栽培種の樫胡桃なら、尻の軟らかい箇所にネジ回しなどを差し込み、ちょっとこじりさえすれば、すぐ二つに割れる。殻も全体に薄いから、木槌などで割ることも可能で、中の実をそっくり取り出すことさえ不可能ではない。これに比べると、鬼胡桃は格段に手ごわい相手だった。石の上に置いて金槌でたたき割ろうとしても、割れずに横にすっ飛んでしまう。飛ばないように押さえて金槌を振るうと、指を痛める恐れがある。実際、何回か指を叩いたことがあった。後に祖母から、鬼胡桃を割るには、しばらく水に浸けた上で火であぶると良いことを教えられたが、最初はひたすら金槌をふるっていた。逆にヒビが入った後は、あまり強く叩かないようにしないと、実と殻が同時に粉々になってしまった。うまく2つに割れても、中の身を取り出すのがまた一苦労だった。カシグルミだと、中身、つまり
疎開先の信州佐久地方は、日本有数の胡桃の産地で、あちこちに胡桃の木があった。だがそれは、栽培種の信濃胡桃か