紹介
Eric Lee
The Labour Movement and the Internet :the New Internationalism
(エリック・リー『労働運動とインターネット』)
二村 一夫
【はじめに】
本書は、ロンドン大学バークベック・カレッジのアーサー・リポウ(Arthur Lipow)の編集によって刊行されているLabour and Society International series(労働・社会国際双書)の1冊である。タイトルが示すように、労働運動とインターネットの関連をその過去、現在、未来について検討し、この新たな情報伝達網が、国際労働運動の再生をもたらす可能性について論じている。
これまでも、インターネットと市民運動の関連を論じた本は何冊か出版されている。しかし、労働運動とインターネットの関連を論じた書物は、少なくとも日本語では見たことはない。英語圏でも事態はそう変わらないようで、本書のキャッチコピーによれば、この本は世界の労働運動家に向けた最初のインターネット案内であるという。世界の労働運動とインターネットという、きわめて大きなテーマであり、かつ現在進行中の問題をわずか200頁の書物に要領よく説明している。おそらく、インターネット草創期において労働運動がどのような試みを重ねたかを最初に記録した本として、歴史的な価値をもつことになろう。
私ごとになるが、評者はこの1年半あまり法政大学大原社会問題研究所のホームページの制作に関与し、とりわけ「社会・労働関係リンク集」の作成とメンテナンスに当たってきた。そのため、たえず内外の社会・労働関連のホームページを見て回っており、本書の労働関連サイトの説明に、それほど目新しく感じられるものはなかった。実のところ、1996年現在で記されている「現状」説明では、変化の激しいインターネットの世界では、すでに実情とあわない部分が少なくない。その意味で、今日の労働運動とインターネットについて知るには、本書はもはや古い。
これに対し、労働運動におけるコンピュータ情報網利用の歴史は、本書ではじめて知ることが多く、たいへん教えられた。そこで本稿も、主としてインターネットと労働運動の関連についての歴史的側面を中心に紹介することにしよう。
【著者のこと】
ところで著者のエリック・リーについて、本そのものには裏表紙にごく簡単な経歴が記されているだけである。それによれば、著者は、20年余り国際労働運動に関与してきたこと、とくにインターネットを通じた労働者教育およびコミュニケーション問題の専門家であり、1993年以降、the International Federation of Workers' Education Associations[IFWEA](国際労働者教育団体連盟)のニューズレターWorkers' Education『労働者教育』の編集にあたっている。これが本書を通じて知りうる、著者の経歴のほとんどすべてである。ただ、インターネットに関する本にふさわしく、本書のホームページが存在する。このサイトからは、さらに著者自身のホームページや関連サイトへのリンクがあり、それらのサイトに記された断片的な情報を総合すると、もう少し詳しい経歴を知ることができる。そこでまず、著者について分かったところを記しておこう。リーは1955年の生まれである。どこで生まれたのかは不明だが〔その後、ニューヨーク市の生まれであることが判明した、2001.9.13付 Labor Start Newsによる〕、1971年から81年までアメリカの社会主義青年連盟(Young Peoples's Socialist League)、社会党(Socialist Party USA)および民主社会主義組織委員会(Democratic Socialist Organizing Committee)の一員として活動したというから、おそらくアメリカ生まれであろう。大学では労使関係を学び、卒業後の最初の仕事は、ニューヨーク市の教員組合連合(United Federation of Teachers)であった。マイケル・ハリントンらの影響を受けた民主社会主義者であり、共産主義諸国における人権問題について関心をいだき、積極的に活動してきたという。1981年にイスラエルに移住しているところをみれば、おそらくユダヤ系のアメリカ人であろう。現在はコンピュータのケーブルなどを製造するキブツでプログラマーとして働き、かつ月に一度は牛乳絞りの仕事もしているという。イスラエルでは、統一労働者党(United Workers Party[Mapam])の中央委員として活動している。ちなみに、本書刊行後『労働者教育』の編集からは離れ、1998年6月末にはロンドンに移住し、活動の重点をインターネット上での労働運動──LabourStart──においている。
【本書の構成】
本書はつぎの7章から成り立っている。
第1章 インターナショナルの衰亡
第2章 新たな国際主義の新たな道具
第3章 労働運動情報網(Labournets)の出現
第4章 地域的な労働組合ネットワーク
第5章 全国的な労働組合ネットワーク
第6章 世界的労働運動ネットワークの登場
第7章 新たな国際主義
第1章は、第1インターからコミンテルン、さらには国際産業別組織(ITS)や国際自由労連など、労働者の国際連帯運動の歴史に関する記述である。著者の認識では、労働者の国際連帯が活気を帯びていたのは第1次世界大戦前であり、多国籍企業が世界経済を支配し、したがって労働者の国際連帯が重要な意味をもっている現在、多国籍企業に対抗しうる労働者の国際組織は存在しない。そればかりか、世界各国で労働組合は組織率を低下させ、弱体化している。しかし環境問題をはじめ平和、女性、人権などの諸問題をめぐって新たな国際連帯運動が出現しつつあり、そうした国際連帯運動を推進する手段として、インターネットは大きな可能性をもっている。それは労働運動についても同様であると、インターネットの重要性を強調している。
第2章は、インターネットそのものの発展史が簡単にふれられ、その上でインターネットの利点、問題点が説かれている。ここで取り上げられるのは、1)電子メール、2)データベース、3)討論グループ(メーリング・リスト)、4)オンライン・チャット(リアルタイムの電子談話室)、5)電子出版の5項目である。
第3章から第6章にかけては、レーバー・ネット、つまり「労働運動に関するコンピュータ情報網」の発達の歴史が概観されている。第3章はレーバーネットの出現について、第4章では地域的なネットワークについて、第5章は一国単位のネットワーク、第6章では世界的なネットワークの歴史と現状が記されている。
最終の第7章で、著者はインターネットの現状と問題点を論じ、さらにコンピュータ情報網を介した国際労働運動の将来展望を述べている。
【労働運動分野でのインターネット利用構想の先駆】
本書ではじめて知ったことであるが、コンピュータを介した情報伝達技術を労働運動に利用しようとの構想は、今から26年も前に生まれていたという。すなわち、インターネットについての研究がアメリカ国防総省のプロジェクトとして始まった1969年から僅かに3年後の1972年、まだインターネットそのものが「国家機密」として、部外者には知るよしもなかった時期に、労働運動の一指導者がその可能性、必要性を説いていた、というのである。国際化学労連のチャールス・レビンソン(Charles Levinson)がその人で、その著書Internatinal Trade Unionism 『国際労働組合運動』(George Allen & Unwin Ltd. London,1972)において、巨大多国籍企業が世界各国で多数の工場を経営している事態に対応し、労働組合が効果的な団体交渉をおこなうには、企業の生産状況、在庫、賃金、労働時間、休日、年金といった団体交渉に不可欠な項目をデータベース化し、国境をこえてオンラインで即座に引き出しうる形にしておくことが必要であると論じていたのである。 ただし、この構想は単に可能性として論じられていたにすぎず、具体的な計画として提起されたわけではなかった。
国際労働運動に役立つコンピュータ・ネットワークの構築計画が、実際に提唱されたのは、レビンソンの本が出てからさらに10年近くたった1981年のことである。ノルウェーのクリステン・ニュゴール(Kristen Nygaard)が、国際自由労連(ICFTU)の機関誌に、西側諸国の労働組合の協力による国際労働運動データベースの構築を提案したのである。その拠点となることを期待されていたのは、フランスの「世界マイクロ・コンピュータ科学および人的資源センター」であった。しかし、ミッテランが大統領当選直後に創設したばかりのこのセンターはこの企てに乗らなかった。そこで彼はノルウェーの労働組合に援助を求めたが、これも成功しなかった。ニュゴールの提唱が失敗した理由は、時期尚早であっただけでなく、新技術に対する労働組合の無知、敵視、保守性があった、という。
【カナダ=労働運動におけるインターネット利用の最先進国】
これも本書で知ったことであるが、労働運動でインターネットを最初に活用したのは、レビンソンの母国のカナダである。インターネットといっても、そのネットワークは地球規模のものではなく、地域的な組合内の情報網であった。太平洋岸のブリティッシュコロンビア州教員連盟(British Columbia Teachers' Federation=BCTF)が、1981年、当時、実用化されたばかりの電子掲示板システムを執行委員11人全員のオフィスに導入したのである。これは、わずか数カ月ではあるがニュゴールの提唱に先んじていた。
BCTFが、他の労働組合に先がけて電子掲示板システムを導入した背景には、その組合員が文章を書くことに慣れた教員であったことがある。同時に、この組合の組織が、過疎地をふくめた広大な地域に散在していたからでもある。カナダは世界で2番目に広い国であり、国内の時差が6時間もある。BCTFの組織範囲のブリティッシュ・コロンビア州は、面積93万2,000平方キロ、日本の2倍半もの広い地域に42,000人の組合員が散在している。同州最大の学区は英国と同じ広さであるが、そこで働く教員はわずか20人であった。このため、月1回の会議に執行委員が本部のあるヴァンクーヴァーに集まるだけでも容易でなく、多額の経費を必要とした。こうした条件が、新技術を組合が採用し、成果をあげえた背景にあったのである。さらに言えば、組合が支持していた州政府が1975年の選挙でやぶれ、以後1991年まで州の実権はBCTFを敵視する陣営が握っていた。そのことも、組合がこの新たな情報交換システムの導入に踏み切った一因であった。要するに、労働組合にとっての不利な諸条件をオンライン情報通信網によって克服しようと企てたことが、カナダを労働運動におけるインターネット利用の最先進国としたのである。
なお、このBCTFの情報網で使われた端末機は、パソコンではなく専用のハードウエアで、ディスプレーはなくプリンターに出力される仕組みであった。情報は、電話会社のパケット通信網を介して送られ、変調復調には音響カプラーが使われ、転送速度は300bpsにすぎなかった。いまの最速モデムは56,000bps、ISDNなら64,000bpsだから、転送速度は現在の200分の1でしかなかった。
しかしこの情報網は成果をあげた。新システム導入の中心となった組合長のラリー・クーン(Larry Kuehn)は、オルグの旅にこの端末機を持ち歩き、日常的に執行委員全員と連絡をとりあった。端末機の大きさは、飛行機の座席の下にかろうじて収まる大きさではあったが「ポータブル」だったのである。おかげで、彼は、旅先での記者会見でも、執行委員会の承認をえた上で、新聞発表をすることができたという。BCTFは2年間の成果を高く評価し、1983年には端末機を76の支部すべてに設置した。この年、BCTFは、組合の歴史ではじめて全州規模のストライキを実施したが、この通信網のおかげで、組合はつぎつぎと新たな情報をピケットラインに立っていた一般組合員に伝えることができたのであった。この一種のメーリングリスト・システムは、1990年秋まで9年間使い続けられ、新たに誕生したカナダ全体の運動ネットワークであるSolinetに引き継がれた。
【全国規模の労働組合情報網を最初に構築した国=カナダ】
同一組合内の情報網だけでなく、労働運動関連の全国情報網を世界で最初につくりあげたのもカナダであった。もともと、カナダは、インターネットのホスト・コンピュータの数ではアメリカとドイツにつぐ世界第3位のインターネット大国で、人口比なら世界一であるという。この全国規模の労働運動情報網構築の中心となったのは、カナダ公務員組合(Canadian Union of Public Employees=CUPE)のベランガー(Marc Belanger)であった。彼は1980年代半ばに大学教授や専門家の援助をえて、Solinet(Solidarity Network=連帯ネット)の名称をもつ電子会議システムを発足させたのである。Solinetの名を高めたのは、1988年12月に開始され2ヵ月をかけたオンライン会議で、これにはカナダ各地からさまざまな分野の150人が参加した。このオンライン会議を機に、BCTF=British Columbia Teachers' Federationは電話会社のパケットサービスから離れてSolinetに加わった。これによってSolinetは、CUPE内の情報網にとどまらず、カナダ全体の労働運動に関する電子会議システムとなったのである。
BCTFは、団交の際にSolinetを使って内部的な意見調整をおこない、電子ニューズレターを発行し、さらにオンラインで委員会を開くまでになった。BCTFのほかにも、労働組合機関紙編集者の集まりであるカナダ労働メディア協会(Canadian Association of Labour Media)がSolinetに参加した。CALMは、Solinetを使って定期的に記事を配信し、機関紙編集者たちは受信した記事をタイプし直すことなく使えるようになったのである。
【アメリカ合衆国】
アメリカ合衆国は、言うまでもなくインターネットの最先進国である。もちろん労働運動関連のサーバーの数も他国に比べ多い。しかし、インターネット全体に占める労働組合の比重は、予想外に小さい。
たとえば、WWWに先だって、草の根市民運動の有力な武器となったのは、地域的な電子掲示板システム(BBS=bulletin board system)である。当然のことながら、労働組合の活動家のなかにも、個人的にBBSを運営する人びとがあらわれた。1986年発足のニューヨーク市のアメリカ音楽家連盟、1988年発足の国際電気工組合第1220支部(シカゴ)などである。また、公務や情報関連の5つの全国組合も、電子掲示板システムを開設した。だが労働運動関連のBBSは数十にすぎず、全米で6万5000といわれるパソコン通信局(BBS)全体と比べれば、1000分の1にも満たない。その理由のひとつは、労働運動においては、機関紙など活字メディアが行き渡っている反面、組合員の多くは、コンピュータに親しむ機会が少ないことがあろう。これは市民運動との大きな違いである。組織が小さく、社会的にもあまり発言の機会がなかった市民運動家にとって、管理運営費がかからないBBSはきわめて魅力的なメディアであった。だが、労働組合は、市民運動家のようにはBBSの必要性を感じなかったのである。
こうした、地域的なBBSや特定組合のBBSの他に、アメリカには大規模なレーバーネット(LaborNet)が2つある。その1つは、AFL-CIOが、商業ネット=Compuserveを使って設けた電子談話室(フォーラム)のLaborNetである。もう1つは、市民運動ネットの中心であるIGC〔注1〕の一部門としてのLaborNetである。発足はIGCが1990年、AFL-CIOのLaborNetが1992年である。参加者は、IGCのLaborNetは1995年初で約350人、同年末には倍増したが、96年現在まだ1000人には達していない。AFL-CIOのフォーラムは、1995年に1400人、96年1月現在で2,500人に達したという。
〔なお1999年10月1日をもってIGCのLaborNetはIGCを離れて独立した。新しいURLは http://www.labornet.org/ である。二村追記〕
AFLのフォーラムには、ライブラリー、オンラインの討論グループ、リアルタイムでお喋りができる"chatrooms"、それに運営者からの連絡などが伝えられる掲示板の4つがある。この構成は、日本のNiftyserveとほぼ同様である。もちろんこれは、ニフティがコンピュサーブをモデルに作られたからであるが。なお、ライブラリでは、AFL-CIOが発行した各種文書が手に入り、参加者の間でもっとも評価が高いという。また、chatroomsでは、時として著名人を参加させ討論がおこなわれるという。AFLの傘下組合のなかには、LaborNetに組合として参加し、さらに組合独自のフォーラムや図書室、談話室を設けているものがある。問題は、コンピュサーブの会員でないとこうしたサービスが受けられないことで、他の商業ネットワークやインターネットの利用者などはアクセスできない。コンピュサーブは、月10ドルで基本サービスが受けられるが、LaborNetに参加するには、その他に月3ドルが課金される。
一方、IGCのLaborNetには、産業別フォーラムのほか、地域別に設けられた国際労働問題、民営化問題など多様なフォーラムがあり、スペイン語、ポルトガル語のフォーラムもある。その意味で、AFL-CIOのLaborNetより国際的な性格をもっている。LaborUK、LaborASIAなど、世界規模の交流の場を提供している点がIGCの特徴といえよう。
両者を比べると、参加者数ではAFLの方が多く、今後も増加すると予想されている。また、費用はAFLのほうがIGCより安く、さらにコンピュサーブの他のサービスが受けられる点を考慮すると、その差はさらに大きい。ただ、国際性がIGCのメリットである。
以上2つのフォーラムは誰でも参加しうるものだが、このほか、参加資格を組合員に限定したフォーラムが、一部の組合によって設けられている。たとえば、国際電気工組合は、コンピュサーブのLaborNetに独自のフォーラムを設けているだけでなく、アメリカオンラインにも談話室を設けている。また、全国航空管制官組合は、会員55,000人という小規模な商業ネットワークを使って談話室を設けている。会費が安いのがメリットで、コンピュータを使いこなし、遠慮なく発言する組合員約300人が参加しているという。
【アメリカのWWWウエッブサイト】
1995年6月、全国金属薄板製造工組合(Sheet Metal Workers' International Association)が、ウエッブサイトを開設した。これが、アメリカの全国組合のなかでは、もっとも早いウエッブサイトの例で、同年暮までに9万ヒットを記録した。
州レベルの組織で最初にホームページを開いたのはオハイオ州AFL-CIOで、アラスカがこれに続いた。
組合支部、地域的組合のサイトとなると、文字どおり雨後の筍のように開設されている。とくに、ストライキ中の組合のように、一般社会に訴えたいことがある組織にとって、インターネットは有力な武器となる。サンフランシスコの老人ホームのストや、トウモロコシから甘味料を製造して、コカコーラやペプシ・コーラ、ミラービールなどに原料を供給しているスタンレー社(A.E.Stanley Company)のストライキ・サイトなどである。後者のホームページではは、スタンレー社の顧客企業のEmailアドレスがあり、閲覧者はその場で抗議のメッセージを送ることができる。その影響もあって、ミラービールはStanleyからの原料購入を中止した。このサイトでは、ストライキを題材にしたTシャツの絵をダウンロードし、自由に使うことができるようになっている。
ただ、著者は、WWWのサイトも重要だが、労働運動では、依然としてLISTSERVを使ったメーリングリストが実際的な役割を果たしているとして、世界経済における労働に関するフォーラムの「Labor-L」、労働史のメーリングリストである「H-Labor」をあげ、後者はメーリングリストのなかではもっとも質が高いと評価している。
【南アフリカ】
カナダについで、早くから労働関係の電子情報網をつくりあげた国は、意外なことに南アフリカで、1986年にWorkNetが誕生している。このWorkNetは、1993年、発展改組してSANGONeT(南アフリカNGOネット)となった。SANGONeTは、世界の進歩的プロバイダーの集まりであるAPC(The Association of Progressive Communications)の加盟組織で、人権擁護、環境問題などをテーマとし、民衆の組織に通信手段を提供することを目的とするNGOのインターネット・プロバイダーである。つまり、SANGONeTは、IGC同様、労働運動はその担当分野の一部にすぎない。SANGONeTのウエッブサイトはAPCのなかに設けられ、労働だけでなく、女性、環境、人権、文化、健康などにわかれ、アフリカ各地のホームページへもリンクしている。なお、南アフリカの労働組合ナショナルセンターであるCOSTU(Congress of South African Trade Unions=南アフリカ労働組合会議)は、早くも1995年にはホームページを開設した。著者は、その内容は今一歩と評しているが、現在ではかなりの充実ぶりをみせている。1996年中頃までに、COSATU傘下の19組合のうち14組合と、8の地域組織すべてがオンライン化した。ただ、ほかの開発途上国と同様、先進国の労働組合やNGOの援助でハードウエアは設備されても、実際にコンピュータを扱える人が少ないのが現実であるという。
【デンマーク】
デンマークも労働運動関連のコンピュータネットワークの先進国で、1988年には、Middlefart郡の社会民主党所属の労働組合員30人に端末機が供与され、ホストとの接続が認められた。翌年には、70の労働組合の地方支部員がFLOKSと称する情報網に参加した。しかし、その成果は十分とはいえなかった。E-mailはある程度使われたが、電子会議は十分に機能しなかった。理由のひとつは、参加者が文章を書くことに慣れていないことにあった。カナダの場合にオンライン化に抵抗が少なかったひとつの理由は、このシステムを導入したのが教員組合や公務員組合で、文章を書きなれた組合員が多いためであったと推測されている。
【イギリス】
1990年、オランダのエペでAPC(The Association of Progressive Communications)の各国代表ら約50人が集まる機会があり、その際、労働運動関係の部会が開かれ、労働組合のE-mailユーザーによる国際会議を開くことが決められた。これを受けて、1992年4月14日、イギリス・マンチェスターで「労働運動とコンピュータ・コミュニケーション」をテーマとする国際会議が開催されたのであった。この会合にはアフリカ、アジア、ラテンアメリカを含む24ヵ国から、労働運動関連のコンピュータ情報網に関与してきた人びと約90人が参加した。本書の著者やBCTFのクーン、CUPEのベランガーをはじめ、コンピュータ通信網に関与してきた労働運動関係者が一堂に会したのである。これは、インターネットと労働運動の歴史にひとつの画期となった出来事であった。
翌1993年1月、このマンチェスター会議に会場を提供したイギリスの全国都市一般労働組合(GMB)の労働大学にLabour Telematics Centreが設立された。
インターネットでは、アメリカに遅れをとったイギリスであるが、労働運動に関連するコンピュータ情報網に関する常設的な研究・教育機関の発足では、イギリスが世界の先頭を切ったのである。センターがその目的に掲げたのは、つぎのようなものであった。
1)電子通信やコンピュータ使用を検討中の組合に対し、通信状況の判定と実施研究、2)コンピュータ情報通信が雇用や労働組合組織および活動に及ぼす影響についての研究、3)訓練用の教科書の作成、4)労働運動に役立つ情報サービスの開発、5)コンサルタント、6)セミナーや会議の開催、7)研究報告書の刊行。
センターは、1994年には、ウエッブサイトを開設し、1995年には「遠距離通信を利用した在宅労働(telework)と労働運動について」の会議を主催した。
これに先だって、イギリスでは、大ロンドン市評議会の援助によって1986年に、労働組合のコンピュータ・ネットワークであるPOPTEL(the Popular Telematics Project)が設立されている。このPOPTELには、労働党をはじめ、多くの主要労働組合がウエッブサイト置いている。なお、イギリスの労働組合のなかで最初にホームページを開いたのはUNISONで、1995年3月のことで、その数ヵ月後にはTUCのホームページも開設された。なお、UNISONは、1993年にCOHSE、NALGO、NUPEの3組合が合同して生まれた公務員組合で、この国でもカナダと同様、公務員組合がインターネットの先駆となったのである。
【その他の国々】
インターネットのホスト・コンピュータが普及している点で、オーストラリアは世界でもトップクラスである。また、ACTU(オーストラリア労働組合会議)は早い時期にホームページを開設している。だが、メーリングリストへの参加などでは、労働組合の関心は低い。
一方、労働運動におけるインターネット利用が活発であろうと予想されながら、実際には遅れている国のひとつはニュージーランドである。この国の労働組合がインターネットにはじめて参加したのは、1996年のことである。
ロシアでは、予想以上に早くからコンピュータ・ネットワークが利用されてきた。APCの加盟団体であるGlasNetGlasnet英語サイトの設立は、1990年のことである。GlasNetの代表は、1992年のマンチェスターの会議にも参加し、報告をおこなっている。それによれば、当時の労働組合にとっては、比較的コストのかからないGlasNetへの参加も、経済的に困難であった。1993年、GlasNetに、英語とロシア語の労働組合フォーラム(labr.cis)が開設された。このlabr.cisは現在では、アメリカに本拠を置くIGCのLaborNetに移っている。
フランスは、インターネットへの参加に消極的で、インターネットへ接続している人の数は15万人前後ある。Minitelが普及していることと、インターネットが英語圏文化の支配下にあるのがその理由であろう。こうした事情は労働運動におけるインターネット利用にも反映している。
ドイツもインターネットでは遅れていた。しかし、エーベルト財団のウエッブサイトは、所蔵図書のオンライン検索が出来ることなど、注目に値する内容をもっている。
オランダでは、無料のプロバイダー、無料のISDNなどがあり、接続料金の安さで、同国のインターネットは非英語圏ではトップである。労働組合や労働党もウエッブサイトをもち、活発に情報を発信している。
シンガポールの労働組合ナショナルセンターは、1995年初頭にホームページを開設している。おそらく世界の労働組合のなかでも早い時期に属するであろう。
【国際組織】
第6章は「世界的労働運動ネットワークの登場」と題し、国際組織のインターネットへの取り組みと、コンピュータ情報網による国境を越えた連帯活動が取り上げられている。
後者については、いくつかの事例が紹介されている。ひとつは、1993年にロシアの政治犯がE-mailによる国際支援で釈放された事例であり、ついでNAFTA(北米自由貿易協定)に対するオンラインでの討論が、アメリカの月刊誌Labor Notesグループをはじめ、アメリカ・カナダ・メキシコの労働者間で進展した事例、もうひとつはドイツのクルップ社のイギリス子会社の争議に際し、イギリスの組合がUnion-dやLaborNet@IGCなどのメーリングリストを使って世界の労働者によびかけた事例である。
国際組織のインターネットへの取り組みで取り上げているのは、国際自由労連と5つの国際産別組織の本部事務局(ITS)、およびILOと労働者教育国際協会(IFWEA)の計8組織である。このなかで、もっとも詳しく述べられているのは、著者自身が関与している労働者教育国際協会の事例である。ただ本稿は、主として労働運動とインターネットの関連の歴史的な側面をとりあげることにしており、すでに予定の枚数を大幅に越えていることでもあり、これらの国際組織のホームページについては、別に機会をあらためて詳しく紹介することにしたい。
【国際労働運動とインターネットの未来】
最終の第7章は「新たな国際主義」と題し、ここで著者はインターネットの現状と問題点を論じた上で、コンピュータ情報網を介した国際労働運動の将来展望を述べている。
現状と問題点では、インターネットの過大評価が戒められている。オンラインで結ばれたコンピュータを所有する人は、地球の全人口の1%に満たず、労働組合員となればその比率はさらに低い。全国組合でさえオンライン化されていないものが多数をしめ、AFL-CIOのフォーラムの参加者は2,500人しかいない事実を指摘している。
著者は、またインターネットに関する問題点をいくつかあげている。そのひとつは、言葉の壁で、インターネットが、英語中心の世界である事実である。また、情報の質の低さも指摘されている。多くのホームページが、見出しや概要ばかり派手で、内容に乏しく、その点では労働関係のサイトも例外ではないという。あるいは、商業主義の影響、ポルノ規制などを理由にした言論統制の危険など。さらに労働運動固有の問題としては、組合が技術進歩に敵対的な態度をとりがちであることが指摘されている。
その上で著者は、近い将来の見通しをつぎのように述べている。インターネットを用いたハイテク・インターナショナルに参加できるのは、当面は北米とヨーロッパ、それにおそらく日本とオーストラリアが参加した先進国に限られるであろう。しかし、資本の南への移動は労働運動の重心を南へ移すであろうし、労働組合が国を超えた組織となるには、南の労働者との連帯が不可欠である。もしそれに失敗するなら、労働組合の生存そのものが危うくなろう。アフリカ、アジア、南アメリカぬきの労働情報網は、不当、不公正であるだけでなく、地球規模の真の労働情報網(labor net)とはいえない。開発途上国の労働者が、安価な通信手段を利用することができなければ、新しいインターナショナルは夢でしかない。なお、ここであるITS役員の話として、著者が紹介しているエピソードは、われわれにとって興味深いものがある。それは日本の複数の労働組合が、ネパールの労働組合に贈った最新式のコンピュータが、数年後でも贈られた当時の箱詰めのままであったというのである。
本章の後半は、「労働運動とインターネットの未来」に関する展望が論じられている。その1つはICEFの元役員が提唱したインターネットによる多国籍企業の国境を越えた企業協議会(company council)の設立である。
もうひとつは、カナダのSolinetの創設者Belangerの提案によるインターネットを利用した国際労働大学の設立計画である。
最後に著者は、「もっと途方もない考えを述べておきたい」として、つぎの3つの計画を提案している。1)オンラインの労働新聞、2)オンライン文書館、3)労働基本権侵害への早期警告ネットワーク。
実は、ここで提起されている計画の一端は、すでに現実化しつつある。たとえばオンラインの労働新聞やラジオ・テレビなどは、まだテストの域を出ないとはいえ、著者を中心に具体化しはじめている。その内容の実際は、読者自身でLabourStartと題したサイトを訪ね、その目でお確かめいただきたい。
〔注〕
★ IGC=Institute for Global Communications は1986年にPeaceNetとしてカリフォルニア州のパロアルトのガレージで誕生した。翌87年、環境問題のEcoNetを加えIGCとして正式に発足した。その後、女性ネット、人権ネット、社会的経済的公正ネット、さらに労働ネットを加え、現在では会員数1万5,000人以上の全国的なネットワーク・プロバイダーに成長している。
Eric Lee, The Labour Movement and the Internet:the New Internationalism,London, Pluto Press, 1997,pp.212+xi.
初出は『大原社会問題研究所雑誌』第478号(1998年9月)、なお2000年9月18日に校正と若干の補訂をおこない、関連サイトへのリンクをつけ加えた。
【関連文献】 二村一夫「インターネットと労働運動──世界と日本の労働組合サイト」
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