刊行中・未刊 詳細目次
- 鉱山労働運動の比較史的検討
(未掲載)
1997年12月、デューク大学出版部から刊行した英文版『足尾暴動の史的分析』The Ashio Riot of 1907;A Social History of Mining in Japanのために新たに書き下ろした章の日本語版。鉱山業における労働運動の特質を国際比較的に論じている。
- 足尾暴動の基礎過程──「出稼型」論に対する一批判(2000.5.14 掲載)
『法学志林』第57巻第1号(1959年7月)。1950年代の日本の労働問題研究に大きな影響力をもっていた大河内一男氏の「出稼型論」を実証的に批判したもの。著者の修士論文。著者の主著である『足尾暴動の史的分析』の第2章「飯場制度の史的分析」は本稿を改稿したもの。なおこの論文およびこれを書いた前後のことについては「大原社会問題研究所との43年間」参照。
- 明治40年の足尾暴動について(2000.3.30)
『労働運動史研究』第12号(1958年11月)。労働運動史研究会1958年7月例会における口頭発表をもとにまとめたもの。いわば著者のオープン戦初登板ともいうべき作品。
- 足尾暴動(2000.4.7掲載)
初出は『学習の友』第69号(1959年7月号)、その後補正して労働運動史研究会編『日本労働運動の歴史』(三一書房、1960年10月)に再録。
- 鉱山労働運動小史(2000.11.4掲載)
「鉱山業における労資関係の歴史的概観」の原題で『金属鉱山研究会会報』9号(1975年10月)に掲載。
- 「足尾暴動の基礎過程」再論(2000.3.25掲載)
『金属鉱山研究会会報』27号(1981年3月)掲載論文。
- 全国坑夫組合の組織と活動(1)(2000.4.25掲載)
全国坑夫組合は、1919(大正8)年に、佐野学はじめ新人会の会員の指導のもとに友子同盟の繋がりを利用して結成された労働組合。法政大学大原社会問題研究所に残された会計記録などを利用してその組織と活動の実態を明らかにしようとしたもの。『資料室報』159号(1970年2月)掲載論文。
- 全国坑夫組合の組織と活動(2)(2000.5.6掲載)
法政大学大原社会問題研究所『資料室報』168号(1971年1月)掲載論文。
- 全国坑夫組合の組織と活動(3)
(2000.5.23掲載)
法政大学大原社会問題研究所『資料室報』185号(1972年8月)掲載論文。
- 労働組合組織率の再検討──国際比較を可能にするために(1)(2000.10.17掲載)
日本の労働組合組織率統計が組織実態を正確に反映していない点を指摘し、他の統計を使ってより実態に近い数値の算出をこころみた論稿。この(1)では、つぎの3点を指摘している。a)第二次大戦前の組織率と戦後の組織率とでは、基準となる労働者数、組合員数の定義や捕捉方法が異なり、そのままでは接合できない。b)戦前の組織率を戦後基準で計算し直すと約2分の1前後になる。c)しかし、戦前の労働組合は筋肉労働者だけの組織だったから、戦後基準で算出した数値では運動の実態が過小評価されてしまう。
- 労働組合組織の再検討──国際比較を可能にするために(2)(未掲載)
論文の後半は戦後の組織率について検討している。ここでは、推定組織率算出の分母となる労働者数に『労働力調査』の「雇用者」数を用いていることが、推計結果に大きな歪みをもたらしている事実を指摘している。つまり「雇用者」数は、本来的に労働組合員たりえない「会社役員」や法的に組合を組織することを認められていない警官や自衛隊員なども含む数値であり、これを分母に用いていることで、組織率は実際より過小となり、国際比較も不可能となっている。
そこで、この歪みを是正するため「国勢調査」「賃金構造基本調査」など他の統計を使い、より実態を反映する組織率、国際比較が可能な組織率の算出を試みている。
- 第2次大戦直後の労働組合統計の吟味(1997.9.25掲載、2000.4.7 校正及び補正して再掲載)
これは独立論文ではなく「戦後社会の起点における労働組合運動」の冒頭部分である。現在使われている労働組合統計の第二次大戦直後の数値には少なからぬ脱落があることを論証している。また、敗戦直後のホワイトカラー組合員の数やその組織率についても推計している。
- 農商務省『工場統計表』の集計洩れについて(2000.3.18掲載)
これも独立論文ではなく、岩波講座『日本歴史』18 近代5(1975年刊)所収の「労働者階級の状態と労働運動」の一部、それも「注」における指摘にすぎない。しかし内容的には、第一次大戦中の日本の労働者階級の増加を示す統計として広く使われてきた『工場統計表』の数値の信頼性に問題があることを『工場監督年報』の数値とくらべて指摘したもので、それなりの意味をもつと考える。回顧座談会参照。
- 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(1)(2000.5.25掲載)
- 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(2)(2000.5.25掲載)
古島敏雄氏をはじめ従来の日本経済史、賃労働史研究が「原蓄期」の労働者数について、たまたま残っている統計を吟味せずに使っているため、生産統計などと著しく矛盾した結論を出していることを批判し、新たに発掘したデータによって、この時期の鉱山労働者が通説をはるかに超える数であったことを明らかにした論稿。(1)(2)をあわせて「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(上)のタイトルで法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第289号(1982年9月)に掲載。
- 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(3)(2000.5.30掲載)
1880年代の鉱山労働者数を各府県ごとに吟味したもの。「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の前半。
- 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(4)(2000.5.31掲載)
1880年代後半から90年代初頭の産業別労働者数に関する研究が依拠してきた「会社種類別」の職工数が信頼できないことを指摘。最後に1875年の鉱山労働者数についても推計している。「原蓄期における鉱山労働者数」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の後半部分。
- 前口上
(2003.5.23掲載)
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縦書き
- ガラスの瓶のドロップス
(2003.5.29掲載)
★
縦書き
- 玄米食と高圧釜
(2003.6.2掲載)
★
縦書き
- 離乳食
(2003.6.5掲載)
★
縦書き
- コンデンスミルク
(2003.7.9掲載)
★
縦書き
- 和風チューインガム
(2003.6.15掲載)
★
縦書き
- 祖母の手作りおやつ
(2003.6.18掲載)
★
縦書き
- 川魚
(2003.7.5掲載)
★
縦書き
- 五家宝、磯部せんべい、笹飴
(2003.7.19掲載)
★
縦書き
- みすず飴
(2003.8.2掲載)
★
縦書き
- 大豆あれこれ──枝豆と黄粉
(2003.9.7掲載)
★
縦書き
- 揚げ栗の飴かけ──本格中華初体験
(2003.10.31掲載)
★
縦書き
- ネーブル
(2003.12.10掲載)
★
縦書き
- 弁当
(2004.3.31掲載)
★
縦書き
- 乾燥バナナ
(2004.4.24掲載)
★
縦書き
- おふくろの味(1)──五目飯
(2004.7.24掲載)
★
縦書き
- おふくろの味(2)──ライスカレー
(2004.8.13掲載)
★
縦書き
- クマ、ツグミ、アトリ
(2004.10.21掲載)
★
縦書き
- おふくろの味(3)──カリントウとドーナツ
(2004.12.13掲載)
★
縦書き
- 餅
(2005.1.5掲載)★
縦書き
- 「年越しそば」か「年取り魚」か
(2005.1.8掲載)
★
縦書き
- おのっぺ
(2005.1.11掲載)
★
縦書き
- お年取り料理(2005.3.11掲載)★縦書き
- 元旦の食事(2005.3.24掲載)★縦書き
- 箱膳(2005.5.3掲載)★縦書き
- 「銀めし」(2005.7.27掲載)★縦書き
- 塩イカ(2006.2.22掲載)★縦書き
- 野山のおやつ(1)──桑の実、桜の実、木イチゴ(2006.6.22掲載)★縦書き
- 野山のおやつ(2)──あけび(2006.7.22掲載)★縦書き
- 野山のおやつ(3)──柴栗と丹波栗(2006.8.22掲載)★縦書き
- 野山のおやつ(4)──鬼胡桃(2006.8.29掲載)★縦書き
- ばんかぜり(2006.10.30掲載)★縦書き
- くりたけ(2007.11.14掲載)★縦書き
- 石母田正先生のこと(1999.10.5掲載)
大学院での恩師についての追悼文。雑誌『法政』1986年4月号。原題は「石母田正先生」
- 弔辞・石母田芳子さま(1997.10.13掲載、98.5.7画像追加)
1994年3月8日、石母田正夫人・芳子さまの葬儀に際して。
- 弔辞・林要さん
(2003.8.9掲載)
林要さんは、私が勤務していた大原社会問題研究所の大先輩です。私が担当していた《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の仕事でたいへんお世話になりました。
- 大学ノートの落書き──向坂逸郎先生のこと(1997.10.13掲載、98.5.7画像追加)
『社会主義』250号(1986年2月)所収。
- 「向坂文庫」について(1997.12.26掲載)
雑誌『法政』404号(1990年3月)。
- 向坂文庫の寄贈を受けて(1997.12.26掲載)
『労働組合』227号(1986年2月)所収。
- へそ曲がり仲間──大原慧さんのこと
大原慧(さとし)さんは年長の友人。留学中の1985年2月17日、急性白血病でイギリス・シェフィールドで客死された。大原慧さんを偲ぶ会編『追憶の大原慧』(1995年11月刊)に寄稿
- 事務局長落第記(2000.9.27掲載)
労働運動史研究会創立30周年記念号への寄稿
- 私の三冊(2000.9.27掲載)
岩波文庫創刊70年記念号アンケート
- 私の薦めるこの1冊(2000.9.27掲載)
岩波新書創刊60年記念号アンケート
- 『みすず』読書アンケート(未掲載)
- 年表大国・日本(1999.10.5掲載)
- インターネットWatch──紹介と評論
法政大学大原社会問題研究所の公式サイトOISR.ORGのオンラインNewsletter Oisr-Watchに連載中のコラム
1) The WWW Virtual Libraryのこと
2) 社会史国際研究所(アムステルダム)のウエッブサイト
3) 労働史研究機関国際協会(IALHI)の加盟機関(1)
4) LabourStartのこと
5) 日本国内の社会・労働関係リンク集
6) 日本の労働関係の研究機関
7) workindex.comのことなど(正誤訂正)(以上1999.9.25掲載、9.26訂正)
8) 分野別サーチエンジン点検(1999.9.27掲載)
9) Labour Website of the Year 1999(2000.1.21掲載)
10) 社会・労働関係の国際会議情報(2000.2.15掲載)
11) 海外の学会サイト(2000.3.13掲載)
12) OISR.ORGへリンクしている海外サイト(2001.6.18掲載)
13) OISR.ORGへリンクしている海外サイト 〔改訂増補版〕
(2001.7.26掲載)
14) ハングルサイトを日本語で読む──韓日自動翻訳サイト紹介
(2002.6.9掲載)
15) ハングルサイトを日本語で読む(2)
(2002.7.3掲載)
16) 日本語サイトをハングルで読む(日韓自動翻訳実験)
(2002.9.3掲載)
17) イラク反戦関連サイト紹介
(2003.3.24掲載)
18) HOLLISはすごい!──ハーバード大学図書館検索システムの変貌
(2003.2.28掲載)
19) 電子図書館と著作権問題──《近代デジタルライブラリー》の著作者公開調査に寄せて
(2003.8.29掲載)
20) 国会図書館サイトの大変貌
(2004.7.27掲載)
21) ブラウザーあれこれ
(2004.12.11掲載)
22) 難問解決──「機種依存文字」の表示方法
(2006.3.17掲載)
23) 「機種依存文字」の表示方法(その2)
(2006.3.17掲載)
24)リンク集のこと
(2006.4.30掲載)
25)《学術論文E-TEXTリンク集》のこと
(2006.5.11掲載)
26)「紀要公開サイト」の問題点
(2006.5.30掲載)
27)《社会政策学会文書館》のこと
(2006.7.29掲載)
- 大原デジタルライブラリーのこと(1999.9.25掲載)
学術系オンラインジャーナル Academic Resource Guide 第37号、1999年8月5日掲載。『大原社会問題研究所雑誌』495号(2000.2)に転載。
- インターネットと労働運動──世界と日本の労働組合サイト(1998.9.29 掲載)
同 PDF版(2001.6.6掲載)
1998年7月22日に法政大学大原社会問題研究所の月例研究会において「労働運動とインターネット」と題しておこなった報告の原稿を補正したもの。『大原社会問題研究所雑誌』98年12月号掲載。
- 付 紹介 エリック・リー『労働運動とインターネット』(1998.9.25掲載)
同 PDF版(2001.6.6掲載)
インターネットと労働運動との関連を論じた世界最初の本、Eric Lee ,The Labour Movement and the Internet: the New Internationalismの紹介。『大原社会問題研究所雑誌』no.478(1998年9月号)所収。
1. From Trade Unions to the Nakama: Organizational Characteristics of Occupational Groups in Japan
(upload: March 10, 2007, added notes and revised:Aug 25,2007)
A translation of 'Nihon ni okeru shokugyō-shudan no hikakushiteki tokushitu: Sengo rōdōkumiai kara jikan wo gyakkōshi kinsei no nakama ni tsuite kangaeru', in Keizaigaku Zasshi (Ōsaka City University) Vol.102 No.2.
2. Japanese and Korean Labor-Management Relations:A Comparative Study
(upload: Sept.25, 2002)
A translation of 'Nikkan rōshikankei no hikakushiteki kento', in Ohara Shakaimondai Kenkyujo Zasshi (Journal of Ohara Institute for Social Research, Hosei University) no.460, March 1997.
3. The Historical Characteristics of Labor Relations in Japan (upload: April.11, 2007)
A translation of "Nihon rōshikankei no rekishiteki tokushitsu", in Shakai-seisaku Gakkai Nenpo(Annals of the Society for the Study of Social Polocy) no.31, May 1987.
4. Enterprise Unionism - The Historical Background (upload: May.13, 2007)
A translation of "Kigyobetsu kumiai no rekishiteki haikei", in "Kenkyū shiryō geppō"(Ōhara Institute for Social Research, Hosei University,) no. 305, March 1984.)
5. Efficiency and Labor Relations in Japanese Manufacturing Industries (upload: November 28, 2007)
Paper presented at International Symposium on Industrial Democracy and Labor in Modern Capitalism, Seoul, December 6 - 8, 1991.
1. The Formation of Japanese Labor Movement;1868-1914
(upload: Feb. 15, 2008)
"Japan" in Marcel van der Linden & Jürgen Rojahn(ed.),The Formation of Labour Movements 1870-1914: An International Perspective, Vol.II(Leiden E.J.Brill, 1990).
2. The Labor Movement before and after the First World War: 1907 - 1928
A translation of 'Rōdōsha-kaikyu no jōtai to rōdōundō', in "Iwanami-kōza Nihon Rekishi", 1975.
3. The Labor Union Movement at the Beginnings of Post-War Society in Japan
(upload: Sept.30, 2007)
A translation of "Sengo-shakai no kiten ni okeru rodokumiai-undo" , in Nihon Kin-gendaishi vol.4, (Iwanami Shoten), January 1994.
4. Labor Relations in Japan:1940-1993
(upload: Oct.28, 2007)
Paper presented at Development and Future of Labour Relations in Australia and Japan Conference, Woolongong, Australia, 13 - 14 July, 1993. Jim Hagan & Andrew Wells(ed), Industrial Relations in Australia and Japan, Allen and Unwin, 1994.
- “The Ashio Riot of 1907; The Traditional Miners' Brotherhood, the Trade Union,the Hanba System and the Company.”
In Klaus Tenfelde(Hrsg.)Sozialgeschihite des Bergbaus im 19. und 20. Jahrhundert,C.H.Beck'sche Verlagsbuchhandlung, München
- An Historical Analysis Of Working Conditions At The Ashio Copper Mine
The omitted chapter from the The Ashio Riot of 1907 published by Duke University Press in 1997.
Contents
Introductory Remarks
I Wage levels at Ashio
1) Wage Levels in the 1880s
2) Ashio Wages and Those In Other Industries
3) Comparative wage levels in other mines
4) The background to high wage levels at Ashio
5) Wage level movements after the 1980s
II The ore dressing process: technological progress and qualitative/quantitative changes in the labor supply
1) The mechanization of the ore dressing process
2) The main causes of mining pollution at Ashio
3) The effects of the mechanization of ore dressing
III Technological Advances In The Ore Refining Process
1) The smelting and refinery process
2) The smelting process
3) The tempering process
4) The introduction of mechanical bellows
IV Ore Refining: Technological Change And The Structure Of The Labor Force
1) Qualitative change in the workforce in ore smelting
2) Quantitative change in the workforce in ore smelting
V Reasons For The Decline In Ore Refiners' Wages
1) The 1888 ore refiners' strike
2) The 1889 ore refiners regulations
3) The effects of the introduction of modern blast furnaces
VI Miners' Changing Wage Levels
1) The reasons behind the 1884 fall in wage levels
2) Causes of the decline in real wages in the 1890s
3) Changes in the type and number of underground and surface workers
4) Characteristics of long term changes in wage levels
VII The Wage Levels Of Unskilled Workers
Conclusion
- Appendix 1 Hanba Boss Origins And Areas Of Labor Recruitment
- Appendix 2 Convict Labor At The Ashio Mines
- 刊行開始2周年〔1999.9.25〕
- 本サイトの作成経過(1)〔1999.9.25〕
- 『高野房太郎とその時代』書き下ろし連載開始〔2000.1.17〕
- 泥縄の「長崎学」勉強〔2000.2.10〕
- 第8巻『社会運動機関紙誌の書誌的研究』刊行〔2000.3.7〕
- 高野伝のファイル分割と新着一覧の移動〔2000.3.12掲載。3.16、3.18追記〕
- 編集者・校正者の役割──本サイトの作成経過(2)〔2000.3.18〕
- 第3期刊行開始〔2000.3.25〕
- 色はいろいろ──本サイトの作成経過(3)
〔2000.4.1〕
- 第6巻『日本労働運動史研究案内』刊行完了〔2000.4.14〕
- ようやく東京へ〔2000.4.19〕
- 高野房太郎の旧跡探検(その1)〔2000.5.5〕
- 全巻刊行開始〔2000.6.14〕
- 親バカ情報〔2000.6.30〕
- 高野房太郎の旧跡探検(その2──横浜)〔2000.8.26〕
- この1年──刊行開始3周年にあたって〔2000.9.26〕
- リンク集のこと──『高野伝』連載遅延の言い訳け〔2000.12.4〕
- 英文小著への書評〔2000.12.5〕
- 読者各位への年賀状〔2001.1.1〕
- お詫びと言い訳〔2001.3.15〕
- OISR.ORGの快挙〔2001.4.20〕
- 『明治日本労働通信』補訂版の掲載について〔2001.5.20〕
- 『火星の井戸掘り新聞』インタビュー〔2001.5.21〕
- インターネット時代の著作権(1)〔2001.10.22〕
- 『経済学雑誌』に小論発表(近況報告1)〔2001.10.22〕
- 比較労働史ゼミ(近況報告2)〔2001.10.22〕
- 英文小著への書評(その2)〔2001.11.2〕
- 紹介『Web 大学出版』〔2001.11.16, 11.24訂正〕
- インターネット時代の著作権(2)〔2001.12.10〕
- 9.11事件雑感──「季節のごあいさつ」とともに〔2001.12.24、2002.1.4補訂〕
- ハーバード大学の内紛──Lawrence Summers vs. Cornel West〔2002.1.8掲載〕
- コーネル・ウエストの証言〔2002.1.10掲載〕
- ハーバード大学内紛事件を考える〔2002.1.12掲載〕
- コーネル・ウエストの〈ラップCD〉〔2002.1.22掲載〕
- 社会政策学会サイト開設5周年
〔2002.2.6掲載〕
- 発見! 英文版・末弘厳太郎『日本労働組合運動史』
〔2002.3.13掲載〕
- 小さな報告書の大きな波紋──MITの女性教授差別是正宣言
〔2002.3.24掲載〕
- 帰国のご挨拶
〔2002.4.30掲載〕
- 英文小著のサンプルページ
〔2002.8.2掲載〕
- 刊行開始5周年
〔2002.9.25掲載〕
- 国会図書館の変貌
〔2002.11.20掲載〕
- この一年(1)──追悼一束
〔2002.12.19掲載、12.22追補〕
- 『社会政策学会年報』総目次のこと
(2002.12.27掲載)
- 読者各位への年賀状
(2003.1.1掲載)
- 高野房太郎、アメリカからの手紙
(2003.1.18掲載)
- HOLLISはすごい!──ハーバード大学図書館検索システムの変貌
(2003.2.28掲載)
- イラク反戦関連サイト紹介
(2003.3.24掲載)
- 追悼 隅谷三喜男先生、山住正己さん
(2003.3.31掲載)
- カタカナ好きのNHK
(2003.4.30掲載)
- 『食の自分史』連載開始にあたって
(2003.5.23掲載)
- 祖父の日記
(2003.6.26掲載)
- 藤田省三さんのこと
(2003.7.7掲載)
- 電子図書館と著作権問題──国会図書館の著作者公開調査に寄せて
(2003.8.29掲載、8.30補訂)
- 刊行開始6周年
(2003.9.25掲載)
- 『足尾暴動の史的分析』第1章、掲載完了
(2003.10.18掲載)
- ようやく長崎へ
(2003.10.27掲載)
- 房太郎帰国
(2003.12.2掲載)
- 年頭のご挨拶
(2004.1.1掲載)
- 生き返った『横山源之助全集』
(2004.2.8掲載)
- 「高野・ゴンパーズ往復書簡集」完結
(2004.3.25掲載)
- トム・スミス追悼
(2004.4.30掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その3)サンフランシスコ(1)
〔2004.6.5〕
- 高野房太郎の旧跡探検(その4)サンフランシスコ(2)
〔2004.6.22〕
- 国会図書館サイトの大変貌
〔2004.7.27〕
- 『足尾暴動の史的分析』掲載の中間報告
(2004.9.8掲載)
- 刊行開始7周年──縦書き表示に挑戦
(2004.9.21掲載)
- ブラウザーあれこれ
(2004.12.11掲載)
- 愛読者各位へ──年頭のご挨拶
(2005.1.1掲載)
- 労働組合期成会『工場法案に対する意見書』のこと(2005.2.15掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その5)──貸席・柳屋跡
(2005.3.5掲載)
- 社会政策学会史料のこと
(2005.4.15掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その6)──「神田青年会館」跡
(2005.5.27掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その7)──キングスレー館跡
(2005.6.5掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その8)──労働組合期成会事務所跡
(2005.7.9掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その9)──生協売店「共営社」跡
(2005.8.30掲載)
- 刊行開始8周年──『高野房太郎とその時代』完結へ
(2005.9.25掲載)
- 大原孫三郎を描いたTV番組の全国放送
(2005.10.27掲載)
- 年賀欠礼
(2005.11.27掲載)
- 季節のご挨拶
(2006.1.30掲載)
- 近況報告
(2006.2.28掲載)
- 難問解決──「機種依存文字」の表示方法
(2006.3.17掲載)
- 「機種依存文字」の表示方法(その2)
(2006.3.17掲載)
- リンク集のこと
(2006.4.30掲載)
- 《学術論文E-TEXTリンク集》のこと
(2006.5.11掲載)
- 「紀要公開サイト」の問題点
(2006.5.30掲載)
- 《社会政策学会文書館》のこと
(2006.7.29掲載)
- トップページの模様替え
(2006.8.26掲載)
- 刊行開始9周年
(2006.9.25掲載)
- 年頭のごあいさつ
(2007.1.1掲載)
- 祝・旧町名復活──長崎銀屋町
(2007.1.22掲載)
- 足尾暴動100年──『足尾暴動の史的分析』第3章英訳の掲載開始
(2007.2.7掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その10)──長崎編(1) 生家の所在地
(2007.2.28掲載)
- 高野房太郎の旧跡探検(その11)──長崎編(2)母・マスの実家跡
(2007.4.24掲載)
- 『横山源之助全集』完結
(2007.8.30掲載)
- 刊行開始10周年
(2007.9.25掲載)
- 新年のごあいさつ
(2008.1.1掲載)
- 『高野房太郎とその時代』の活字本
(2008.6.10掲載)
- 第1回ARGカフェ参加記
(2008.7.21掲載)
- 『労働は神聖なり、結合は勢力なり──高野房太郎とその時代』、近日刊行
(2008.8.25掲載)
- 「企業別組合」論をめぐるインタビュー
(2008.9.4掲載)
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第1回(2001.3.6掲載)
高野房太郎が匿名(〈O.F.T.生〉名義)で、1887(明治20)年から1888年にかけて『読売新聞』に寄稿した通信5本。いずれも岩波文庫『明治日本労働通信』には収録されていない。
渡米の際、PO汽船とカナダ汽船との得失比較、サンフランシスコにおける日本商品店の状況、商業研究のために渡米する人への忠告など。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第2回(2001.4.21掲載)
サンフランシスコで日本商品店を開く場合の費用、労働者が渡米することの利害得失。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第3回(2001.5.16掲載)
サンフランシスコにおいて中国人経営の日本商品店と競争することの難しさ、日本からの茶の輸出について。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第4回(2001.11.7掲載)
共和・合州〔民主・共和〕両党の大統領予備選挙の状況。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第5回(2002.2.10掲載)
新しい中国人排斥法案(Chinese Exclusion Bill)について。
- 高野房太郎「桑港に日本旅店を創設するとは信乎」
(未掲載)
〈在米桑港 一商生〉の名で『読売新聞』に投稿したもの。1888(明治21)年8月1日および2日号に掲載。高野房太郎執筆の確証はないが、掲載紙、掲載時期、文体などの情況証拠を考慮すれば、99%間違いないと考える。
- 片山潜の未発表自伝続編
(未掲載)
片山潜が執筆し、堺利彦にその整理が任されたと推定される『片山潜自伝続編』の草稿。
- 亀戸事件小論(2000.6.2掲載)
1923年9月関東大震災のさなかに、平沢計七、川合義虎ら労働組合員10人が行方不明になる事件がおきた。その後、自由法曹団の弁護士らの努力で、彼らは亀戸警察署内において習志野憲兵隊の兵士によって虐殺された事実が明らかとなった。本稿は、つぎに掲げる『亀戸労働者殺害事件調書』の解説を兼ね、〈亀戸事件〉をめぐるさまざまな史実を検討したもの。初出は、法政大学大原社会問題研究所『資料室報』第138号(1968年3月)。
- 資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(1)(2000.6.2掲載)
この資料は〈亀戸事件〉発生の直後から、山崎今朝弥、布施辰治ら自由法曹団の弁護士が事件解明のため、関係者から精力的に聞き取りをおこない、それを調書として作成したもの。プロレタリア文学史をかざる金子洋文『種蒔き雑記──亀戸の殉難者を哀悼するために』はこの調書をもとに執筆された。
- 資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(2)(2000.6.2掲載)
前掲資料の後半部分。
- 資料紹介『(関東大震災時の)官憲ノ検束者ニ対スル暴状(2000.6.2掲載)
関東大震災の際、中野警察署、淀橋警察署戸塚分署など亀戸署以外の警察署に検束された人びとに対する迫害を記録。このなかには浅沼稲次郎、稲村順三、北原竜雄、平林たい子らが含まれている。他に神道久三「検束される迄の記」など。
- 片山潜未発表書簡──「パーマー・ レイド」前後とモスクワ便り(2000.5.25掲載)
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)の〈少数民族アーカイブ〉に残されていた片山潜の未発表書簡14通の紹介。うち2通は、1920年1月2日夜、検事総長ミッチェル・パーマーの指揮下におこなわれた「あか狩り=パーマー・ レイド」を逃れた潜伏中の片山が支持者に送った長文の手紙。残りは1928年から32年にかけモスクワ滞在中の潜から在米の西村義雄に送られたもの。『資料室報』259号に掲載。
- 〔資料紹介〕永岡鶴蔵自伝「坑夫の生涯」(2000.7.3掲載)
『社会新聞』に連載された永岡鶴蔵の自伝。明治期に書かれたほとんど唯一の労働者の自伝。
第1部 高野房太郎より弟・岩三郎宛の書簡一覧
- 1887(明治20)年7月31日付(カリフォルニア州ポイント・アリーナより)〔2002.5.5 掲載〕
- 1890(明治23)年8月8日(ワシントン準州タコマ市より)手紙〔2002.8.5 掲載〕
同オリジナル画像データ〔2002.8.5 掲載〕
- 1890(明治23)年10月9日(サンフランシスコより)〔2002.8.19 掲載〕
同句読点ルビ付き〔2002.8.19 掲載〕
同オリジナル画像データ〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年10月20日(サンフランシスコより)〔2002.9.25 掲載〕
- 1890(明治23)年11月11日(サンフランシスコより)〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年12月6日(サンフランシスコより)〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年12月16日(サンフランシスコより)〔2002.9.14 掲載〕
- 1890(明治23)年12月29日(サンフランシスコより)〔2003.1.4 掲載〕
- 1891(明治24)年1月9日(サンフランシスコより)葉書〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年2月2日(サンフランシスコより)〔2002.9.14 掲載〕
- 1891(明治24)年3月10日(サンフランシスコより)〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年4月1日(サンフランシスコより)〔2002.9.25 掲載〕
- 1891(明治24)年5月6日(サンフランシスコより)〔2002.9.28 掲載〕
- 1891(明治24)年6月1日(サンフランシスコより)葉書〔2002.9.30 掲載〕
- 1891(明治24)年6月13日(サンフランシスコより)〔2002.9.30 掲載〕
- 1891(明治24)年6月24日(サンフランシスコより)葉書〔2002.10.1 掲載〕
- 1891(明治24)年7月17日(サンフランシスコより)〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年10月8日(サンフランシスコより)〔2002.10.1 掲載〕
- 1891(明治24)年10月20日(サンフランシスコより)〔2002.9.14 掲載〕
- 1891(明治24)年12月9日(サンフランシスコより)〔2002.10.2 掲載〕
- 1892(明治25)年1月13日(サンフランシスコより)〔2002.10.2 掲載〕
- 1892(明治25)年2月12日(タコマより)〔2003.1.14 掲載〕
- 1892(明治25)年3月7日(タコマより)〔2003.1.14 掲載〕
- 1892(明治25)年3月30日(タコマより)〔2003.1.17 掲載〕
- 1892(明治25)年5月6日(タコマより)〔2003.1.17 掲載〕
- 1892(明治25)年5月30日(タコマより)〔2003.1.18 掲載〕
- 1892(明治25)年9月23日(タコマより)〔2003.1.18 掲載〕
第2部 高野房太郎宛書簡一覧(近日掲載)
第3部 高野房太郎日記〔1897(明治30)年〕未刊
1 Labor Report from Meiji Japan
- Labor Movement in Japan
American Federationist, Vol.1 No.8 (October, 1894).
- The War and Labor in Japan
Social Economist, vol.IX(July, 1895)
- The Japanese Workers' Condition
American Federationist, Vol.II, no.1(September, 1895)
- Chinese Tailors' Strike in Shanghai
American Federationist, Vol.III, no.1(March, 1896)
- Labor Problem in Japan
Taiyo, vol.Ⅱ, No. 4(July 5, 1896)
- Typical Japanese Workers
Far East Ⅱ, No.4 (April 20,1897)
- Strikes in Japan
Far East Ⅱ, No.6 (June 20,1897)
- A Remarkable Strike in Japan
American Federationist, vol. Ⅳ. No. 7 ( September, 1897)
- Prospects of Japanese Labor Movement
American Federationist, vol. Ⅳ. No. 9 ( November, 1897)
- Female Labor in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.10 (December, 1897).
- Proposed Factory Act in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.11 (January, 1898).
- A New Trade Union in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.12 (February, 1898).
- Experience of a Labor Agitator in Japan
American Federationist, vol.Ⅴ No.1 (March, 1898).
2 Correspondence between Fusataro Takano and Samuel Gompers(in progress)
- From F. Takano to S. Gompers, March 6, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 一 助言を求めて 原文
- From S. Gompers to F.Takano , March 9, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From F. Takano to S. Gompers, March 13, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 二 返信に感謝して 原文
- From S. Gompers to FTakano, March 16, 1894
上掲書簡への返信 原文。機関誌への寄稿を依頼。
- A letter draft from Fusataro Takano to Samuel Gompers, April 10, 1894
1894年4月10日付で発信されたと推測される手紙の下書き。
- From S. Gompers to F. Takano, April 19, 1894
1994年4月10日付の房太郎よりの手紙に対する返信。機関誌への寄稿を再度依頼。
- From F. Takano to S. Gompers, May 7, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 三 寄稿の勧めに応えて 原文
- From S. Gompers to F. Takano, May 9, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From S. Gompers to F. Takano, July 10, 1894
機関誌の原稿受領への礼状
- From F. Takano to S. Gompers, August 19, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 四 面会を求めて 原文
- From S. Gompers to F. Takano, August 21, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From S. Gompers to F. Takano, August 30, 1894
上掲書簡への追伸 原文
- From S. Gompers to F. Takano, September 26, 1894
アメリカ労働総同盟のオルグに対する、パスワード送付の通知
- From S. Gompers to F. Takano, September 28, 1894
急な「帰国」の知らせに対する連絡。
- From S. Gompers to F. Takano, October 22, 1894
ゴンパーズより資料送付の案内、原文
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 28, 1895
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, February 5, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, February 18, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, March 7, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 5, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 22, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 28, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, October 10, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 31, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 28, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 11, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, January 4, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, February 20, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, March 29, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, April 15, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, May 2, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, May 19, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, June 24, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 3, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 7, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 8, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, August 21, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, September 3, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 15, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 17, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 26, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 29, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, October 24, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 27, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 28, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, November 8, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 16, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 23, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 2, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 17, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, January 7th, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, April 30, 1898
- From Fusataro Takano to Frank Morison, June 5, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, August 23, 1898
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 15, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 4, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, September 1, 1899
- A letter draft of Fusataro Takano addressed to Samuel Gompers, April 10, 1894
- A Letter draft of Fusataro Takano addressed to J. Hayes, August 25, 1894
- A letter from A. B. Kingsland to Fusataro Takano, Dec. 12, 1888
- A letter from A. B. Kingsland to Fusataro Takano, Dec. 27, 1888
- A letter from Albert Brayton to Fusataro Takano, Oct. 24, 1889
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, Oct. 24, 1889
- A Letter from E. S. Baker to Fusataro Takano, Dec. 6, 1889
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, March 2., 1890
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, April 18., 1890
- A letter from John Hayes of the Knights of Labor to Fusataro Takano, August 6, 1891
- A Letter from Lucy Clark to Fusataro Takano, November 27, 1892
- A Letter from G. W. Perkins of Cigarmakers Int'l Unon to F. Takano, May 31, 1894
- A Letter from Henry Beckmeyer of Essex Trade Council to F. Takano, July 19, 1894
- A Letter from D. Everett of Brotherhood of Locomotive Engineers to F. Takano, Aug 13, 1894
- A Letter from L. P. August of Brotherhood of Locomotive Firemen to F. Takano, Oct. 9th, 1894
- A Letter from Percy Hollister Whiting to Fusataro Takano, August 14, 1896
1901(明治34)年に『労働世界』の発行所であった労働新聞社から刊行されたこの書物は、草創期の労働運動の実態を、その関係者が自ら記した貴重な記録である。ただ、この本は、これまできちんとした形で復刻されたことがない。現在一般的に利用されているのは、岩波文庫に収められている片山潜著『日本の労働運動』(1952年、山辺健太郎解説、なぜか共著者の西川光二郎の名を省いている)である。しかし、同書は原本によらず『明治文化全集』第6巻社会篇を底本としたため、原本の記述を誤って記している箇所がある。また、原本には数多く掲載されている口絵写真をまったく欠き、必要な注釈もほとんど加えられていない。この日本労働運動史の古典ともいうべき作品に、正確な解説・注釈を付し、利用しやすい形で提供したい。
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