二 村 一 夫 著 作 集

高野房太郎とその時代(三八)

「労働者の声」の筆者は誰か?


「労働者の声」を掲載した『国民之友』第95号(1890年9月23日刊)表紙

 私は、前々回、日本最初の労働組合論として知られてきた「労働者の声」も高野房太郎執筆の可能性が高いと述べました。その時は、話が横道に逸れるおそれがあったのでそれ以上の議論は避け、単なる指摘にとどめました。そこで今回は、あらためてこの問題を取り上げてみたいと思います。
 徳富蘇峰が主宰した総合雑誌『国民之友』の第九五号(明治二三年九月二三日)に掲載されたこの無署名論文は、多くの研究者によって、日本で最初に労働組合運動の意義を説き、その結成を推奨した論稿であると評価されて来ました*1。しかし、その筆者が誰であるかを検討した人はいません。無署名論文ですし、肉筆でなく活字で残されただけの文章ですから、筆者探しの手がかりに乏しいことが、問題にされなかった主な理由でしょう。もちろん、その事情は私とて同じですから、これから述べることはあくまで推論にすぎません。それに、私は「労働者の声」より前に発表されている「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」こそ、日本で最初に労働組合運動の意義を説いた論文であると評価していますから、この筆者が房太郎でないとしても、彼の先駆性に傷がつくとは思いません。ただ、「労働者の声」は、欧米の労働組合運動について紹介するだけでなく、日本人に向け労働組合、協同組合の結成を呼びかけた点では日本初の論稿ですから、その筆者が誰であるか探ることには意味があると思います。また、「労働者の声」の筆者として高野房太郎の可能性を主張したからには、最低限その論拠を述べておかなければならないでしょう。

 同稿は全文六ページ*2、比較的長文で、名文とは言えませんが論旨は明快です。論点の第一は、世界各国の歴史にてらすと、労働者がいずれは政治上の発言権をもつようになることは明らかで、そうした時にそなえ、今のうちに労働者が国民としての義務を担いうるだけの力をもたせておく必要がある。ただ現状では、労働者自身にその地位を高める活動を期待することはできないから、外部より働きかけるほかはない、というにあります。
  第二の論点は、労働者の地位を高めるための具体策で、筆者は次のような二つの方策を提起しています。文章の癖も筆者探しの重要な手がかりになりますから、今回は現代語訳はせず、原文通りに紹介しておきましょう*3

  吾人は今ここに、二個の方法を提出し、以て世の慈善心ある義人にうったへんと欲す。
其一は則ち労役者をして、同業組合トレードユニオン )の制を設けしむる事是なり。同業組合とは何ぞや。大工は大工なり、左官は左官なり、又其他の職人は職人なり、同職者相団結して、以て緩急相互に救ふの業を為す事是なり。此事たるや、欧米諸国にて既に久しく行はれしものにして、今日は其法頗る発達し、独り同職者のみならず、その職業の異なる者をも、皆団結して一体となり、以て緩急相応じて、以て其団結の利益を保護し、併せて之を拡張する所以ゆえんの法を講ぜり。〔以下略〕
  斯の如く同業組合は、これを内にしては同業間の親睦を篤ふし、其緩急相助くるの情を養ひ、彼等をして幾分の所得を貯蓄せしめ、又非常の時に際しては、その緩急に応ずるの保険者たらしめ、之を外にしては以て同業者の勢力を団結して、その疾苦を医するの手段を講じ、已むを得ざる時に至りては、罷工同盟をも為しかね間敷の勢を養ふに足る。今日に於て労役者の朋友たる者は、何を苦んで斯くの如き事を等閑に附し居るぞ。吾人は実に同業組合を起すの、十利ありて一害なきを確信す。然れども斯の如き事は、之を我邦今日の労役者に一任する時に於ては、其成立を見るの日甚だ晩かるべし。吾人は世の労役者を踏壇として、彼等を煽動して、其私利を逞ふせんとする者の手に、斯の如き利器を預るを欲せずと雖、若し世に真正に平民の友となり、殊に労役者の友となる者あらば、願はくは自家の利益を犠牲にするの心を以て、労役者の為に其道を開かんことを忠言す。
  第二の考案は、共同会社 コオポレーションの制是なり。其制たるや方法一つにして足らずと雖、要するに資本家と労役者と、雇主と被雇者との間に在りて、其利害を並行せしむる所以の目的に外ならず。
 則ち彼の労役者自身が、其少数の資本を出して、以て互に共同して営業を為すもその一なり。〔中略〕
 然りと雖、以上はたゞ富の生産上に於ける共同会社の利益にして尚ほ富の分配上に於ける利益は、下に述ぶる所の者の如し。
 即ち欧米諸国にて、其日用品をば社員中には最も廉価に売渡し、以て生活上の便益を図る事あり。此事にして若し其方法宜きを得ば労役者をして生活の便益を得せしむるに於て実に浅からぬ恩恵を与ふる者なり。

 つまり、この論稿は労働組合とともに生産者協同組合、消費生活協同組合の結成こそが、日本の労働者の地位を向上させる鍵であると主張しているのです。この論旨は、前回紹介した高野房太郎の「日本における労働問題」と完全に一致しています。また、同盟罷工に対する態度など細部においても、房太郎の主張と食い違うところはありません。さらに「労働者の声」は、この呼びかけを労働者に向かって発しているのではなく、「世の慈善心ある義人」、「天下の志士仁人」に向かって説き、「労役者の友」となるよう訴えています。この姿勢も房太郎とまったく同じです。「労働者の声」はまた、労働組合運動ではアメリカの労働騎士団やジョン・バーンズが率いたイギリスにおけるストライキについて論じ、協同組合運動についてはロッジデールを先進例として詳しく紹介している点も注目されます。

 ところで「労働者の声」は、その内容だけでなく、文体や用語の点でも、「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」や「日本に於ける労働問題」といった房太郎の論稿と共通するところが少なくありません。たとえば〈吾人〉〈労役者〉〈友愛協会〉といった言葉が、両者で共通して頻出しているのです。
 次の三つの文章を比べてみてください。最初は「労働者の声」、二番目は「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」、三番目は「日本に於ける労働問題」のなかの一節です。

労役者をして、同業組合(トレードユニオン)の制を設けしむる事是なり。〔中略〕吾人は我邦に於いて、初めより斯の如き大結合を望む者に非ず。唯願ふ所は、同業組合なる者を起し、之を以て互に一種の友愛協会と為し、互に其収入金の幾分を貯蓄し、其組合中に疾病火災其他の不幸に遭遇する者は、事実を探究して之を助け、若くは一旦事あるの時に於いては、其同業団結して、罷工同盟を作すの用意を為すべし。
吾人は北米合衆国の政史を読む毎に常に労役者が其政治上に於て偉大の勢力を有するを認む。吾人労役者の此勢力の結果として支那人拒絶条例の発布を見たり〔以下略〕
労役者をして直接的利益を享有せしめんとせば、先ず此会合をして友愛協会たらしめんことを要す。即ち其会員の疾病に罹るや之れを救助するの資金を与へ、其死亡するや其家族に扶助金を給与し、其火災其の他の不幸に遭遇するや之を援助するの仕組を設く。

 しかし問題がひとつあります。それは、房太郎が愛用した〈結合〉が「労働者の声」では〈大結合〉という表現で一回しか出てこないことです。代わりに使われている語は〈団結〉です。現在では〈unity〉〈combination〉などの訳語として〈団結〉が定着していますが、房太郎はほぼ一貫して〈結合〉を使っています。論文のテーマにかかわる主要な用語がこのように違うとなると、「労働者の声」を高野房太郎執筆とすることに疑念が生じます。
 ただ私は、次のように考えれば、この疑念は晴れるのではないかと考えています。すなわち「労働者の声」は、『国民之友』の編集者が原稿か、校正の段階で加筆訂正したものであろう。おそらく元の原稿では〈結合〉と書かれていたものを、これを読んだ編集者が、この語は日本語としてこなれていないと考え〈団結〉と改めたのではないか。こうした推測に対しては、「まったくの我田引水、自分に都合の良い方向への強引な解釈」との批判がありえます。しかし、私はなんの根拠もなしに、こうした推測をしているわけではありません。
 それは、「労働者の声」に先立つこと二〇日前、同じ『国民之友』の第九三号(明治二三年九月三日)に「労役者の組合」という小文が発表されています。この文章の筆者と「労働者の声」の筆者は同一人物と考えてよいでしょう。ほとんど同時期の同じ雑誌に、同じテーマで、論旨も一致しているのですから。ところで、この「労役者の組合」の文体は、まさに房太郎の文章の特徴をそなえています。短いものですから、全文を紹介しておきましょう。

     労役者の組合
  左官大工の組合は既に設あるべし。然れ共活版職工の組合は未だ設なきが如し。其他労役者として組合の設なき者は速かに之を設けざるべからず。唯之を設くるに労役者を保護し、労役者の地位を進むるの効能を有せずんば、是なほ組合無きに〔が?〕勝るなり。若夫れ組合を設けんと欲せば、其組合に於て賃銭の事を議せよ。雇主に対する処分を議せよ。而して一致団結の運動を為せよ。今日資本家労役者の関係は、労役者の勢力過重に非ずして資本家の権力過重なるに在り。労役者の資本家の命是れ奉ずるのみ。資本家の不正を以てするも無理を以てするも之に向つて抵抗する勇気なきなり。勇気なきは固より怪むなし、労役社会に結合なければなり。資本家に対する一個人を以てす、決して勝を期すべからず。然れ共結合の力を以てすれば資本家何かあらん。然れ共吾人は強て同盟罷工( ストライキ )を起せと云ふに非ず。隊を組んで乱暴を働けと云ふに非ず。只資本家雇主等が不正、不道、無理の事を為すに至りて、労役社会を保護する丈けの勢力は労役者に抱持して失ふこと無からん事を望むのみ。 〔強調は引用者による〕

 見られるように、この文章では〈一致団結〉という四字熟語の一部として〈団結〉という言葉がでてきますが、あとは〈結合〉が使われています。この二つの文章の筆者が同一人物だとすると、長文の「労働者の声」において〈結合〉の語が一回、それも〈大結合〉として使われているに過ぎないのは、いささか不自然です。これは編集者が、頻出する〈結合〉という言葉を、日本語として熟していないと感じて手を加えたからだ、と考えないかぎり理解できません。

 さらに言えば、もし仮にこの二本の論稿の筆者が房太郎でないとすると、別の大きな謎が生まれてきます。それは、欧米の労働組合運動や協同組合運動についてこれだけの知識をもち、日本の労働者の組織化にも熱意をもっていた人物が、たった一本の論稿と、1編の短文を発表しただけで、その後はいっさい沈黙を守った事実です。この発言から七年後には、労働組合期成会が結成され、鉄工組合も発足しています。「労働者の声」の最後で、次のような主張を展開した筆者だったら、労働組合期成会に参加し、これを支持する論陣を張って当然ではないでしょうか。

 吾人は今日に於て労働問題の必ず社会に出ざる可からざるを信じ、亦た吾人の力有らん限りは、之を社会に提出し、社会の翼賛を得て、彼の労働者の声をして天下の志士仁人の耳底に徹せしめんことを欲し、敢て之を言ふ。

 しかし、実際には、このような発言をした人物は高野房太郎のほかには見当たりません。このように、「労働者の声」「労役者の組合」の論旨が、細部にいたるまで房太郎の主張と一致すること、さらにこの時期にそうした主張を展開した人物は高野しか見当たらない点から、私はこの筆者は高野房太郎に違いないと推測したのです。




【注】


*1 「労働者の声」に関する従来の評価については、小松隆二「日本における労働組合思想の導入過程──労働研究の成立と社会政策論」(『日本労働研究雑誌』No.三六六、一九九〇年四月)参照。
なお「労働者の声」が最初に注目されたのは、吉野作造編集代表『明治文化全集』第二一巻 社会篇の「社会問題雑纂」に採録された時であろう。この論稿に対する解題を執筆した赤松克麿は、つぎのように論じている。

 「労働者の声」は明治二十三年九月二十三日発行の『国民之友』第九十五号に掲載された一文章であるが、この文章が我国に於いて始めて純正なる意味に於ける労働組合主義を鼓吹した文献であることは、我国の社会運動史家の間に於いて一致した意見である。無署名であるので筆者はわからない。

*2 「労働者の声」は、「労役者の組合」とともに、岸本英太郎編・解説『明治社会運動思想』上(一九五五年、青木文庫)に収録されている。同書の解説で岸本英太郎は次のように述べている。

このような情勢下に先進国の労働運動や社会主義を紹介したのが徳富蘇峰の「国民之友」(明治二〇年二月発刊)であったが、これは鉄工の「同盟進工組」の結成された翌年の明治二十三年には、注目すべき二つの論文「労役者の組合」「労働者の声」を掲げて労働者の組織の必要を強調し、同業組合即ち労働組合の結成と、救済と罷業に充てるための共済資金の用意および同業会社即ち消費組合の設立を訴えた。これは我国においてはじめて明確な労働組合主義を訴えたものとして極めて重要な意義をもつものである。〔強調は原文〕


*3 引用文中、のルビ( )内は原文により、〔 〕内二村による。読みをカッコで括っているのは、この区別をするだけでなく、Netscapeなどブラウザーによってはルビが表示されないからである。



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