１.　胃癌手術後の病院食(上) 　流動食

手術を受けたのは、2006年1月、13日の金曜日だった。朝9時には手術室に入ったが、まずは麻酔科医の出番で、手術が始まったのは10時だったようだ。全部終えるのに4時間近くかかったそうだが、全身麻酔だから、術中はもちろん、回復室での記憶もない。気がついた時には病室に戻っていた。むろん傷口は痛んだ。だが、ボタンを押せば即座に鎮痛剤を自分で注入できる硬膜外麻酔が使われたので、予想したほど痛くはなかった。もっとも手術の翌朝、腹部レントゲンを撮るため硬い撮影台の上に横に寝かされた時ばかりは激痛が走った。癒着による腸閉塞がないことを確かめるための検査だった。
　　ガスが出るまでは、水一滴たりと口にすることが許されず、水分、栄養分ともすべて点滴による補給である。お腹は空かないが、唇や口腔が異常に乾いて気持ちが悪い。冷水で口を漱いでしのいだが、最初に吐き出した水の汚さには驚いた。
　　回復を促進し、内臓の癒着を防ぐため、積極的に身体を動かすよう指示され、キャスター付きの点滴スタンドを押して廊下を歩き回る。
　　以下、日記から飲食に関する部分を中心に抜粋しておこう。

1月16日（月曜）　術後３日目
　　午前9時18分、初のガス放出を確認。当日午後の回診で問題なしと診断され、ようやく夕方から水を飲むことが許された。ただし200ccまで。冷水をひとくち飲み、ついで薄めた麦茶を試みたが、何とももの足りない。そこで、緑茶をいれ口のなかでころがした。まさに甘露、カンロ、舌で味わうことの喜びを再認識した。ただ、飲み込むのは我慢した。

1月17日（火曜）　術後４日目
　　朝の診察で順調な回復が確認され、飲水量の制限が解除された。まず冷水を飲み、ついで緑茶を楽しみ、最後に砂糖を加えた紅茶を啜った。そろそろ食事にならないものか。

1月18日（水曜）　術後５日目
　　午前中に体重測定。風袋とも、つまりパジャマや腹帯を着けたままで66キロ余だから、実質は65キロ台なかばだろう。手術前より、僅か３キロ減少しただけで、期待していたほどダイエット効果はあがっていない。点滴でも、けっこうカロリーは補給されているらしい。
　正午ちかくなって胃のエックス線検査があった。防護衣を着けた医師が横に立ち、造影剤の飲み方や身体の位置を細かく指示されながら撮られる。飲まされたのは通常の白いバリウムでなく、無色透明の甘ったるい液体。量もそれほど多くはなく、まず３口、さらに３口と少しずつ追加しながら撮影。立ったままで、身体をあまり動かさずに済むのは助かった。デジタルカメラだったらしく、最後にモニター画像を見せて説明してくれる。小さな胃にはなってしまったが、底部に造影剤が溜まっているから、胃としての機能は果たすだろうとのこと。食事再開を前に、胃の状態をチェックする目的の検査だったらしい。
　午後6時、術後初の夕食だが、直前に医師から、最初は少しずつ、出る食事の半分は残すようにとの助言がある。だが、出たのは薄い重湯、実のない味噌汁、牛乳、オレンジジュースの４種、それも各５０cc。とても「食事」と呼べるしろものではない。重湯はまったく味がない。それでも味噌汁と代わる代わるに一口ずつ飲み、ゆっくり収める。それぞれ２分の１余。牛乳は３分の２、オレンジジュースは２分の１弱でやめる。最初の食事というので、いくらかは期待していたのだが、なんとも味気ない「食事」だった。

1月19日（木曜）　術後６日目
　　前日から、水様便が続く。お腹も少し痛む。造影剤の影響なのか、１週間ぶりに口から食べ物が入ったためか分からない。朝の回診で、腹部の手術跡に張られていたテープが取り去られ、体液を排出する管もなくなった。点滴が１日２本に減り、自由に動ける時間が増えた。風呂に入ることが出来るようになったのが何より嬉しい。
　朝食は昨日と同じ流動食。つまり重湯、具無し味噌汁、牛乳、オレンジジュースで、計200cc。30分かけて、およそ半分ほど口にした。だがとても我慢が出来ず、リンゴを細かく砕き、絞って汁を飲んだ。これは正解、フレッシュ・ジュースは格段においしい。
　昼食、夕食も流動食。重湯は変わらず、味噌汁がコンソメに、オレンジジュースがリンゴジュースに変わる程度の違いにすぎない。量は各50cc、総計２００cc。朝のリンゴのフレッシュ・ジュースに味を占め、今度はグレープフルーツでジュースをつくり、砂糖を少々加えて飲む。
　回復はきわめて順調だから、明日からは三分粥になるだろうとは医師の言。だが看護師さんの話では、明日もまだ流動食らしい。「ちょっと慎重にすぎるのではないか」と、いささか不満を口にする。

1月20日（金曜）　術後７日目。
　　医者が三分粥でも良いと言ったのだからと、朝７時、病院の食事が出る前に自分で紅茶を入れ、砂糖と牛乳を加えてミルクティーにし、院内の売店で買ってきた森永のMARIEを食べる。良く噛んで、口のなかで三分粥より薄くしてしまうから大丈夫だと理屈をつけながら、久しぶりに歯でものを噛む感触を楽しむ。別に流動食と変わらず、身体に何の変調もないどころか、元気になる。これに味をしめて、昼にはおろしたリンゴ、夕食には、家からご飯と出汁をもって来させて薄い粥を作り、梅肉をそえて食べる。これはうまい。やはり、食べ物は、お仕着せではない、自前の味が一番。内緒ないしょで食べるから、余計においしいのだろう。病院の流動食は、こっそり流して処理した。
〔2007.10.30〕