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食の自分史 第2部 小胃期

2. 胃癌手術後の食事 ─ 術後1年間(上)
  ─ 小さな胃に慣れるのは容易ではない ─

 胃の3分の2強を切除し、胆嚢もとってしまう手術を受けたのは、2006年1月13日のことだった。間もなく10年になる。比較的早期の発見だったし、リンパ節への転移もなかった。術後間もなく、「制癌剤はどうします?」と主治医に聞かれた。とっさに「もし先生が私の立場だったらどうなさいますか?」と聞き返し、その答を聞いて、抗癌剤は飲まないと決めたのだった。当時はまだ、抗癌剤による転移予防の効果は定かではない一方、副作用は確実におきる、と知ったからでもある。
 前回書いたように、手術後の経過はよく、入院から3週間後、術後2週間で退院した。「きわめて順調な回復です」と担当医の先生方はくちぐちに褒めてくださった。退院後、2ヵ月おきに定期的に受けていた検診も、半年に1回になり、さらに満5年が経った時に、主治医から、「これで卒業ですね」と言われ、いちおう「完治」ということになった。ガン治療に関するかぎり順調だった。しかし「完治」したとはいえ、元の身体に戻ったわけではない。手術の影響は、いまだに大きい。もっとも、その影響のなかには、減量してはリバウンドというメタボ問題から完全に解放されたという、プラス面もあるのだが。

 入院中、「きわめて順調な回復です」と言われ続けてきたが、退院後の生活は、順調とはほど遠いものだった。もっとも、予想に反し「胆嚢摘出」は、さしたる障害を残さなかった。「胆嚢」は肝臓がつくる胆汁を濃縮して貯蔵し、必要時に送出するだけの臓器で、脂肪の多い食事をとらなければ、あまり問題にはならない、ということらしい。また「ダンピング症候群」という、胃切除手術の後遺症の第1に挙げられる症状は、いまだ体験せずにいる。これは、執刀してくださった先生が名医で、食べたものがすぐに十二指腸へ入ることのないよう、残った胃の形を工夫して整形してくださったお陰だと考えている。同じ胃癌の術後でも、後遺症の出方は、ガンの発生部位や、医者の腕の違いによって、かなりの違いがあるらしい。

 だが、胃の3分の2強を切り取ったことで、食生活は激変した。まず気づかされたことは、僅かな食事でもすぐお腹が一杯になってしまうことだ。これは胃が小さくなった以上おきることは覚悟の上の、いわば「想定範囲内」のトラブルである。だが、誰からも警告されず、予想もしていなかった事態がいくつか起きた。
  軽いところでは、食の嗜好が変わったことである。たとえば、入院中にあれほど楽しみにしていた朝食のフランスパンとミルクティーが、なぜか口に合わず、食べる気がしなくなった。医師や栄養士から、「これからの食事は、消化の良いものを少しずつ時間をかけて食べるように」と言われていた。その点、パンは麦を粉に挽いてから作るものだから、消化面では最適なはずだ。しかし、どうにもこれまでのような旨さを感じない。胃を切除したことで味覚が変化するとは、思いもよらなかった。それにパンにつきもののミルクティが口に合わない。どちらも原因ははっきりしないが、ミルクティは、大きなカップからガブガブ飲むことが出来なくなったためかもしれない。少しずつすする緑茶なら大丈夫だ。そこで退院後数ヵ月は、菓子と緑茶を朝ご飯代わりにした。
  緑茶に合う菓子はもちろん和菓子だが、それだけでは飽きるので、マドレーヌやスポンジケーキなどの洋菓子類も組み合わせ、ほぼ日替わりの朝食を食べていた。甘いものだけでは食事にならないので、少量の漬け物や果物を食べた。昼食や夕食は、これまで通りのご飯とおかずで、これは沢山食べられないだけで、とくに味の変化は感じなかった。合間には各種のクッキー、あるいは、煎餅やポテトチップスなど塩味のもの少々で、カロリー不足を補った。
 だが、予想外の耐えがたい体験は、食事後間もなく、何ともいえぬ全身的な不快感、違和感に襲われることだった。かつて経験したことがないほど、お腹が張る、「腹部膨満感」が主訴である。ベルトをゆるめ、パンツのゴムも引っ張って、腹部への締め付けをなくすといくらか楽になる。どうにも辛いときには、ベッドに横になり蒲団をかぶり、下半身をスッポンポンにして時の経つのを待つほかなかった。年金暮らしの老人だからこんな姿でいられるが、仕事をもち時間に追われている働き盛りの人だと、さぞ辛いことであろう。
  腹が張る原因のひとつは便秘である。何しろ消化の良い、少量の食事をとっているから、当然のことながら便量は少なく、形も小さくなる。鼠の糞大、兎の糞大、鶉の卵大など、小さな硬い便になる。そんな便が直腸まで達しても便意は起きにくい。したがって便秘になり、とうぜん腹が張る。
 だが、それだけでは理解できない問題があった。ガス、つまり「おなら」=「屁」の回数や量が異常に増えたのである。「屁」とはいっても、あまり臭わない。どうやら「呑気症」というらしいが、飲食と同時に大量の空気が胃から十二指腸・小腸・大腸部に溜まってしまうらしい。「呑気症」は、食べ過ぎや早食いが原因だというが、胃の手術後は、少量の食事を「ゆっくり、ゆっくり」、「少しずつ」食べるようにしている。それでも、たえず腹部膨満感が起きてしまう。
  なぜこんなことになるのか、あれこれ考えた末に、自分なりに結論を出した。それは胃と十二指腸のつなぎ目、いわゆる「幽門部」の括約筋がなくなったために相違ない。つまり、胃の出口部分を切り取ってしまったため、胃に締まりがなくなったからである。正常な胃なら、いわばペットボトル状で、消化器内部に一定の気圧が維持されているから、飲み食いくらいで大量の空気は入らない。たとえていえば、ペットボトルに空気を吹き込もうとしても、簡単には入らないのと同じ理屈である。だが、ボトルの底に孔を空けてしまえば、空気は簡単に吹き込める。これが原因に相違ない。
〔2015.11.12〕



 

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written and edited by Nimura, Kazuo
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