民主々義をまもる国民のたたかいが、かつてないたかまり示している現在、「ながい歴史にきざまれた先人たちの血と涙と苦闘のあとをさぐり、その内部の問題点をほりさげ、プラスとマイナス、成果と弱点のあらゆる面を現在に生かすことによってかれらの遺産をひきつぐ」(総序)ことの必要もまた大きくなっている。
その意味で、講座『反体制運動史』全3巻刊行の企ては、まことに時宜を得たものといえる。第1巻は、信夫清三郎編で、明治・大正期の運動をとりあつかっている。信夫氏の総論につづき、(1)自由民権運動から初期議会闘争まで、(2)日清戦後の社会運動、(3)日露戦後の社会運動、(4)大正デモクラシー、(5)米騒動から普選運動ヘ、(6)第二次護憲運動および無産階級、の以上6章にわたって、名古屋・京都・大阪の6人の若い研究者が分担執筆している。第2巻には渡部徹編の戦前昭和期、第3巻に小山弘健編の戦後期が予定されている。
まだ第1巻しか出ていないので、講座全体についての評価はもちろんできない。ただ、「総序」に示されている、過去の諸運動を制約した客観的条件の追究にとどまらず、「運動の特殊性を思想やイデオロギーの、大衆との実際のかかわりかたや、組織の独自な内部関係のありかたにまで具体的に追求していくことによって、過去の運動を主体的にとらえなおし、それを現在的意義ある歴史として再構成し得る」という意欲的な姿勢、さらに「それぞれの時期における運動面を重点的にとらえて、運動の特徴点を集中的に反映するような事実や問題に照明をあてる」という方法の提示は、私に本講座への大きな期待をもたせるに充分であった。
だが、率直にいって、第1巻に関する限り、この期待はあまり満たされなかった。というのは、各章とも最近の研究成果をかなりよくとりいれ、手際よくまとめてはあるが、あまりにも概説的に過ぎるのである。
各時期における民衆運動の動きが一応つかめるという点で便利ではあるが、本書によって新たに解明されたというものがあまりなく、また新たに提起された問題も少いのである。
これは結局、「総序」に示されている方法が、個々の論文に生かされず、「運動の特徴点を集中的に反映する事実や問題」が、重点的にほりさげられていないためであるように思われる。たとえば、第6章では「総同盟の分裂」こそは、「その後の政治運動をふくめて全労働運動の方向を決定し、その四分五裂状態への原型をうちだした」きわめて重要な問題なのであるから、この講座としては、とうぜん何にもまして重点的に分析し、解明すべきであったろう。
ところが、これについてはきわめて僅かなスペースしかさかれず、その分析も信夫清三郎『大正デモクラシー史』の叙述を要約しているだけで、ほとんど見るべきものはないのである。このことは、程度の差はあれ、他の各章についてもいえる。
ただ総論だけは、日本における民主々義と社会主義のそれぞれの思想のあり方を、中国の場合と対比しながら掘りさげて、統一戦線が結成され得なかつた歴史的原因を追究しており、大変興味深い。
他の章も、このような問題史的追究を充分した上で書かれたならば、たとえ叙述は概説の形をとっても、もっと豊かな内容をもちえたのではなかろうか。
この他、ある章では「出稼型論」に拠り、次章ではその批判論に拠るといった方法のくいちがいも、私にはよく納得できない。その他、日清戦後の労働組合運動の衰退原因や、明治40年という時点での片山潜に対する積極的評価など、疑問点がいくつかある。それについては、また改めて問題にしたい。
信夫清三郎・渡部徹・小山弘健編『講座 現代反体制運動史第1巻──形成と展開』青木書店、1960年、A5判、342頁
初出は『読書新聞』1960年6月13日付
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