本書は『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』、『戦後日本資本主義と「東アジア経済圏」』など、日本とアジアとの歴史的な関わりを一貫して追究してこられた小林英夫氏が、現代の東南アジアにおける日系企業の実態の解明にとりくまれた仕事の成果である。
1974年以降、毎年1回はアジア各地へ旅して調査をされている著者が、本書をまとめるにあたっては1988年1月から92年1月までの満4年間、毎年3回から時には4回も、大学の休暇を利用して、文字どおりの手弁当で調査を実施したという。旅行の回数は14回、驚くべき精力である。
対象となっている「東南アジア」諸国は、ブルネイを除くASEAN加盟国、つまりフィリピン、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポールの5カ国である。調査対象は、日系企業のうち製造業に限定されており、さらに地域的にも、主として工業団地や輸出加工区内の企業が中心となっている。ブルネイが除かれたのも、同国には輸出加工区などがないからである。
構成は、課題と方法を述べた序章、日本と東南アジア経済との関わりを総括的に論じた第1章と、最後にこの調査の結果をまとめ、東南アジアの日系企業の実態を記した短い終章との間に、上記の5カ国にそれぞれ1章が当てられている。国別の各章の構成はほぼ同じで、つぎの7節である。
1. 各国の工業化政策と日本の投資
2. 輸出加工区(または工業団地)の一般的状況
3. 調査対象地域の概況
4. 各進出企業の概況
5. 人事・労務政策
6. 雇用上の問題点
7. 典型企業分析
本書は、それぞれの国における日系企業進出の歴史と現状、また各国における自由貿易区や工業団地の歴史・現状・問題点などを知りたいと思う人びとにとって大いに参考になるであろう。何よりも、ここに記されていることは、著者が直接現地におもむき、日系企業の関係者に面接して調査した結果を記録したもので、伝聞や文書資料にない確かさがある。また調査対象は、フィリピン2地区14社、インドネシア 2地区12社、マレーシア3地区45社、タイ2地区26社、シンガポール20社の計117社にも達している。
調査項目は、各企業の進出年次と進出の動機、払込資本金、合弁比率と合弁相手、製造品目、現地部品調達率と製品販売地域、従業員数とその男女比率、日本人社員数とその地位、本社との連絡方法と使用言語、労働者・管理者の募集方法、募集範囲と学歴、通勤手段、賃金・ボーナス・昇給制度、労働時間と交替制、休日、従業員教育制度、小集団活動の有無、内部昇格の有無、労働組合の有無、福利厚生制度、研修生制度、当面している問題などである。さらに、一部企業においては数十人の従業員を抽出してアンケート調査を実施し、その結果が紹介されている。
ただ率直のところ、本書の内容はいささかものたりない。第2章から終章まで、いずれの章も定型的な調査の結果を淡々と叙述することに終始していて、15回にも及ぶという現地調査の成果としては、意外に表面的なことしか知りえない。読者の立場からすると、実際に現地を踏んだ人でなければ分からない事実を知りたいし、またそれらの事実の背後にある意味やそれについての著者の考えを知りたいと思う。
たとえば、日系企業関係者と現地の人びと、とりわけ日本人管理者と現地採用従業員との緊張をはらんだ人間的な関係、あるいは生産現場での監督者と労働者とのありようなどについても具体的に知りたいと思う。
だが、そうした問題についての論及はほとんどない。数多くの現地調査をふまえた記録というより、なにか郵送によるアンケート調査の結果を読ませられている感がある。生産現場で働く労働者、あるいは文化や社会的慣習、宗教の違いのなかで格闘している日本人経営者らの生の声は、ごく断片的にしか聞こえてこないのである。言葉の壁、文化や社会、宗教や政治がらみの問題などさまざまな障害があるに相違ないから、そうした注文にこたえることの難しさは分かるのだが。
また、せっかく東南アジア五カ国をとりあげているのだから、各国の相互比較にもうすこし力をいれてもよいのではないかと思うが、意外に国際比較の観点が弱い。もちろんそれぞれの国の宗教の違いによる問題、労働組合への政府の対応の違いなどは論じられている。しかし、いずれも二次的な文献で知ることが可能なレベルの情報でしかない。また東南アジアだけでなく、欧米へ進出した日系企業との違いなども検討されてしかるべきだと思うのだが、それについての問題関心はほとんど感じられない。
そうした観点からのアプローチは、はじめから意図されていなかったのだとすれば、それを批判してもはじまらないのかもしれない。だが、序章の〈分析視角〉において先行研究のなかで「注目すべき作品」としてあげられているのは、小池和男・猪木武徳『人材形成の国際比較』や熊沢誠『日本的経営の明暗』などで、いずれも国際比較を軸にした仕事であることをみると、そうした注文もないものねだりというわけではなかろう。
いずれにせよ、著者は、この両書をはじめ序章でとりあげた書物について、今回の調査結果にもとづいた内容的な判断を示すべきであったのではなかろうか。とりわけ、「実証性が不十分」であると批判した熊沢誠氏の主張、すなわちアジアの日系企業は「『日本的』というよりは『古典的な』資本制経営の論理を適用している」との見解については、著者の判断をききたいと思う。
本書の分析にものたりなさを感じる原因のひとつは、著者の「日本的経営」についての考えが明確に示されていないことにある。序章で著者は「〈日本的経営〉の概念をここで云々するのではなく、日系企業の構成要素をあげて分析してみる必要があるように思われる」として、すぐ調査項目の例示に移っている。しかし、なにをもって日本的経営の特質とするかを検討することなしには、分析すべき「企業の構成要素」も明らかにならないのではないだろうか。
さらにいえば、著者は「あとがき」で、これまでのアジアの日系企業についての研究に関し、つぎのように述べている。
「その多くの調査は本当にアジアを知って結論をだしているのか、それとも〈書斎〉のなかでつくりあげた自分の仮説をもってアジアの都合のいい部分をきりとってきたのか。調査の文献を読んでいて、正直いってそうした印象をもった研究も少なくなかった。逆に数は決して多くはないが、アジアの現実のなかから独自の結論をひきだそうと苦闘している地味だが真面目な研究成果にふれる機会もあった。そしてできることなら自分も後者の道を歩みたいと希望し、不十分ながらもこの間、ささやかながら努力もしてきた」。
従来の研究に対するこのような二分法的な把握に、本書の問題点が集約されているように思われる。現地を実際に足で歩き、そこで調査をすすめることの重要性はいうまでもない。しかし、ただ現地に足をはこび、関係者と会って聞き取りをすれば、真実や問題点が発見できるわけではないであろう。
もともと、多くの回数を重ねたとはいえ短期間の旅行で、5カ国120社もの企業を、しかも個人で調査することには、かなりの無理があったのではないか。もっと対象をしぼって、特定の国、特定の企業に焦点をあてて研究した方がよかったのではなかろうか。もし、東南アジア全体の日系企業の全体像を解明することが意図されていたのであれば、〈書斎〉においても、さまざまな資料やすでにある研究に学び、現地調査において何を明らかにすべきかを考え、それはいかにすれば可能かを、あらかじめもっと詰めておく必要があったのではないか。著者がそうした努力を怠った、と言っているのではない。注にあげられている文献からも、容易にそのことはわかる。しかし、これまでの研究の多くが、実際にアジアを知らず〈書斎〉のなかで勝手につくりあげた仮説でアジアの都合のいい部分をきりとっていると批判するのであれば、著者は現地調査を通じて、そうした仮説の問題点を指摘し、誤りを実証すべきであったろう。
そもそも本書には、そうした従来の〈書斎派〉の研究に対する著者の内容的な批判はまったく示されていない。ただ分かるのは、そうした研究の対極にある著者の立場が「アジアの現実のなかから独自の結論をひきだそうと苦闘している地味だが真面目な研究」という現場主義であることだけである。だが、これだけでは「アジアの現実のなかから独自の結論を」だすことは容易ではなかろう。
長年の現地調査によってアジアの現実をよく知る著者であるだけに、つぎの仕事では、もっと〈書斎派〉の主張と内容的にきり結び、それを通じて「独自の結論」をひきだすことを期待したい。
小林英夫著『東南アジアの日系企業』
日本評論社、1992年5月刊行、246頁、定価 3,200円
『大原社会問題研究所雑誌』412号、1993年3月。ただし、本著作集への掲載にあたり部分的に加筆した。
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