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二村 一夫


労働組合組織率の再検討──国際比較を可能にするために(1)




   目  次
 はじめに──日本の組織率統計は実勢を正しく反映していない
 T 戦前期における組織率の検討──以上 本ファイル
 U  戦後の労働組合組織率(別ファイル、未刊)




はじめに──日本の組織率統計は実勢を正しく反映していない──

 労働組合の力を時系列的に、また国別に比較するとき用いられる主要な指標は労働組合組織率である。しかしすべての統計資料がそうであるように、組織率の場合も調査方法、用語の定義、算出方法の相違などによって単純な比較を許さない。それを無視し、異なった基準によって作成された複数の時系列的統計を無条件で接合したり、国際比較をおこなえば、間違った結論を導き出すおそれがある。現に日本の労働組合組織率も、戦前と戦後とでは統計作成機関が内務省、厚生省、労働省と変化したこともあって、その調査方法、算出基準なども大きく変化しており、戦後でもその作成基準は何回か変更されている(注1)
 しかし、これまでのところ、そうした問題を具体的に吟味した研究はほとんどない。本稿のひとつの課題はこの問題を詳しく検討し、戦前・戦後を通じて時系列的に比較可能な数値を算出してみることにある。
 もうひとつの課題は、現在の労働組合組織率作成基準の再検討である。というのも、戦後労働省によって作成されてきた〈推定組織率〉は、労働組合の組織実勢を示す指標としては、適正を欠いていると思われるからである。すなわち、いま推定組織率を作成するための分母に用いられている数値は総務庁(かつては総理府)統計局作成の「労働力調査」の〈雇用者〉数である。この〈雇用者〉(注2)とは「会社、団体、官公庁又は自営業主や個人家庭に雇われて給料、賃金を得ている者」と定義されている。この定義によると、会社の社長も、各省庁の大臣や次官までもが〈雇用者〉なのである。机をはさんで労働組合の代表の反対側に座る人びと、本来労働組合員であるはずのない使用者、経営者などが組織率算出の分母のなかに含まれているのである。さらに、法律によって団結権を認められていない、つまり労働組合を組織することを禁止されている警察官や自衛隊員も「労働力統計」では〈雇用者〉なのである。もともと労働組合員になる可能性がまったくない人が、組織率を算出するための分母として合算されている。このように見てくると、日本の労働組合組織率が、実勢を正しく反映しようがないことは明々白々である。
 もともと組織率を算出するために作成されているわけではない統計を、便宜的に流用していることが、こうした結果を招いている。現在の方式をとるかぎり、もしかりに労働組合の組織対象者人員全員が労働組合に組織されたとしても、組織率は100%には達しないのである。時系列的な比較だけであれば、どの年度も同一基準で算出されているから、趨勢そのものには大きな狂いは生じない。しかしこれが国際比較となると、大きな歪みを生ずる結果となる。
 労働組合関係者をふくめ多くの人は、組織率にこのような問題があることを知らず、あるいは気づいていても、これを無視して使っているのが実状である。いまさら半世紀以上続いてきた制度そのものを変えようがないからであろうか。それどころか日本の労働統計作成の当事者、いわば労働統計の専門家でさえ、日本の組織率について不正確な情報を提供している。たとえば、労働省統計情報部情報解析課編の『国際比較労働情報総覧』は、国際比較にあたっての調査方法の違いや用語の定義の相違にも留意して作成されたものであるが、組織率についてはそのような配慮をはらっていない。つぎがその表である。


第1表 主要諸国の雇用労働者数、組合員数および組合組織率
国名年次雇用労働者数
(千人)
失業者数
(万人)
組合員数
(千人)
推定組織率
(%)
日本197133,830 57    11,798  34.9
197737,460110   12,437  33.2
アメリカ196867,860282   20,210  29.8
197478,413508   20,034  25.5
イギリス196923,08553   10,302  44.6
197622,557136   12,376  54.9
西ドイツ197022,43315   8,102  35.9
197521,288107   8,336  39.2

   * 日本 労働省「労働組合基本調査」、総理府「労働力調査」
   * アメリカ 労働省「Monthly Labor Review」
   * イギリス 雇用省 「Monthly Digest of Statistics」「Department of Employment Gazette」
   * 西ドイツ 連邦統計局「Statistisches Jahrbuch」、労働社会省「Arbeits und Sozial Statistik」

 ここでも日本の場合、分母は「雇用者」であって「雇用労働者」ではないことが無視されており、各国の統計の特徴や問題点も記されていない。だが、そうした注記なしには、この表は誤った判断をもたらすおそれがある。たとえばアメリカ合衆国の場合、労働組合員数と雇用労働者についてはそれぞれ2系列の統計があり、その組み合わせで4つの異なった組織率が算出されている。政府の公的な労働組合組織率の算出に使われている分母は〈非農業雇用〉non-agricultural employment である。『国際比較労働情報総覧』が用いているのもこの系列である。この「非農業雇用」とは、非農業部門の労働力から事業主(proprietors)、自営業者(the self-employed)、家族従業者(unpaid family workers)、 家事使用人(household domestic workwers)、軍人(members of the armed forces)、失業者(the unemployed)、ストライキ中の労働者(those on strikes)を除いたものなのである。一方、日本の雇用者統計では、ここで除外されている家事使用人、軍人、ストライキ中の労働者はいずれも、除外されていない。アメリカの組織率は、組織化が遅れている農業部門を除いていることもあって、日本と比べ、労働組合の実勢はかなり高目に表示されていると思われる。というより日本の組織率統計が、実際の組織率を反映せず、低目の数値になっていると見るべきであろう。
 もちろん国際比較において100%正確な数量比較などほとんど不可能である。しかしかりにも国際比較をおこなうのであれば、最低限、諸外国の統計作成基準と日本のそれの相違、特徴を明らかにしておく必要があるのではないか。そうした作業が日本の労働組合組織率統計に関してまだまったく行われていないので、ここで日本の推定組織率作成上の問題点を検証しておくことにも多少の意義はあろう。
 労働組合の組織率統計についてこうした問題点を検討した上で国際比較をおこなったのは、ジョージ・ベインとロバート・プライスによる研究である(注3)。彼らは欧米を中心に8カ国について比較可能な時系列的数値を算出している。ここでベインとプライスが分母に用いたのは〈潜在的組合員〉Potential Union Membership という概念である。つまり、労働組合に組織される可能性があるすべての人の数を分母にしている。当然のことながら、彼らは雇用主 Employers と自営業者 the self-employed は〈潜在的組合員〉のなかから「議論の余地なく」除いている。軍人については法的に団結権が認められている国々──西ドイツ、ノルウェー、スエーデン──についてのみ分母に加えるべきであるとしている。また、失業者については分母に加えるべきことを主張している。なお定年退職後の労働者については、分子としての組合員からも、また分母としての雇用労働者からも、除外することが望ましいとしている。もちろん現実には、国によって、また時期によってもデータに制約があり、使われている数値の性格はさまざまである。ところで、このベインらの基準が日本の推定組織率の算出基準と異なることはあらためて繰り返すまでもないであろう。本稿のもうひとつの目的は、このベインらの労作と比較可能な数値を算出することにある。
 もちろん組織率を算出する際に、各国の労働組合の歴史的な違い、法的・政治的・社会的な相違なども考慮せざるをえないことは確かである。また組織率の作成基準が、国によって、また人によって、時代によっても一様ではありえないことも注意すべきであろう。たとえば失業者も労働組合員資格を保持するのが通常である国では、分母の〈潜在的組合員数〉に失業者を加えることはごく当然であろう。しかし、そのような慣行のない企業内組合が圧倒的多数を占める日本では、必ずしもそうは言えない。だが、日本でも労働組合は失業者も組織すべきであると主張する人は、〈潜在的組合員数〉のなかに失業者を加えるべきだと論ずかもしれない。また警察官にも団結権が認められている国では、組織率の算出にあたって、警察官を〈潜在的組合員数〉に加えるのは理の当然である。ただ本稿は、労働組合のあるべき組織形態について論じている訳ではないので、〈潜在的組合員数〉についての唯一の答えを出すことを課題とはせず、いくつか条件を設定して、複数の組織率の年次推移を算出してみたい。
 なお、組織率を検討するには分母の潜在的労働組合員数だけでなく、分子の労働組合員数についても吟味する必要がある。たとえば、労働組合とは何かといった統計上の定義に関すること、組合員数統計についても、労働組合自体が作成するのか、行政官庁が担当するのかといった問題など、いくつかの論点がある。あるいは、名は労働組合でも実質をともなわない組織のメンバーをどうするかといった問題もある。たとえば、戦前の日本の統計では「足尾銅山鉱職夫組合聯合会」のように、実態はまったくの御用組合で労働組合としての内実をもたない組織であっても、規約に「労働条件の維持改善をはかることと目的とする」との一句を入れていただけ(注4)で、労働組合に加えられているものがあった。しかし、他方では多くの工場・鉱山に組織されていた〈会社組合〉は、実態は足尾銅山鉱職夫組合聯合会と変わりはないのに、労働組合としては集計対象とされなかった。あるいは職人の同業組合を労働組合に加えるか否かも、国際比較のときには大きな問題となる。また戦後についても労働組合には〈単一組合〉と〈単位組合〉の2系列がある、それによって組合員は異なっている。さらに戦後の労働組合員数の把握は戦前に比べればはるかに正確であるとみてよいが、それでも捕捉洩れの可能性がある(注5)。あるいは、上部団体への会費納入が組合員数を基準にするところから、上部団体へは組合員数を過小に報告するいわゆる「サバ読み」が、労働組合調査における組合員数の申告に影響しているか否かなど、検討課題は少なくない。ただこの組合員数の問題の吟味はつぎの機会にゆずり、本稿では組織率算出にあたってより大きく影響している分母の問題を主としてとりあげることにしたい。



T 戦前期における組織率の検討

 最初の問題は、日本の労働組合組織率統計が、戦前と戦後ではそのままでは接続しえないことである。この点は、一般には意外に知られていない、というより軽視されている。おそらくこの事実を最初に指摘したのは西岡孝男氏の『日本の労働組合組織』(注6)であろう。私も、西岡氏の指摘でこの点にはじめて気付き、〈岩波講座日本歴史〉中の拙稿(注7)でこのことにふれた。それ以来、この問題は一度きちんと検討すべきであると思いながら延び延びにしてきた。今回、文部省の科学研究費の助成を受け長期労働統計の検討をおこなうにあたって、第1にとりあげることにしたのはこのためである。
 まず初めに問題を提起された西岡氏の指摘そのものを検討することから始めよう。あまり長いものではないので、関連箇所の全文を引用しておこう。

「戦前の組織率は、内務省の統計によれば、昭和六年の七・九%が最高である。一般に戦前のわが国労働組合の組織率にはこの数字が利用されているが、この算出の基礎となった分母の工業労働者は、工場統計表の五人以上の工場労働者のみを対象としているから、戦後の労働省算定の組織率(労働力調査の雇用者数を分母とする)に比較するときは過大となる。筆者が国勢調査により推定したところでは、昭和六年も四・五%程度である。なお、わが国のように就業者中に雇用者の比率の低い国では、雇用者による組織率算出自体に問題があるといわなければならない。昭和五年当時、農業を含めた全就業者のうち雇用者は約三割にすぎない。
 戦後のわが国において、依然、就業者に占める雇用労働者の割合が低いことに注目しなければならない。雇用労働者の構成割合は、米国、英国、西ドイツ等の諸国がいずれも八〇%ないし七〇%以上であるのに対して、わが国は四〇%にすぎず、自営業主、家族従業者はすこぶる多い。この点、わが国は後進開発国に近い構成をもっており、労働省算定の組合組織率は欧米の雇用者を分母として算定した組織率と比較するには過大である」。

 この主張について、私には2つの疑問がある。その1つは、戦前の組織率算出の分母に工場統計表の数値が使われているとの主張である。これは西岡氏がなにか思い違いをされているに違いない。戦前の組織率算出の基礎数字として使われた労働者数は、内務省社会局(後に厚生省労働局)が毎年12月現在で集計していた「労働者総数」によっている。この「労働者総数」という言葉は、工場労働者だけでなく、鉱山労働者、運輸通信労働者、日傭その他労働者などを含んでいる事実を示すために使われているものである。第2表を見れば明らかなように、工場労働者は労働者総数の半数弱であるから、仮に工場統計表を用いて労働組合組織率が算出されたとなると、組織率ははるかに大きくなってしまう。何より、労働組合推定組織率の算出に内務省・厚生省調査の数値が使われていることは、戦前の労働組合推定組織率を掲載している『日本労働運動史料』第10巻や『労働統計40年史』などの当該統計表の注記に明記されている(注8)
 第2の疑問は組織率の算出に雇用者数を用いたことが、日本の組織率を欧米より過大にしているとの主張である。たしかに職人は〈雇用者〉には含まれてはいないが、そのなかには労働組合員となりうる者がいるから、組織率を実際より過大にする傾向があるといえよう。その点では、西岡氏の指摘は当をえている。しかしベインらの基準では自営業者は除かれており、またすでに述べたように労働力調査の「雇用者」には、経営者や法的に労働組合の結成を認められていない警官、自衛隊員などを含むという別の問題がある。欧米と比較したとき日本の組織率は過大ではなく、逆に過小に表示されている疑いが強い。第2点については後であらためて検討することとし、ここでは第1点を吟味するために、社会局調査の労働者総数および工場労働者数、それに工場統計表の工場労働者数を比較対照しておこう。私の疑問点が具体的に分かるだけでなく、社会局調査の〈労働者数〉の信頼度を測定する手がかりを与えてくれるからである。


第2表 社会局調査と工場統計表の労働者数の比較
年次社会局調査工場統計表
労働者数(B)
社会局調査と
工場統計表の差
(A)−(B)
労働者総数工場労働者(A)
19264,642,0002,098,0002,062,00036,000  
19274,704,0002,109,0002,083,00026,000  
19284,825,0002,225,0002,133,00092,000  
19294,873,0002,203,0002,056,000147,000  
19304,713,0002,076,0001,875,000201,000  
19314,670,0002,026,0001,842,000184,000  
19324,860,0002,101,0001,921,000180,000  
19335,127,0002,234,0002,102,000132,000  
19345,764,0002,539,0002,392,000147,000  
19355,907,0002,792,0002,620,000172,000  
19366,090,0003,067,0002,864,000203,000  
19376,422,0003,407,0003,253,000154,000  
19386,765,0003,855,0003,590,000265,000  
19396,961,0004,401,0005,637,000-1,236,000  
19407,317,0004,686,0005,749,000-1,063,000  

 仮に,西岡氏の言われるように、組織率が工場統計表による工場労働者数を分母に採用していたとしよう。1931年の組合員数は368,975人、労働者数は1,842,000人であるから、組織率は20.0%に達する、しかしこの年の組織率が7.9%であったことは周知のところで、西岡氏の思い違いは明らかであろう。
 ところで、この表を一見してわかることは、1938年までは社会局調査が工場統計表の工場労働者数を上回っていることである。このことは社会局調査の捕捉率がかなりの水準にあったことを示している。
 ところが、1939年から工場統計表の労働者数はいっきょに360万人から564万人と200万人以上の増加を示している。実はこの年から「工場調査」の調査対象が、それまでの設備5人以上工場から全工場に変わったのである(注9)。一方、厚生省(旧社会局)調査もこの年に調査方法等を変えた(注10)。しかし厚生省調査の変化は、工場労働者だけをとれば65万人増とかなりの差であるが、労働者総数の推移を見れば僅かなものであった。1938年に6,765,000人であったものが1939年には6,961,000人であり、その開きは20万人弱、例年の増加数と比べ大きなものではない、このため工場調査の労働者数と厚生省調査の労働者数とを比べると、これまでとは逆に、工場調査が123万人も上回っている、要するに、社会局調査の工場労働者数は、1938年までの工場調査に比べればかなりの精度であったとはいうものの、やはり少なからぬ脱漏があったのではないか。

 しかし、これ以上の検討は困難である。それは、社会局調査にせよ、厚生省労働局調査にせよ、労働者数の調査にあたっての基準、方法などを全く発表しなかったからである。このままでは戦後基準と接合するための基礎的な条件が欠けているというほかない。そこで、以下では、まず特定の年次、具体的には国勢調査のデータが使える1930年を対象にして問題に接近してみたい。

 戦前、組織率を算出していたのは社会局である。毎年『労働運動年報』にその結果を掲載していた。ところで『昭和五年労働運動年報』によれば、1930年12月末現在の労働組合員数は354,312人であった。この労働組合員数についても若干問題はある。たとえば完全な会社組合である足尾銅山鉱職夫組合総聯合会が含まれているのに、当時数多くあった会社組合は集計されていない。しかし、この点の検討は別の機会にゆずり、ここでは触れずにおこう。なお、同じような問題は戦後の労働組合員数についてもあり得るが、これもつぎの検討課題とし、本稿では主として分母の組織化可能人員の吟味をおこなうこととしたい。
 問題の1930年における組織率算出の分母となる労働者数は社会局調査の471万3002人である。組合員数も労働者数も、つぎのように4区分され集計されている。

第3表 1930年労働者数・組合員数・組織率
産業労働者数(人)組合員数(人)組織率(%)
工場労働者2,076,005164,1577.9  
鉱山労働者 225,862 5,4862.4  
運輸・交通・通信 506,696142,79128.2  
日 傭 他1,904,439 41,8782.1  
総   計4,713,002354,3127.5  

〔備考〕『昭和五年労働運動年報』P.7による。なお、府県別、業態別数あり、

 すでに指摘したように、社会局はこの調査の集計方法、労働者の定義などについて公表していない。そこで、他の統計調査との比較によってその信頼度を確かめてみよう。
 工場労働者については、工場統計表との比較はすでにおこない。この時点では社会局調査が、工場統計表より広い範囲をカバーしていることが確かめられている。参考までに『工場監督年報』で工場法適用工場の職工数と比べると、1930年10月現在で1,839,773人(うち民営工場1,710,189人、官営工場129,584人)である、これも当然のことながら、社会局調査より低い数値である。
 つぎに鉱業労働者についてみると、鉱山局『本邦工業の趨勢』による1930年6月現在の鉱夫数は258,469人である。同じ時点での社会局の鉱夫数は248,201人で鉱山労働者については社会局調べの数値は約1万人も少ない。
さらに、運輸・交通・通信労働者についてみると国鉄従業員(判任官以上を除く)は30年末で160,200人、地方鉄道従業員は47,617人、軌道従業員が49,611人、(以上は1930年3月現在)、普通船員は60,387人(29年末)、郵便電信電話局従業員が136,475人、以上の合計で457,290人である。この他に自動車運転手、人力車夫、一般運輸業従業員があることを考慮すると社会局調査は過小の疑いがある。
以上、全体として社会局調査にはかなりの洩れがあり、その労働者数は実際よりかなり少ないと思われる。したがって、この労働者数をもとに算出された組織率は、労働組合の実勢よりやや高目になっていると見て間違いないであろう。
 しかし、こうした断片的な統計を集めてみても、戦後の統計と接続するに足るデータを得ることは困難である。そこで1930(昭和5)年の国勢調査を使い、この年次の組織率を算出することで、問題に接近してみよう。
 『昭和五年国勢調査』では、〈産業上の地位〉を〈雇主〉〈単独〉〈使用人〉の3種に分けている。そこでの〈使用人〉の定義はつぎの通りである。「俸給、給料、賃銀、その他報酬を得て勤務する者又は家族にして所帯主その他の家族の業務を補助する者をいう」。すなわち「労働力調査」の〈家族従業者〉と〈雇用者〉をあわせたものが〈使用人〉なのである。
 1930年10月1日現在で〈使用人〉の総数は20,073,851人である。このうち農業に従事するもの9,133,617人、工業4,037,681人、鉱業241,430人、交通業925,268人、商業2,282,556人、公務自由業1,821,237人などとなっている、鉱業が比較的社会局調査に近いほかはすべて大幅な違いをしめしている。この違いをもたらしている主な原因は、この〈使用人〉に家族従業者が含まれているためである。したがって、この使用人から無給の家族従業者を除けば、戦後の〈使用者〉とほぼ同一基準による人員が得られるであろう。
 農漁業、商業についての家族従業者は、職業小分類までさがれば〈○○手助〉として、その人員が判明する。それによれば、農業での〈家族手助〉は農業、畜産業、蚕業をあわせ8,557,890人、漁業の〈手助〉は143,080人、商業のそれは632,205人、以上の合計は9,333,175人である。だが問題は工業について〈手助〉の項がないことである。
 この点について一つの答を出しているのは『日本労働年鑑』昭和13年版(第19集)の第1篇第1章である。とくに6ページの「職業別〈労務者〉の社会的地位」についての節で、工業における家族手助について試算している。そこでは1933(昭和8)年の主要都市(東京、大阪、兵庫県、神戸市)の「工業調査」を使い、従業員総数のうちの〈家族従業員〉の比率24.7%を計算し、これをもとに〈家族手助〉の人員を算出しているのである。そこで推計された1930年における工業における〈家族手助〉は1,361,000人である。
 これを先の農漁・商業における〈家族手助〉に加えると、〈家族手助〉の総数は10,694,676人となる。この人数を〈使用人〉数から差し引くと、残りは9,379,676人となる。これが組織率算出にあたっての戦後基準に近い値である。そこで、これを分母として組織率を算出してみよう。結果は3.78%である。社会局調査による組織率の7.5%のちょうど半分というところである。
 ただ、この労働年鑑の〈工業についての家族手助〉の推計の正確さについては若干疑問がある。それは、1940(昭和15)年の国勢調査では各部門で家族従業者数が集計されており、農業、漁業の家族従業者の数は1930年とそれほど大きく変らず、また商業の家族従業者は996,359人と36万人余も増加しているのに、工業の家族従業者は564,321人に過ぎず、労働年鑑の推計数とは80万人近くもの差があるからである。工業だけでなく、鉱業、交通業、公務自由業、その他まで含めても、その数は679,196人である。もちろんこの間10年が経過しており、経済的な状況も大きく変化しているから、家族従業者であったものが雇用者に変ったことは十分考えられる。しかし、いくらなんでも半数以下に減少してしまったとは考え難い。そこで、この68万人弱の者を1930年における〈工業の家族従業者〉として国勢調査の〈使用人〉から差し引いて組織率を計算すれば3.52%である。
 もっとも、1940年の数値をそのまま1930年にもってくるのは、ちょっと乱暴すぎるかもしれない。そこでいささか腰だめ的ではあるが、この10年間に減少した〈工業の家族従業者〉を12万人から32万人程度とみて、1930年現在の数を80万人から100万人と仮定しよう。この仮定にもとづいて組織率を計算すると、それぞれ3.56%、3.64%となる。どちらにしても四捨五入すれば3.6%である。もっとも高いのは『日本労働年鑑』の数値によった推計で3.8%、1940年の国勢調査をそのまま10年前にあてはめると3.5%、その中間をとれば3.6%、どれをとってもほとんど誤差の範囲内である。結論的にいって、社会局調査の組織率を戦後基準で改算すればほぼ2分の1になるとして大過ないであろう。
 つぎに1940(昭和15)年の国勢調査によって〈雇用者〉数をみておこう。この年の用語では〈その他の有業者〉(other employed persons)がちょうど戦後の〈雇用者〉にあたるが、その総数は13,508,429人である。この内訳は、工業6,253,954人、鉱業583,119人、商業1,997,480人、交通業1,237,791人、公務自由業1,829,787人、家事業706,453人、農業498,125人、水産業194,529人、その他の産業207,164人である。
 この年の厚生省調査の労働者総数は7,317,000人である。これを国勢調査の〈その他有業者〉と比べると半数余、正確には54.2%である。この年の労働組合員数は僅かに9,455人、組織率は0.13%にすぎないが、国勢調査の〈雇用者〉数を用いて算出すれば0.07%である。
この結果も、戦前の組織率を戦後基準で算出し直すとだいたい2分の1程度になる、という先の結論を裏付けている。
 では、今後は戦前の組織率を2分の1に改めればよい、ということになろうか。組織率の時系列的比較にあたって、単に統計的な接続だけを考えればそうなろう。しかし、この数字が戦前の運動の実勢を正しく反映しているか、ということになると話は別である。労働運動をとりまく環境が大きく変化した第二次大戦前後の日本のような場合は、こうした統計的処理だけでは事実とかけ離れてしまうおそれがある。
 具体的に言えば、戦前、労働組合は筋肉労働者だけを組織対象にするものであった。教員、サラリーマンユニオンなどの企てもありはしたが、組織人員は無視し得る程度であった。このように、ホワイトカラー労働者の組織化がほとんど問題にならなかった時期の組織率を、戦後基準と同様にホワイトカラーまで含んだ〈使用者〉を分母として計算することは、適当とは言えまい。一方、大工、石工などの職人の多くは〈使用人〉ではなく、〈雇主〉または〈単独〉に分類されていた。こうした人々は、本来なら労働組合の組織対象であり、その数が分かれば、分母に加えて組織率を計算すべきであろう。しかしその場合は、職人の組織、たとえば大工の太子講などを分母に捕捉する必要がある。しかし、社会局調査の労働組合や労働組合員数には職人の組織はまったく含まれていなかったと見られるから、いまのところは分母にだけこうした職人を加えてみても意味はない。
 すでに見たように、戦後基準によって戦前の労働組合組織率を算出すれば数値は半減する。これに統計上の意味があることは確かだが、労働組合運動の実勢をはかる指標としては適切ではない。むしろ社会局の組織率の方が、労働者数の捕捉洩れがあるから若干高目ではあるが。当時の労働組合の組織実勢をよりよく反映しているといってよいのではないか。



(注1) 1946年12月調査では組織率の算出には内閣統計局の「昭和21年次別統計調査」による労働者数9,350,070人が使われている(労働省労政局調査『昭和21年労働統計──労働組合と労働争議』1947年、中央労働学園)。ついで1947年12月調査では「事業所統計調査」の〈常雇の職員及び労務者数〉が分母に用いられ、67%という高い組織率が示されている。48年6月末調査では57年10月に実施された臨時国勢調査の雇用者数が使われ50.5%という結果になっている。49年の「労働組合調査」ではじめて組織率の計算に「労働力調査」の〈雇用者〉が使われるようになった。しかし、そこで算出された組織率は61%で、現在、推定組織率の時系列比較に使われている『労働組合基本調査30年史』の55.8%と大きく違っている。これは「労働力調査」が、調査時点での数値をその後改算したことにともない、組織率も改算されたためである。「労働力調査」は何回か調査方法を変更したため、また抽出調査であることから推計人口を用いて雇用者数などを算出している。しかし、その後に実施された国勢調査の結果によって推計人口は変わり、それにともない雇用者数も改算されている。以下本稿で比較の対象にする数値は、改算されたものがある部分は、改算済みのものを用いることにする。それでも、厳密にいえば「労働力調査」には断絶があり、したがって組織率の継続性にも問題がないではない。すなわち、1953(昭和28)年に調査対象が14歳から15歳に変わったこと、1973(昭和48)年から沖縄が調査対象区域に加わったことである。
 なお、分子の組合員数についても戦後6、7年間は単位労働組合についてだけ調査していたが、1953(昭和28)年から単一労働組合についても調査が行われるようになった。現在、一般に組織率で使われているのは後者である。したがって、この系列の数字は1953年にまでしか遡ることはできない。

(注2) 国勢調査や労働力調査で用いられているこの〈雇用者〉という言葉は、日本語としても適切とはいえない。英訳には Paid employees が使われているが、おそらくこの方が先にあった言葉で、雇用者はその訳語として使われるようになったのではないかと思われる。しかし一般に「雇用者」は雇われている者の意味だけでなく、しばしば人を雇っている「雇用主」の意味にも用いられる。そのため最近、統計局が作成した国勢調査の解説書では、〈被雇用者〉と言い替えられている(たとえば『職業構造からみた人口』1985年、日本統計協会)。

(注3) George Sayers Bain & Robert Price, Profiles of Union Growth:A Comparative Statisitical Portrait of Eight Countries,1980, BasilBlackwell,Oxford.

(注4) 足尾銅山鉱職夫組合聯合会が規約に「労働条件の維持改善をはかることと目的とする」との一句を入れていたのは、ILO労働代表の選出権、被選出権を得ることを目的としたと思われる。

(注5) 捕捉洩れの可能性については、法政大学日本統計研究所『研究所報』No.9、162ページ参照。
また〈単位組合〉と〈単一組合〉の統計上の定義については労働省のサイトにある労働統計に関する「用語解説」に詳しい説明がある。

(注6) 西岡孝男『日本の労働組合組織』163〜164ページ(日本労働協会、1960年)

(注7) 二村一夫「労働者階級の状態と運動」(岩波講座『日本歴史』18 近代5、140ページ、1975年)

(注8) 『日本労働運動史料』第10巻、「産業別労働者数・組合員数及び推定組織率」の備考2には「労働者総数は内務省、厚生省調査による。」と明記されている。念のためにいえば「工場統計表」の作成者は農商務省と商工省である。

(注9) 『昭和国勢総覧』上巻(東洋経済新報社、1980年)373〜374ページ。

(注10) 『第1回日本統計年鑑』690ページ。

(注11) これらの数値は『日本労働年鑑』、『労働統計要覧』等によった。


初出は『大原社会問題研究所雑誌』330号(1986年5月)。原題は「労働組合組織率の再検討──〈実質組織率〉算出の試み」。なお2000年10月17日の『二村一夫著作集』への掲載前、さらに掲載後から10月19日にかけ、かなり大幅な加筆訂正をおこなった。