二村一夫《随筆集》  『さまざまな出会い』


「向坂文庫」について

二 村  一 夫


1 はじめに

 1985年7月、大原社会問題研究所は、故向坂逸郎氏が生涯をかけて収集された7万冊の図書・資料を、ゆき夫人から寄贈された。じっさいに本が向坂家から大原社研の書庫に移ったのは翌86年3月、研究所の多摩校地への移転と同時である。その後4年間、いまでは図書の仮目録ができ、雑誌や新聞についてもその内容が明らかになりつつある。まだ資料類には手がついておらず、文庫の全容を示すという段階にはないが、図書を中心にその内容を紹介したい。

2 向坂逸郎氏のこと

 この膨大な図書を収集された向坂逸郎氏は、マルクス経済学者として数多くの業績をあげると同時に、戦前から「労農派」を代表する理論家として論壇で活躍された。戦後も、旺盛な文筆活動とともに、日本社会党左派の理論研究集団である社会主義協会の指導者として、広く知られた方である。いまさら紹介の要はないとも思うが、すでに逝去されて5年がたつので、若い読者のため、その略歴をしるしておこう。
 氏は1897(明治30)年、福岡県大牟田に生まれた。1918(大正7)年第五高校をへて東京帝大法学部経済学科に入学、21年卒業と同時に同大学経済学部の助手となった。1922年にドイツ留学。25年に帰国後ただちに九州帝国大学助教授に就任、経済原論を講じた。しかし1928(昭和3)年、「赤い教授」として教壇を追われ、以後1946年に復職するまで20年近くを筆一本の生活を送ることになる。この時期の主な仕事が世界最初の『マルクス・エンゲルス全集』(改造社)の編集翻訳であり、『地代論研究』『知識階級論』『日本資本主義の諸問題』など多数の著書の執筆であった。
 1937年暮、いわゆる「人民戦線事件」に連座し、39年に保釈されるまで獄中にあった。出獄後は向坂逸郎の名では翻訳書すら出版できなくなり、小さな畑を耕して暮らしを支えた。
 戦後すぐ九州大学教授に復帰。多くの弟子を育てるとともに、『マルクス経済学の基礎理論』『経済学方法論』『マルクス経済学の方法』『マルクス経済学の基本問題』など数多くの研究を発表した。さらに岩波文庫版『資本論』全12冊を翻訳、またさまざまな新聞雑誌に随想を寄稿した。『疑い得る精神』『若き僚友の死』『学ぶということ』『読書は喜び』『わが生涯の闘い』などは、こうした随想を集めたものである。生涯に刊行した著書だけで100冊、編著書、訳書までふくめれば300冊という超人的な執筆活動に加え、というよりすべての文筆活動がそれをめざしていたというべきだが、氏は社会主義の普及、とりわけ労働者教育に力をいれた。全国各地の学習会・研究会で講師をつとめたが、なかでも生まれ故郷の三池で炭坑労働者を相手に開いた「向坂教室」は有名である。さらに社会党の強化をめざして創設した社会主義協会の指導者として、1985年1月に87歳で死去されるまで、その全精力を傾けられた。

 ところで、氏は酒も飲まずタバコもすわず──ただし、蜂蜜一瓶をいっきに空にしたり、ソウメンに砂糖をかけて食べるほどの甘党であったが──、ひたすらマルクス主義の研究と普及にその生涯をささげ倦むことがなかった。しかし、このひたむきで勤勉な「一徹居士」にも「道楽」があった。本の収集がそれである。なにしろ中学一年で古本屋に借金をつくったというから、年季のはいった「道楽」である。それに磨きがかかったのがドイツ留学で、折からの円高マルク安もあり、さらにはマルクス主義関係の図書や雑誌が大量に出回ったこともあって、そのエネルギーと時間と留学費用のかなりを本の収集につぎこんだ。屋台の本屋で第一インターの規約を発見して、親しくしていた古本屋のシュトライザントから「日本で大学教授になるよりベルリンで古本屋になった方がいい」と言われるほどであったという。帰国後も、シュトライザントとの取り引きはつづき、国内でも古本屋まわりはかかさなかった。また、出版社や友人・弟子たちから贈られた書物や資料は絶対に捨てず、捨てさせなかった。向坂文庫は、こうした歳月の積み重ねによってできあがったのである。

3 文庫の内容

 文庫の特徴は、なによりも7万冊というその大きさにある。ただしこの冊数は、雑誌1号分も1冊と数えてのもので、図書だけだと和書が約2万1千冊、洋書が約1万冊である。いずれにしても、一個人の蔵書としては空前の規模といってよいのではないか。絶後かどうかは未来のことで確言の限りでないが、これを越えるのは容易ではなかろう。
 はじめに「生涯をかけて収集された図書・資料」と書いたが、実際はドイツ留学の際、蔵書を処分しているので、正確に言えばそれ以降亡くなられるまでの63年間に集めたものである。一口に7万冊というが、これは大変な数である。ざっと計算しても一年間に1111冊、これは盆も正月も、獄中も獄外も関係なしに、毎日3冊余集めたことをを意味している。これほどのコレクションを限られたスペースで紹介するのは容易でない。無味乾燥な数字の羅列になることをお許しいただきたい。

〔洋書〕

 洋書はドイツ語の本が圧倒的でおそらく9割を越えるであろう。残りの多くは英語の本である。和書が幅広く集められているのにくらべると、洋書はテーマをしぼって収集されている。いうまでもなくマルクス主義を中心にした社会科学書が圧倒的に多く、5807冊と全体の57パーセントを占めている。つぎは歴史書で1966冊19パーセント余、哲学宗教書が843冊、文学書561冊などである。
 著者別でもっとも多いのはもちろんマルクスで397冊に達する。もっともこれには『マルエン全集』の形で、本来はエンゲルスに属すべきものが加わっている。ちなみにエンゲルス個人の著書は99冊である。マルクスにつぐのはレーニンの277冊である。以下カウツキー93冊、スターリン72冊などが目につく。
 発行年次別に見ると、18世紀に刊行された本はジュースミルヒの『神の秩序』など6冊だけ、また19世紀中に刊行されたものも646冊と意外に少ない。これは向坂氏があまり骨董的な収集をされなかったためと見てよいだろう。もっとも19世紀以前の刊行書の中には『経済学批判』初版、『資本論』初版などの稀覯本が少なからず含まれているのではあるが。
 いささか機械的であるが、20世紀に入ってからの本を10年きざみで見ると、1920年代のものが2288冊ともっとも多く、これだけで洋書全体の4分の1に達する。1910年代1003冊、1900年代602冊であるから、洋書の半分は1920年代以前の刊行書である。その大部分は、主としてドイツ留学時代に集められたものであろう。興味深いのは、スターリンの著書72冊のうち戦前刊行分はわずかに8冊に過ぎないことで、トロツキー43冊(うち戦後2冊)、ロゾフスキー38冊、ブハーリン34冊、ジノヴィエフ33冊、カール・ラデック32冊(以上すべて戦前刊行のみ)とは比較にならない少なさである。第一次大戦後のドイツでは、スターリンより、トロツキーやロゾフスキー、ブハーリンの方が注目されていたのであろう。

 「私の蔵書のドイツ書の大部分は、第一次世界大戦後に、かの地の大規模なインフレーション時代に買ったものである」と向坂氏は『読書は喜び』の中で書いている。しかし数でみると戦後の本もけっこう多い。1920年代刊行書につぐ洋書のピークは1950年代で1452冊、15パーセントである。ついで60年代の1254冊、70年代1068冊の順である。ただし、このような冊数になるのは、戦前にくらべマルクス・エンゲルスはじめレーニン、スターリン、ウルブリヒト、ホーネッカーなどの全集や著作集が多いためでもある。

〔和書〕

 洋書とちがい、和書の収集範囲はずっと幅が広い。最も多いのは、もちろんマルクス主義を中心にした社会科学書で、6682冊と全体の3分の1を占め、だんぜん他をひきはなしている。しかし文学も4331冊と2割を越えている。愛読した夏目漱石、森鴎外、徳田秋声、島崎藤村、ゲーテ、トルストイをはじめ内外の主要な作家の全集、著作集がよく揃っている。次いで歴史の2987冊で、明治維新以降を重点に、史料集がかなりの比重を占める。
 発行年代別では1940(昭和15)年から49年までが全体の20パーセントに近い4132冊に達している。この戦中戦後の時期は、洋書はわずかに128冊でしかないのだが、和書は逆に収集のピークをなしている。それも戦後より、戦時下に発行された本が意外に多い。戦争さなかの1942年が542冊、43年は577冊にもなる。また、さまざまな分野の本が集めらているのもこの時期の特徴である。とくに文学書、歴史書が目につく。文学では『新日本文学全集』や樋口一葉、泉鏡花、バルザック、ドストエフスキーなどの全集、著作集が多い。歴史では幸田成友、竹内理三、宮本又次らの研究書もあるが、『大日本維新史料』『国史大系』などの史料集がかなりの比重である。さらには『工作機械の製作法』『フライス作業入門』『ゲージ製作法』等の機械とりわけ工作機械に関する技術書、あるいは『世界美術図譜』といった芸術関係にも及んでいる。
 目だたないが重要なのは農業関係書で、『蔬菜園芸』『根菜』『最新堆肥の造りよう』といった実用書から『一般土壌学』等の学術書もある。実はこれが、戦争中の向坂家の暮らしを支えた本であった。『流れに抗して──ある社会主義者の自画像』は、物差しで土の深さを計りながら種イモを植え、ジャガイモ栽培にはカリ分がだいじだと知ると、空襲の焼け跡から灰を集め、近所の農家の二倍もの収穫をあげたことが語られている。そうした知識の源がこれらの本であった。

 和書にも稀覯書に属するものが少なくない。とりわけ明治期に刊行された経済学や社会主義関係の本、たとえばグラハム『新旧社会主義』、福井準造『近世社会主義』、あるいは民友社や平民社の叢書など、今となっては入手困難なものばかりである。

〔堺利彦旧蔵書〕

 向坂文庫中には、もうひとつ特筆すべきコレクションがある。日露戦争反対の運動で知られた平民社の創設者、堺利彦の旧蔵書である。これは堺の死後、向坂氏が一括して引き取られたもので、その中には、図書だけでなく堺利彦の研究ノートや、片山潜の未発表草稿「在露三年」などかけがえのない資料も含まれている。図書も堺が獄中で読んだ英文の『資本論』や幸徳秋水の旧蔵書など、初期社会主義運動の息吹がつたわるものばかりである。しかし、すでに紙数もつきたので、これについては別の機会に紹介することにしよう。

 なお、このように膨大なコレクションの内容が比較的はやく把握できたのは、寄贈を受けた時点ですでに向坂氏の門下生によってカード目録が作成されていたからである。洋書については近江谷左馬之介氏、和書については和気誠氏を中心に社会主義協会の方々が作成されたものである。これをもとにコンピュータに入力したおかげで、昔では考えられない短期間で仮目録が出来上がった。この機会にお礼申し上げたい。
 現在整理作業は、実際に本にあたっての分類と、仮目録を訂正補充して冊子目録の原稿作成の段階にある。目録は和書、外国書、逐次刊行物、資料などにわけ、来年から刊行開始の予定である。





初出は『法政』No.404 1990年2・3月合併号。








Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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