佐久間貞一に対する労働組合期成会の弔辞
明治三十一年十一月六日、労働組合期成会評議員佐久間貞一君逝矣。君は客月上旬微恙の為めに褥に就く*1。爾来名国手*2数氏の診療を仰ぐと雖も天命の極まる処なりし乎、終に起つ能はず、溘焉*3として冥路の客となれり。嗚呼哀哉。
回顧すれば職工保護の声漸く朝野に洽く、政府当局者も亦工場法編成の議あり。茲に於て乎、時機失ふべからずと為し、欣喜一番病を力めて之れが研究に従事せらるる。君は、熱心なる労働者の師友なり、保傅者*4なり。然り而して工業の発達は法律の保護を俟つこと、平素の君の持論なりしを以て、去九月廿三日本会の月次会に臨み、法案に対する意見を述べらる。其説く所一々肯綮に当たる*5を以て、対工場法案修正運動の軌範となすべし。是実に君が絶言の演説なりし。噫実に最後の言論なりしなり。超へて十月九日、不肖等数名、農商工高等会議員を訪問し、修正意見を陳述するに当り、君も亦議員の一人なるのみならず、工場法案に身命を賭するも尚其制定を期せんと確言し居らるヽを以て、故に君を自邸に訪たるに適病魔漸く進み主治医の客を禁止するにも拘はらず、不肖等を病室に延き敢て其の説を聞かんと恰かも病苦を忘れたるが如き態あり。然れども不肖等逡巡少時緘黙*6せしに、却つて悶かしと為し、督励せらるヽを以て、止むなく卑見を陳述したるに仔細に論難し指示を与へられたるに依り、大いに裨益する所ありたり。想ふに君の熱誠は本会の歴史に特筆大書して之を後昆に垂れざるべからず*7。然りと雖も君の熱心なる、病を侵して本会に演説し、本会の訪問委員を引見せらるヽは幸栄とする所なりと雖も、為に病悩倍々加はりて、其翌日より病勢一層激甚、自ら言説すること能はざるの重患に陥りたりと云ふ。誰か識らん果して此事ありとせば、君の求むるも猶固辞して去るべきを。先見の明なき吾人は、君の求むるに従がひ、愚衷を述べて却つて君の心志を労せしめ、遂に不起の重症に陥らしむるに至りたるは浩嘆の至りに堪えず。加之為に高等会議に列する事能はず、空しく怨みを飲んで褥中に呻吟せらるヽに及んで、君の心事を揣摩*8すれば、実に言ふに忍びざる所あり。然れども幸いに議場に君の意を迎かへて努力せらるヽの君子あり。為めに議会の意嚮を風靡して以て君の意見の如く、以て労働者の希望するが如く、工場法の修正案を見るに至りたり。君此事を聞くや、刮目一番、善しと、遂に瞑して亦人事を省せられざりしと云ふ。夫れ果して然らば僅に慰謝するに足るものあり焉。
蓋我労働組合期成会の初めて起るや君の誘掖指導に依りて僅かに幾多の艱苦を経て、漸く今日の状況を呈するに至りたるもの。之れ偏に君が力なり。然るに医薬験なく秋霜寂寞の候に当つて君を幽冥の裡に葬るは天乎命乎、特に識らず。不肖等駑鈍の身を以て君の後援を失ふは恰も暗夜に燈火を滅したるに異ならず。自今以後奈何して此び団体を運行すべきや。君の死と共に本会をも併せて墓穴の裡に埋没し畢らん而己。嗚呼哀哉。
夫れ陽春花を開き妬雨之れを散らす。誠に人生の果敢なき、嘆くも追ふべからず。爰に会員相集りへん*9棺の式に臨み、涙を揮つて土を掩ひ君を瑩域に安んじ不腆*10の辞を陳じて以て九泉の下、永く本会を瞑護せられんことを祷る。尚くは饗けよ。
明治三十一年十一月九日
労働組合期成会
*1 「微恙の為めに褥に就く」とは、「気分がすぐれず寝込んでしまった」の意。
*2 「国手」=名医。
*3 「溘焉は、「とつぜん」の意味。
*4 「保傅者」は、「守り役」の意。
*5 「肯綮に当たる」とは、「物事の急所をつく」の意味。
*6 「緘黙」は、「口を閉じて押し黙る」の意。
*7 「後昆に垂れる」とは、「後世に告げる」。
*9「へん」はJISコードにない文字で、穴カンムリの下に乏。葬るの意味。
*10 「不腆」とは、粗末なこと、粗略なこと。謙譲語。
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