高野房太郎とその時代 (67)6. 労働運動家時代期成会の活動(2)──出版物演説会についで期成会の主要な活動手段となったのは出版物の刊行でした。活字を介して労働組合運動の宣伝・啓蒙活動をおこなったのです。房太郎らはすでに職工義友会時代にも『職工諸君に寄す』を出していましたが、期成会ではこれに加えて『労働者の心得』と題する印刷物を出しています。定価金3銭ですから、これも『職工諸君に寄す』と同様なパンフレットだったと思われます。おそらく『職工諸君に寄す』が労働者に向けた文書としてはやや難解だったことから、労働者向けにより分かりやすいパンフレットを出す必要があると考えたものでしょう。ただ、残念なことに『職工諸君に寄す』と同様、これも現物は残っていません*1。しかし、刊行されたことは確かで、『労働世界』創刊号に広告が掲載されています。右上の写真がそれです。 この『労働者の心得』は、『職工諸君に寄す』に比べ、従来あまり注目されて来ませんでした。ただ片山潜が『自伝』で次のように述べているので知られていた程度でした。すでに第64回でも引用した箇所ですが、もう一度見ておきましょう。 近世日本に於て労働問題の声を揚げた者は、皆米国帰りの三人、即ち高野房太郎(高野岩三郎博士の兄)、沢田半之助(銀座の洋服店)、及城常太郎(靴工?)で、此等の尻押しをした者は鈴木純一郎と云ふ男であつた。始めて此の三人が『労働者の心得』なる小冊子を発行して、其の第一着の運動としては神田の青年会館で労働問題演説会を開いた。その演説会には予も頼まれて演説をした。此の初めての労働問題演説会は明治卅年の真夏の事であつた。 片山は、彼が出演した最初の労働問題演説会の時、つまり1897(明治30)年6月25日に、すでに『労働者の心得』が刊行されていたかのように記していますが、これは『職工諸君に寄す』と混同したものと思われます。『労働者の心得』は「労働組合期成会」の名で発行した文書で、同会が発足した同年7月より前に刊行されている筈はないからです。したがって「此の三人が『労働者の心得』なる小冊子を発行して」という証言も、あまり信頼できるものではないでしょう。 7月11日(日) この『日記』抜き書きで、注目する必要があるのは、7月11日に房太郎が鈴木へ「職工組合論」を渡していることです。一方、『労働者の心得』の第3章が「職工組合」であったことは、同書の広告から分かっています。おそらく房太郎が渡した「職工組合論」こそ、『労働者の心得』の第3章の元原稿だったと思われます。つまり『労働者の心得』の一部を高野房太郎が書いていることは、まず確実だと思われます。おそらく他の2章は鈴木が書き、第3章の房太郎の原稿に手を入れるなどして原案を作成したのではないでしょうか。2日後の7月13日、房太郎は鈴木を訪れ、さらに二人で、期成会が発足時に事務所としていた沢田宅に赴き、そこで原稿をチェックして最終稿に仕上げた上で秀英舎へ持参し、入稿したものでしょう。小冊子ですからすぐ組みあがり、15日に出張校正をして刷り上げ、見本刷りを持参して出版届けを出したものと推測されます。つまり、『労働者の心得』は実質的には鈴木純一郎と高野房太郎が執筆し、沢田も検討作業に加わって完成させたものと考えらてよいでしょう。いずれにせよ、発行されたのが1897年7月であることは、後掲の『出版物控』から明らかです。 実は『労働者の心得』の刊行については、労働組合期成会の『出版物控』にも記録が残されています。それによれば、明治30(1897)年7月17日に秀英舎から2000部を受領し、その代金として21円20銭を支払っています。そして7月18日の演説会場で150部を売り捌き、さらに松田市太郎10部、村松民太郎20部といった工合に、会員がまとめて買い求めています。
「労働文庫第一編」となっているところを見ると、第2編以下の出版計画があったことが分かります。また『出版物控』には、1897年7月18日付で10部の寄贈が記録されており、その注記には「文庫編纂者鈴木・片山君に寄贈」とあります。この記録から、鈴木とともに片山が《労働文庫》シリーズの編纂者であったことが分かります。ただし、実際には第1編しか出なかったようです*4。 労働組合期成会の出版活動として最も重要なものは、言うまでもなく『労働世界』です。労働組合期成会の機関紙的存在として1897(明治30)年12月1日に創刊された同紙については、語るべきことが多く、いずれ回をあらためて述べざるをえません。 【注】
*1 大原社会問題研究所が戦前期の1929(昭和4)年に刊行した『日本社会主義文献 第一輯』(同人社書店)に『労働者の心得』が採録されている。しかし、内容は『労働世界』の広告とまったく同一で、この時期、原本はすでに失われていたと見られる。 *2 片山潜・西川光二郎合著『日本の労働運動』(労働新聞社、1901年)187ページ。国会図書館サイト内の《近代デジタルライブラリー》で同書の該当ページを見ることができる。「労働文庫第一篇 労働者の心得(鈴木純一郎著)」三十年発行」と記されている。 *3 『東京工業学校一覧 従明治廿九年 至明治三十年』も《近代デジタルライブラリー》に『東京高等工業学校一覧』[第5冊]として収録されている。該当ページはつぎのとおり。『東京工業学校一覧 従明治廿九年 至明治三十年』35ページ。
*4 『労働世界』第1号(1897年12月1日)の英文欄には、労働組合期成会の刊行物として『労働者の心得』とともに片山潜の著書『労働者之良友 |
|
||
|
||
Wallpaper Design © あらたさんちのWWW素材集 先頭へ |