【著者による解題】
本書は、1907(明治40)年2月におきた足尾銅山暴動を対象とする事例研究である。その主な狙いは、日本の社会科学に色濃く刷り込まれてきた、労働運動や労働者に対する経済主義的理解(誤解)を批判することにある。 序章は「暴動の舞台・足尾銅山」と題し、日本の公害の原点・「足尾鉱毒事件」によって有名であるわりには、その実態が良く知られているとは言えない、足尾銅山についての、概観・紹介である。
第1章は、暴動にいたるまでの足尾銅山における労働運動の進展を述べると同時に、暴動がおきた直接原因を解明することを意図している。同時に、もうひとつの課題は、丸山真男氏の「原子化された労働者」説(注1)を批判することにある。丸山真男氏は、暴動は「絶望的に原子化された労働者のけいれん的な発作で、いかなる意味でも組織された労働運動ではなかった」と主張されている。しかし、こうした理解が、いかに暴動の実態と異なっているかは、本章を読み進めば、疑問の余地なく明らかとなるであろう。すなわち、足尾では暴動の3年余も前から労働組合組織化の運動が続けられ、再三の挫折を乗り越えて暴動前夜には大きな盛り上がりを示していたのであった。暴動の直接のきっかけは、この運動を潰すために飯場頭によって意図的に引き起こされた疑いが強い。しかしいったん引き起こされた暴動は、飯場頭の意図をこえて広がり、ふだん労働者を蔑視し、賄賂を強要していた職員に対する労働者の報復制裁行動として全山に拡がったのである。 第2章では、大河内一男氏の「出稼型論」(注2)をとりあげ、批判している。氏は、暴動を「奴隷制的飯場制度の強度な支配に対する自然発生的抵抗」と規定している。だがこの「定義」は史実に反している。本章は、暴動の背後には飯場制度の弱体化があった事実を解明したのである。飯場制度が弱体化した原因は、開坑・採鉱作業の近代化にともない、それまで飯場頭に委ねていた作業請負を、経営側が掌握したためであった。これによって、飯場頭は、鉱夫の雇い主としての立場を失った。それと同時に、請負による利益を失った飯場頭は、鉱夫の生活必需品の供給者として、流通面での収奪を強化し、坑夫との対立を深めていたのである。
第3章では、足尾暴動が、かつて広く主張されていたような、「絶対的窮乏化論」では、理解しえないことを指摘し、検討している。すなわち、暴動の中心となったのは、低賃金労働者ではなく、他職種とくらべ、さらには他鉱山、他産業との比較においても、最高水準の高賃金を得ていた坑夫(=開坑・採鉱夫)であった事実を明らかにし、なぜ彼らが暴動をおこしたのか、その謎を解く企てである。具体的には、採鉱夫、製煉夫、雑夫など、代表的な職種ごとに、1880年代から、その賃金水準の変化を検討している。賃金水準の解明には労働力の需給関係の解明が不可欠であり、それには技術の変化の検討が必要であることから、本章では、採鉱・選鉱・製煉技術史に、かなりの紙幅をさいている。東京大学工学部の前身である帝国大学工科大学の学生が、ほとんど毎年のように、足尾に数ヵ月間滞在して作成した「実習報告書」というまたとない史料を発掘・利用できたこともあって、足尾鉱毒被害の直接原因など、本章ではじめて明らかになった事実は少なくない。
注1 丸山真男稿、松沢弘陽訳「個人析出のさまざまなパターン──近代日本をケースとして──」(マリウス・ジャンセン編、細谷千博訳『日本における近代化の問題』岩波書店、1968年所収)において展開されている主張。 【後口上】
上に掲げた小文は、いずれ弘文堂から出版される『日本史文献事典』の原稿として準備したものです。ただ、うっかり書式の設定を間違え、規定の枚数を大幅に超えてしまいました。その昔、一太郎が1文字を半角2文字として設定するきまりだったころ身についた習慣が、またもや顔を出したようです。「800字でもけっこう詳しく書けるものだ」と感心していたら、なんと800字オーバーで、削るのに苦労しました。 【追記】 おかげさまで、上記の文章を掲載して1年もたたないうちに、『足尾暴動の史的分析』は売り切れました。出版社側の了承も得られましたので、2003年9月25日より掲載を開始しました。2004年9月現在、「第3章 足尾銅山における労働条件の史的分析」を除き、すべて掲載済みです。 |
Edited by Andrew Gordoon, translated by Terry Boardman and A. Gordon The Ashio Riot of 1907:A Social History of Mining in Japan Duke University Press, Dec. 1997 本書 書評 本書 詳細目次 |
|
|
|
||
Wallpaper Design © あらたさんちのWWW素材集 先頭へ |