高野房太郎とその時代 参考史料




労働者の聲(『国民の友』第95号、1890年9月23日)

政権の変遷を按ずるに、初は少数なる貴族、豪富、僧侶の手に在り、中ごろ中等民族の手に渡り、終には一般普通人民の中に分配せらる、世界各国其運動の度を異にすると雖、早晩必ず斯の如き順序を通過せざる可からざるは、歴史の示す所、事実の證する所、吾人復た爰ぞ之を疑はん、然らば則ち我邦の如きも、今日こそ公民権は二圓以上の直接国税を出す者と制限せられ、議員撰挙権は、直接国税十五圓以上を出す者と制限せられ居るに拘はらず、早晩彼の林々として、街上を来往し、跣足にて、敝衣にて、或は負担し、或は車を挽く所の労働者間に分配せらるゝは、到底避く可からざるの業と云はざるを得ず、果して然らば今日よりして、豫しめ彼等の地位を高尚ならしめ、彼等をして國民たる義務を盡すに於て、不足なき丈けの資格を養成せしむるは、是豈に急務に非ずとせんや、
労役者の地位を高尚ならしむるには、種々の手段も有るべし、然れども其重もなる者は、實に其生活上の道を便益ならしむるに在り、所謂倉廩實ちて礼節を知り衣食足りて栄辱を知る、とは管子の言、吾を欺むかざるなり、
然らば則ち如何にして、労役者の生活上の道を便益ならしめん乎、即ち如何にして安全にその生活を得せしむ可き乎、如何にしてその老幼を養はしむ可き乎、如何にして平日には、一杯の肉汁を嘗め、疾病ある時には一匙の薬剤を服せしむるを得可き乎、彼等の飽食暖衣逸居して歓楽するは、是れ他日の夢なり、然れども如何にして終日苦々営々としてその筋骨を労する時に於ては、暗燈の下冷爐の辺、又た一杯の帚愁物を傾けしむ可き乎、如何にして健康に適する家屋に住居せしむべき乎、如何にして、彼等の健全なる快楽を満たすべき乎、彼等は其必要を感せざるに非ず、然れども天下に向て之を絶叫する能はざるなり、彼等は疾苦あり、然れども天下に向て其疾苦を激唱し、其同情の感を喚起する能はざるなり、彼等の声は遂に世間に聞へざるなり、彼等は殆ど社会尺度の下に堕落したる者にして、其聲天上に聞へざるなり、故に苟も彼等をして其地位を高尚ならしめんと欲せば、彼等自ら進んで之を為すを俟たず、宜しく他より其最善なる方法を択んで、之を彼等に与へざる可からず、嗟呼今日に於て、誰か彼等の為に此便益を與ゆる者ぞ、所謂我邦に於けるセント・シモンたる人は安くに在る、嗟呼安くに在る、
吾人は今茲に、二個の方法を提出し、以て世の慈善心ある義人に愬へんと欲す、其一は則ち労役者をして、同業組合トレードユニオンの制を設けしむる事是なり、同業組合とは何ぞや、大工は大工なり左官は左官なり、又た其他の職人は職人なり、同業者相団結して、以て緩急相互に救ふの業を為す事是なり、此事たるや、欧米諸国にて既に久しく行はれしものにして、今日は其法頗る発達し、独り同職者のみならず、其職業の異なる者をも、皆団結して一体となり、以て緩急相応じて以て、其団結の利益を保護し、併せて之を拡張する所以の法を講ぜり、即ち本年に於て英国十余万の職工等がジョーンボルンスの指揮の下に、同盟罷工を企てたるが如き是なり、又た米国の如きも、ナイト、オフ、レバー(労働的の武士)なる者あり、其初や一種の秘密結社にして、其党員は皆暗語を有し、その徽号を有し、隠然たる運動を為せり、而して其勢力漸次に増加し、五年前に於ては、既に二百万人の会員を有するに至れり、亦盛なりと云ふべし、勿論此二百万の中には種々の職業に服する者あり、必ずしも熟練的の労働者スキールド レバールのみならず、又た普通の労働者アンスキルド レバールも其中に在りしや論を俟たず、吾人は我邦に於て、初めより斯の如き大結合を望む者に非ず、唯願ふ所は、同業組合なる者を起し、之を以て互に一種の友愛協会と為し、互に其収入金の幾分を貯蓄し、其組合中に疾病、火災、其他の不幸に遭遇する者は、事実を探究して之を助け、若くは一旦事ある時に於ては、其同業団結して、罷工同盟を作すの用意を為すべし、吾人は必ずしも、罷工同盟を奨励する者に非ず、然れども若夫れ勢已む可からざる時に於ては、弱者の強者に抵抗するは、弱者の力を団結するの外なきのみ、即ち罷工同盟の如きは、十の弱者の力を合せて、一の強者に敵する者にして、争はざれば則ち已む、苟も争はんと欲する時に於ては、此手段に出るの外、他に妙計とても有る可からず、
今假りに東京の活版屋が、其職工に対する賃金甚だ不相当なりとせよ、斯かる場合に於ては、如何に苦情を言ふも、その詮なかるべし、強て言はんと欲する時に於ては、其雇主は忽ち之を解雇して、他の職工を用ゐ来るべし、斯の如き時に於ては、其賃金を相当の点まで引揚る事は、迚ても覚束なし、若夫れ斯かる場合に於て、吾人が所謂同業組合なる者ありとせよ、亦以て幾分か其望を達するの道なきに非ず、今試に東京に在る活版屋の職工を一萬人と仮定せよ、一萬の職工悉く団結して罷工同盟を作すとせよ、是時に於ては如何にすべき乎、若し普通の仕事ならば、何れの者を傭ひ来るも可なり、然れども活版の職工は、皆熟練的の労働者にして、土方にても、人力車夫にても、若くは東京近傍の農夫にても、手当たり次第に連れ来りて、其業を操らしむる訳にも行かざる可し、是時に於て若し団結さへ鞏固なれば ─ 其内よりして裏切者さへ出ざる時に於ては ─ 必らず多少の効能あらん、吾人は断して之を確言す、吾人は如何なる場合に於ても、罷工同盟を作せと奨説せす、然れども如何なる場合に於ても、其雇主の為に労役者が圧制を受けねばならぬと云ふの理なきを信す、故に真逆の時に於ては斯かる非常手段も亦労役者の位置を進むる一の方便と看做すは、最も至当の考案なりと信ず、
斯の如く同業組合は、之を内にしては同業間の親睦を篤ふし、其緩急相助くるの情を養ひ、彼等をして幾分の所得を貯蓄せしめ、又た非常の時に際しては、其緩急に応ずるの保険者たらしめ、之を外にしては以て同業者の勢力を団結して、其疾苦を医するの手段を講じ、已むを得ざる時に至りては、罷工同盟をも為しかね間敷の勢を養ふに足る、今日に於て労役者の朋友たる者は、何を苦んで斯の如き事を等閑に附し居るぞ、吾人は實に同業組合を起すの、十利ありて一害なきを確信す、然れども斯の如き事は、之を我邦今日の労役者に一任する時に於ては、其成立を見るの日甚だ晩かるべし、吾人は世の労役者を踏壇とし、彼等を煽動して、其私利を逞ふせんとする者の手に、斯の如き利器を預るを欲せずと雖、若し世に真正に平民の友となり、殊に労役者の友となる者あらば、願くは自家の利益を犠牲にするの心を以て、労役者の為に其道を開かんことを忠言す、
第二の考案は、共同会社コーポレーシヨンの制是なり、其制たるや、方法一にして足らずと雖、要するに資本家と労役者と、雇主と被雇者との間に在りて、其利害を並行せしむる所以の目的に外ならず、
則ち彼の労役者彼自身が、其少数の資本を出して、以て互に共同して営業を為すもその一なり、例せば大工の如き、別々にて之を為すよりも、其力を合せて之を為す時に於ては、其利甚だ多きは、更に呶々を俟たずして明かなり、吾人は、我邦の人民、共同の精神甚だ少きを嘆ず、若し彼等にして共同の精神あり、少しく意を枉げても、其全局の利益を取り、之を以て己等に分配するの道を講せば、労は半にして功を倍するの結果を見ること疑なしと信ず、則ち佛国に於ては其実例赫然たるものあり、又た資本家と労役者との間に於て、其利害を並行せしめん為に、労役者をも其会社の一員に加へ、其利益の幾部以下は、之を会社の資本に割り、其の幾部以上は、之を会社員たる労役者に分配するの道を講するも可なり、或は又た労役者の勤労久しき時に於ては、其賃金若くは賞金の幾分を差引き、之をして彼等の株金と為し、彼等をして其他日に於ては、一個の株主たらしむるが如き制を設るも可なり、孰れにしても二者の利害を並行せしむるの道を講すれば足れり、
然りと雖以上は、たゞ富の生産上に於ける共同会社の利益にして、尚ほ富の分配上に於ける利益は、下に述ぶる所の者の如し、
即ち欧米諸国にて、其日用品をば、社員中には最も廉価に売渡し、以て生活上の便益を図る事あり、此事にして若し其方法宜きを得ば、労役者をして生活の便益を得せしむるに於て、實に浅からぬ恩恵を与ふる者なり、例せば爰に少数の資本金を以て、味噌、醤油、薪、米、干物、濁酒、金巾木綿、石炭油、弁当、すべて是等の物を卸売同様の減価にて、最も薄利に之を販売する時に於ては、その労役者を利する、其効勝て云ふ可からず、而して此資本金や、若し労役者の資本よりして斯の如き会社を成立たしめば、是最も妙の妙なる者と雖、我邦に於て斯の如き事を望む可からずとせば、他の仁人君子たる者が、自ら資本家と為るも可なり、即ち英国に於ては、一千八百五十六年ロックデールに於て、一種の共同会社起り、一萬二千九百磅の資本を以て、麺包、肉、衣類等を売捌けり、此会社たるや、其事業拡張し、最早宏大なる蒸気機関を設けて、麺粉製造所を起し以て麺包の需用を給する足り、其他総ての物、追々盛大に赴き、今や二万五千磅の資本を以て、殆ど二十五万磅より尠からざるの仕事を一年に成すに到れり、而して其目的たるや、英国の北方に在る製造所の労役者の為に、生活の便を与ふるに在りて、其利益の如きも、其購客に分配するなり、而して其購客は、必ずしも其会社の資本家とも極らざるなり、其法たるや、すべて其店の得意者は、物を購ふ時に際して、一種の切符を受取り、毎期の末に之を勘定し、而して其資本に対して五歩の利を払ひ、其余の利は、悉く其購客に向て其購求したる代価に相応じて、之を配当する事と為せり、是れ亦一種の面白き工夫と云ふべし、
又た一種の法あり、其事たるや、購客は毎期の末に於て、其利益を分配せらるゝ事の代りに、其購求したる代価に応じて、尋常の者より割引して、廉価にて品物を購求するを得るの法是なり、是も亦一法なり、今経験に拠れば、前に述べたるロックデール共同会社の如きは、其利益を購客に分配するに際して、購客は之を消費せず、直に会社に預けて一種の預金と為し、己も亦其会社の資本主と成るの傾向を有すと云へり、亦以て之を一方に於ては、廉価なる品物を與へ、之を他方に於ては貯蓄心を奨励する所以を知る可し、併しながら凡て是等の事は、現金の取引を要せざる可からず、大凡斯かる時に際して信用貸を為す時に於ては、遂に彼等をして貯蓄心を失はしめ、奢侈に流れしめ、放逸に失せしめ、遂に彼等の便を計りて、却て彼等に毒する者と云はざるを得ず、若夫れ斯の如き共同会社隆盛に赴く時に於ては、独り小売営業商を営むのみならず、亦自ら問屋の資格を為すも可なり、即ち彼のロックデールに在る共同会社の如きは更に進んで一種の問屋を設るに至れり、即ち其目的たるや、総て他の共同会社に向て、其小売の品物を卸売りする為にして、例せば愛蘭に於て牛酪を買ふに附けても、他の仲買人の手を要せず、直に人を派出して之を購求するが如き、其中間の手数を省きて、之が為に其小売の時に於ても、勢ひ廉価とならざるを得ざるに至る、斯の如き宏大なる仕掛は、今に於て望む可からず雖、切めては其端緒をも見たしと思ふなり、
吾人は単り其食物に止まらず、亦住所をも斯の如き便法を設けたしと思ふ、其事たるや、共同貸長屋を建築し、其下水を設け、其排泄物の取締を為し、以て成るべく健全にして簡易なる住所を、彼等に與へんことを望む、而して彼等の力若し能くする時に於ては、追々其年季の支払と共に、之を彼等の所有に帰せしむる事是なり、即ち之を月払に為すも可なり、歳払に為すも可なり、詰まる所は、其住居する者をして、遂に其家を我家と為さしむるに至らずんば已まざる事是なり、此法たるや我邦の経済事情に於て、最も困難なりと雖、世若し慈善家あらば、宜しく率先して此事を成すべし、之を要するに共同会社の利益は、枚挙するに遑あらず、独り之を以て、労役者の生活の便益を増進せしむるのみならず、亦中等社会人士の為にも、其利益最も多かるべし、吾人は今一々之を枚挙せず、読者若し之を推考せば、必ず釈然として悟る所のもの多からん、
吾人が提出したる方案は、右に述べたる如し、吾人は今日に於て、労働問題の必ず社会に出ざる可からざるを信じ、亦た吾人の力有らん限りは、之を社会に提出し、社会の翼賛を得て、彼の労働者の声をして、天下の志士仁人の耳底に徹せしめんことを欲し、敢て之を言ふ、蓋し今日は、我生産社会一大変動の時節にして、彼の労役者の如きも此一大革命の狂波駭浪中に蕩漾せられたり、彼等は旧時の徳義上に於ける習慣已に破れ、年季奉公の制も破れ、師匠と弟子との関係も破れ、而して新組織未だ来らざるなり、況や今日に於ては、従来に於ける事業の外、更に種々の新事業発達し来るに於てをや、試に思へ土方と親方の関係は如何、彼の鉱山に労役する鉱夫の境遇は如何、紡績所に使用せらるる婦人労働者は如何、活版屋に傭役する少年の職工は如何、其他労働社会に於ける一切の事情如何、如何に其疾苦あるも、其痛惻あるも、彼等の事情は、黝暗なる秘密の裡に埋没せられ、何人も之が為に懸念する者もなく、義気慨焉之が為に其双膚を脱ひで、彼等の位地を改良せんとする者も無し、吾人は我帝国議会に向て、切に之を希望す、願くは我邦労役者の事情を調査するの労を取り、調査委員を設け、渾ての事情を調査し、彼等をして各其道を得せしむるの道を講ぜんことを、若それ彼等の疾痛惻怛、怒号憤懣の声、下層を衝て上騰する時に於て、周章狼狽之が処置を為さんとするも、噫亦た晩矣、



【注記】

 ここに翻刻した「労働者の声」は『國民之友』第95号(明治23年9月23日 発兌)によった。これまでの翻刻は、文章の区切りに「。」を用いているが、ここでは原文通り、すべて「、」を用いている。傍点、圏点、傍線は省いた。

傍点、圏点がどこに付されているかは、「〈労働者の声〉の筆者は誰か?」収録の画像を参照されたい。





Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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