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高野房太郎

米国桑港通信第1回


米国桑港通信 第壱回〔1〕 (〔1887年〕十一月廿九日)

O. F. T.生

商業家の渡米は奨励すべし、将来商業家たらんとする人の渡米は喜ぶべし、真正労働者の渡米は益々盛んならしむるも可なり、学生諸氏の渡米は未だ容易に賛成すべからずとは余の持論なり。余は今実業に従事するの傍ら本社通信者の任に当り、余が見聞するところの事実を録して専ら余が渡米を望む人々の参考に供せんとす。

加奈太〔カナダ〕汽船会社が一度其航路を開きしより、ピーオー汽船会社は一の強敵を得たる者と云ふべし。思ふに今日迄ピーオー汽船の重なる荷物及び船客は合衆国の東北部及び欧羅巴〔ヨーロッパ〕に至る者なりしが、今や時日の収縮と運賃の廉なるとの便はカナダ汽船会社の有するところとなりたれば、ピーオー会社の収支上非常の差異を見るに至るや必せり。故に已に両社の間に於ては稍〔やや〕競争の状を呈したり。若し両社にして益々其競争を盛んならしめば、其競争の種類に依りては意外の利益を日米間の貿易上に与ふるや知るべきなり。今当港〔この桑港=サンフランシスコ〕に来らんとする者の為めに、何れの航路の便なるやを云はんに、カナダ汽船会社汽船とピーオー会社の汽船との速力は今日に於ては稍仝一の者にして、カナダ汽船は「バンクーバ」迄十四日或は十五日を要し「バンクーバ」より桑港は三日を要す。即ち総計十七八日を要す。若し不幸にして「バンクーバ」にて一二日間桑港行の便を待つとせば(「バンクーバ」より桑港行汽船は一週間一回なり)凡そ廿日を要することなるべし。若し「バンクーバ」より桑港まで汽車の便を採るとするも、十六七日を要するなるべし。而してピーオー会社の汽船は航海日数十六七日を要するが故に、此点に於てはピーオー汽船の優るを見る。且カナダ汽船の航路は常に寒気甚だしく、若し下等に乗込まんとする者は船中にて非常の寒船〔寒気〕に遇はざるべからず。到底ピーオー汽船の如く其の気候の中和を得ること難し。是れカナダ汽船の劣る二点なり。且カナダ汽船にて「バンクーバ」へ至る時は、桑港行汽船は「ビクトリヤ」より出帆するが故に、「バンクーバ」より他の汽船にて「ビクトリヤ」へ渡り、仝所にて又桑港行汽船へ乗替へざる可からず。尤もカナダ汽船は常に「ビクトリヤ」へ寄港する故に、仝所に上陸し桑港行汽船の出帆を待つも可なりと雖も、兎に角汽船乗替の不便に遇はざるべからず。汽船の乗替は常に其荷物に破損の害多し。是其劣れる三点なり。「カナダ」汽船は常にピーオー汽船に比して運賃の廉なるありと雖も、其差の未だ以上の不便を償ふに足らざるべし。故に余は、今後此港に渡航せんとする人は、ピーオー会社の汽船を採るを便なるべしと信ずるなり。

附記 カナダ汽船へはピーオー汽船の如く下等支那人の乗込む者少なく、毎便廿名位に過ぎざれば、此一点は乗客の船中に於て不愉快を感ずること少なかるべし。カナダ汽船積荷物及び手荷物等凡て桑港行は本船より直ちに船移しにするが故に、カナダ税関の検査はなき者と知るべし。(未完)〔『読売新聞』明治20年12月22日付〕



米国桑港通信 第壱回〔2〕(一昨日の続き)

O. F. T.生

桑港に於ける日本物品の景況
我国より桑港に輸入する物品は其種類多しと雖も、之を要するに贅沢品と名付くべき者其八九を占め、必要品と名付くべき者は実に僅少の額たるに過ぎず。然れども桑港の新開地たる、労銀の貴き、其一般生計の高き、金融の活発なる、従ッて凡ての商業は偉大の盛栄を致すに連れ、日本物品の其必要品たると贅沢品たるとを問はず年々其売高を増し、日本商業家が現在若くは将来に於て望を属すべき者たるや疑ひもなき事実也。左ればにや、当時桑港に於て日本物品を売捌くの店又少しとせず。今其大略を区別すれば左の如くなるべし。
  支那人に属する者   七十軒
  欧米人に属する者    三軒
  日本人に属する者    五軒
読者諸君は今此区別を見て、果して如何なる感情を起すか。彼の商業上機敏の名ある支那人は、早くも桑港人民の日本品を好むを了知するや否や直に商店を開き、其自国の物品にも日本産なる名を附して、以て其射利を図れり。而して、其日本物品を巧に蒐集せる、其品数の多き、常に日本商店の上に出で、而して其価格の如きも却つて日本商店より廉なるを見る。然れども、此値の廉なるは、我国貿易港にある外人の売込を業とせる諸君は皆其原因を知るなるべし。且彼支那人等が其の脱税に巧なる、其生計の低度なるの点々は益す〔益々〕此値の廉なるの原因にして、今日の有様に於ては、桑港に於ける日本物品の商利は常に支那人に収め得られたりと云ふべきなり。然りと雖も今日、米人一般の気風より考へ来れば、支那人を悪むの風習は一般の気風となり。夫が為め、日本物品を購求せんとするに当たりても、些少の高価なるも之を欧米人若くは日本商店に於て購求するの有様なるが故に、若し我日本の商人、殊に日本にありて海外貿易に従事せし人々が此港に来り、其日本にて得たる経験を巧に利用して、以て日本物品販路の拡張に当りなば、例へ彼支那人等を圧倒するに至らざるも、其収益の点に於ては望を属するに足るならんと信ず。然れども桑港の生計は到底日本にて夢想すべからざるの高度にある者なれば、我商業家諸君にして事を挙げんとするに当たりては、其猛省すべき者少なしとせざるなり。
商品輸入経費概算
 余は今商業家諸君の参考に供せんが為め、我横浜港より雑貨を輸出するに当り、其元価を米金百弗と見積り、其方数を四十英立法尺即ち一噸と仮定し、之に要する経費を左に掲げん。
  一 米金八弗 横浜より桑港迄船積運賃 但し当時カナダ汽船とピーオー汽船と競争を試み居る故、其運賃額も一定せずと雖も、此額は余が十月下旬、即ち両社競争の際輸入したる荷物の運賃なれば茲に掲ぐ。
  一 米金三弗 横浜積込及荷造諸入費
  一 米金卅五弗 海関税(平均三割五分の割)
  一 米金三弗 桑港税関仲次人手数料
  一 米金壱弗五十仙 桑港にての運送費
   〆米金五拾弗五十仙
右は経費の一概をあげたる者なるが、日本に於て米金の値壱円廿五銭と見積り、此経費を日本の価格に替算すれば六拾三円拾弐銭五厘と為り、元価の五割強に当り、加ふるに其生活費用其他店費等を加へなば、此物品は米国に於て凡そ日本金弐百五十弗(米金弐百弗)内外に売捌かざるべからざるに至らん。今、当時桑港の税関の海関税を略挙せば左の如し。

陶器六割、絹物五割、漆器三割五分、鼈甲弐割五分、象牙三割、写真弐割五分、扇子団扇三割五分、刀剣三割五分、玩具三割五分、絹傘五割、日傘四割五分、竹細工三割(但細工又は彫をなさゞれば竹は無税)

〔『読売新聞』明治20年12月24日付〕



米国桑港通信 第壱回〔3〕 (昨日の続き)

O. F. T.生

桑港に於ける商業究研者〔研究者〕の便宜 日本人にして商業究研〔研究〕の目的即ち商業上の経験を得るの目的を以て当港に来る者、其目的を達せんとするに当り採るべき手段二あり。一は商家に奉公住するにあり。他は日本物品の行商を試むるにあり。第一は深く米国商業の組織を研究し、其商売の駆引を実験し、以て将来為す所あらんとする者なり。此手段や、米人の子弟が常に採る所の者にして、日本人にして此手順を行ふ者は今日に於ては皆無と云ふべき有様なり。惟ふ〔おもう〕に、此手段に依りて其目的を達する我国人は将来大に望を属すべき者なりと雖ども、米人の子弟にして此手段を採らんとする者常に充満し居りて、供給は需要に越すの有様なれば、此際に於て他国人なる我国人が此需要に応ぜんとするは実に至難の事と云はざるべからず。否寧ろ〔むしろ〕為し得べからざるの事ならん。故に今日に於ては此手段を採〔る〕の便なき者なり。第二に至りては至易の事業にして、若し言語の明解するあらば、充分に日本物品の向背を明らめ、将来当港に於て商店を開くか若くは我国より物品を輸出するに当り、非常の便宜を得べきなり。此事たるや、敢て多額の資本を要するにあらず。其の行商を為すに当り、市庁に届け出で三ヶ月間の免状料として米金七弗五十仙を納めなば、桑港中何れの場所を問はず行商することを得。而うして、其売捌くべき物品は日々日本商店より買受けることなれば、店を出すべき資力なきの人、若くは研究者が物品の向背即ち商業上至要の経験を得るに於ては、非常の便ありと云ざるべからず。且桑港に於ては、日本の如く其執業の長短、或は其行商者なるが為め、其信用の有無を致すが如き甚だしきことにあらず(固より商店に行き求むると行商者より求むると、又知己の行商者と未だ一面なき行商者と、其間に於て購求者の置く信用に仮定多少の差はありと雖ども)。故に、行商者其人にして購求者の需用を満すべき物品を所有するあれば、彼は喜んで之を購求し、此間信用の働きは殆んどなきが如き有様なり。然れども此行商をなすに当りては、素より言語の明解を要し、又外見修飾の必要もあり。且米国人は、一般に其自己の所有に属する物件に付て賞賛を得るときは非常に喜悦する者なれば、行商者たる者は常に臨機の才を運らすを要するは、尚我国の商業に愛嬌なる一事の必要なるが如き者なり。而して、行商者は、時に其見込に依りて直に本国より荷物を取寄せ之を売捌くが如きも、尤も便益の者なるべし。然りと雖も、此行商の利益に依りて資本金を得んとするが如きは到底致し得べからざる事となし、此行商を為すや単に経験を得るの手段として用ひざるべからず。然らずんば、中途にして其利益の他の労銀に比して少なきが為め、遂に之を止むる者少しとせざればなり。故に此行商をなすに当りては、是より得る利益を以て其衣食をなすの用とせず、更に他の手段、即ち無給若くは些少の給料にて日々五六時間労働に従事し、残余の時間を以て行商をなすとせば、敢て他に費用の支出すべき者なく、容易に其目的を達すべきや必せり。此の如きは、日本にある商家の子弟が曾て夢視せざる所にして、日本にありて或は商業上の学校に入り、或は期を定めて商店に奉公するよりは、其功益の幾層の上にあるや知るべからざるなるべし。日本にある商家の子弟、或は将来商業家たらんとする人々は、何を苦んでか目的を達するの良手段に乏しき、且好地位に乏しき我国にあるを要せんや。今日の如き、海外貿易の利益の知れ渡りたるに当り、諸子何ぞ決然郷国を出でゝ外征の事に従はざる。然れども諸子よ、余が前段に陳述せる、行商をなすに当りて必要なるの件々は、諸子が郷関を出づるに際し其実力の如何を顧み玉へ。又行商の、桑港に於ても素より賤業の一にして、其之を行ふに当りても種々の困難あるは決して他の事業と異なる所なきなれば、能く熟考を加へ、果して其可なるを信じ玉ひなば速に渡航せられよ。彼の当港にある一部の学生諸氏の如き軽挙をなして、後自ら悔い且人に笑はるヽの醜行をなし玉ふな(完)
〔『読売新聞』明治20年12月25日〕



1) 初出は『読売新聞』明治20(1887)年12月22日、同24日、同25日付。
2) 〔 〕内は二村による注、あるいは欠字を追加したものである。なお、原文には句読点がほとんど使われていないが、ここでは読みやすさを考慮して句読点を加えた。また、変体仮名は仮名に改め、旧漢字でJISにない漢字は当用漢字に改めている。また、原文は総ルビであるが、ルビは省略した。ただし、難読の文字の一部については〔 〕内に読みを入れている。
3) 文中には、民族差別に関わる不適切な表現があるが、原文の歴史性を考え、そのままとした。
4) O.F.T は高野房太郎が在米中に使用したOsen Fusataro Takano のイニシャルである。




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Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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