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高野房太郎 米国桑港通信第2回


米国桑港通信 第二回〔1〕

O. F. T.生

 余は、日本商業家が其眼を、内国の小天地に限らずして遠く海外の商況に着け、其外征の念を奮起せられんことを望む者なり。然るが故に、余は前回の通信に於て日本品の当地に於ける景況を録して商業家の参考に供し、併せて其渡米を促したり。特に、開港場に於て親しく外人との取引に従事せらるゝ商業家諸君の渡航を望みたりし。思ふに、余が前回の通信は、未だ以て商業家諸君の決意を促すに当りて充分の効なかるべし。故に余は今、商業家諸君の計画をして堅固ならしめんが為め、当地に於て商店を維持するの費用を略挙して、其参考に供せん。蓋し〔けだし=おそらく〕、今日迄日本商店の当地へ開設せし或者が、其費用の大なるが為め遂に閉店の不幸を見たりしが如きは、今後来りて店を開かんとする人の深く猛省すべきことにして、余が尤も商業家諸君の考へを費されんことを望む点なり。且つ、当港一般の費用の大なるや、これを処するに当りては充分に思顧せざるべからざる所にして、今日桑港にある日本商店が真正の商業家と云ふべき者少なきが為め、多くは費用の節減を知らず、其商業の好景気の時期と不景気の時期とを問わず、常に多額の費用を費し、其間更に節約の法を運らさざるが如きは、余の往々見聞するの事実なり。左れば余は、真正の商業家諸君が渡米し来りて、盛に其経験を利用し、節すべきは之を節し、以て其商業を経営せられんことを希望に堪へざるなり。

家賃 の高低は其土地の盛衰を示す者なれば、桑港の如き其商業の繁栄なる土地に於て、家賃の高価なるも敢て怪しむべきにあらず。実に桑港今日の繁栄は、日々益々家賃の騰貴を促す者のごとし。今桑港中屈指の市街なるマーケット街(Market St.)若くはカーネー街(Kearny St.)の最良の場所に於て一の商店を借んとせば、一ヶ月米金百五十弗以上五百弗以下の家賃を払はざるべからず。然るも尚、其空店なきに苦しまずんばあらず。思〔う〕に、日本商品の小売店に適するが如き空店は、一年の月日を費やすも恐らくは見出し難かるべし。今試みにマーケット街の最良の場所にて、尤も〔もっとも〕日本品の小売店に適すべき商店の家賃を記さんに、間口一間半奥行五間余の大さにて、其家賃は百四五十弗、間口四間奥行八間位の大さにて三百二三十弗を要することなり。又他の市街に於て日本品の小売店を開くに最良の場所とは云ふべからざるも(マーケット街の中第四街及び第五街の間 Market St. between 4th and 5th Sts. 及びカーネー街の中マーケット街に近〔き〕場所(Kearny St. near Marketを以て最良の場所とす)、先相当の家を借るには六十弗以上百五十弗以下の家賃を要すべし。去り乍ら、一ヶ月百弗の家賃を支払ふ覚悟なれば、随分立派なる商店を借ることを得べし。

新聞広告料 は素より其大小によりて差異ありと雖も、大凡竪一寸横三寸位の大サにて、一ヶ月の広告料十弗を要す。尤も一ヶ年の約定をなす時は三割位の割引をなすべし
一電気燈料 は一基一ヶ月八弗の割にして間口二間奥行五間位の大さなれば一基にて充分なり。又瓦斯は電気燈に比し三割位の廉価に当る。
一止宿料及び食料 桑港に於ては貸部屋の業をなす者非常に多く、市中至る所貸部屋ありとの札を掲げざる家はなき有様なるが、其貸料は安きは一ヶ月四弗より、高きは廿五弗位なり。而して一ヶ月六弗を支払へば、随分小奇麗なる部屋を借ることを得べし。また食料の如きも、一人前一日四十五仙を支払ひなば、是又充分の食事を為すことを得べし。左りながら、尚此上にも倹約を為さんとせば、一ヶ月五弗位は減ずることを得べし。又中等の宿屋にて一ヶ月一人前三十弗を支払へば、相当の部屋を借り、充分の食事をなすを得べし。雑費は其商業の盛衰に依り増減する者なれば爰〔ここ〕に掲ぐることを得ず。

 右は月々の入費の概略なるが、創業費の如きも、其店の大小に依り其の費用を異にするが故に、其詳細を掲ぐるに由なけれども、余の実験に依れば、大凡三百弗を要すとして計算を立てなば大過なかるべし。

附記す 昨年十月余が一旦帰朝したる際横浜の売込商人が米国向なりと云ふ品を見るに多くはニュヨーク其他東部諸州に向く品多くして、当港向の品は僅少なるが如し。桑港人民の日本品に対する好嗜は、東部諸州と其趣きを異にせる者少なしとせず。例せば東部諸州にては人物画の陶器扇子等売行あるも、桑港にては実に不向にて、重もに花鳥の極〔く〕はでなるを好むが如し。是等の点に於ては商人諸君の注意を要する所なるべし。(未完)

『読売新聞』明治21年5月1日付3面



米国桑港通信 第二回(承前)

O. F. T.生

労役者渡米の利害 朝は星を頂いて出で、夜は月を踏で帰り、一日の中睡眠の時間を残すの外は刻苦労働し、而して其得る所の金額は多きは一円少なきは廿五銭なり。かかるが故に寒冷の時衣尚其寒を防ぐに足らず、食は以て其飢を癒すに由なし。これ今日日本労役社会の有様なり。飜ッて米国労役社会の有様を見れば、転た〔うたた=ますます〕我国の労役者を憐れむの思なくんばあらず。素より米国の労役社会と云へども日本の如き惨状なきにはあらざるなり。甚だしきに至りては我国労役社会の惨状よりも尚酷なる者あるなり。夫れ然らん。米国の如き諸物価の高き所に於ては、米国の労役者が得る所の金額は、日本の労役者と其割合に於て同一の者なるべし。一家数人を容るゝの小家屋にありても、尚四五十弗の月費を要することなれば、米国労役社会の惨状なるも宜なり。然れども単に労銀の高低上より論定せば、日本労役者の地位は実に憐れむべき者にして、米国労役者の賃銀は日本労働者の夢想せざるの高度にある者なり。一日の中十時間若くは十二時間の労を採り、而して其得る所の金額は弐弗以上なり。且や米国の労働は多くは機械の力を借るが故に、日本労役者の如く其労働に於て甚だしき痛苦を感ぜざるなり。今日本労役者と米国労役者との間に於て、其痛苦の割合と報酬の割合とを比較せば、我国労役者の痛苦の割合は報酬の割合に超過せる者と云ふべきなり。唯此間に米国の労役者に於ては一般の物価の高直なる為め、其収入は我国の労役者と其割合を同うするに外ならず。即ち両者の間の比較仮定割合は左の如くなるべし。
         痛苦の度    報酬の度   生計費用  剰余
米国労役者    八        十五    十三    二
日本労役者    十        十      八    二
夫れ此の如く日本の労役者は米国の労役者に比して其痛苦の度に於て二、其報酬に於て五の損失をなし居る者と云ふべきなり。注意せよ日本の労役者、日本の労働は、其痛苦の割合の報酬の割合に超過することを注意せよ。米国の労働は、其報酬の割合の痛苦の割合に超過することを注意せよ。尚進んで米国生計費用の多額は、此の割合の不平均を同一ならしむることを注意せよ。

若し夫れ日本の労役者にして、一度米国へ渡航し来りて米国の労役者が採る所と仝一なる労働に従事するとせば、其日本にあるよりも痛苦の度に於て二を減じ、其報酬の度に於て五を利することを得べし。将又、日本労役者が其日本に於けると仝一の痛苦ある労働を採るとせば、彼等は其日本にあるよりも報酬に於て八、七五の利益を得ることゝ云ふべきなり。夫れ此の如し。日本労役者の渡米は実に有利の事と云ふべし。况んや米国労役者の収入をして、日本労役者の収入と同一の割合とならしむる所の生計費用の如きも、日本労役者たるに於ては、非常に節減するを得るをや。
蓋し物価の騰貴は常に労銀の高直を致す者なれば、米国の如き労銀の高直〔こうじき=高値〕なる所に於ては、生計費用の多額を要するは素より至当のことなれば、彼の労役者等は、如何に多額の費用を費さヾらんと欲するも、得べきにあらず。彼等は、米国に於て尤も低度の生計をなすも、一日六十仙以上を費さヾるべからざるなり。然るに、日本の労役者は常に低度の生活に慣れ居るが故に、一日三十仙の小額を費せば、其日本にありしよりも遙かに優る所の生活を為すことを得るなり。思ふに、此の如き小額を費やすべき生活は、米国労役者が如何なる手段に依るも為すことを得ざる者ならん。

生計費用前陳の如く節減するを得、而して其報酬は日本にあるよりも割合宜し(仮令日本人たるが為め米人に比して其報酬の廉なるが如き場合あるも、其差は実に些少の者なり)とせば、日本労役者の渡米は其一身に採りて甚だ利益あることにあらずや。日本労役者たる者宜敷此点に就て熟考すべし。
日本労役者の渡米は以上の如く利ありと雖も、之を行ふに当りては、注意すべきの点尠からず。思ふに以上の利益は独身者に於ては、尤も顕著なるを得べし。蓋し妻子あるの労役者は、其生計の多額を要し、加ふるに女子の職業を得るに日本の如く至易ならざるが故に、到底独身者の如き利益を享有すること能はざるのみならず、時としては日本にあると同一の困難に陥らざるべからず。又渡米し来る労役者にして、英語を善くせば、其便益は非常なるべしと雖も、こは今日の労役者に向ては望むべくもあらず。故に渡米し来りたる以上は、少くも六ヶ月以上の日月は語学を学ぶが為め無給若くは些少の報酬にて働かざるべからず。或る場合に於ては、一語を解せず而かも食料止宿料を引去りて一週間三弗半位の給料を得ることなきにはあらねども、此は例外のことなれば、渡米せんとする労役者は六ヶ月以上の日子は収入なきことゝ覚悟せざるべからざるなり。或論者の内にて、四五年前より彼支那人放逐論の常に米国労役者の口に登り、支那人を嫌悪するの情は日に増し来たるを見て、日本労役者渡米の結果は彼支那人と仝様にして、遂には日本人放逐論の米国社会に現出するに至らんと云ふもあるべけれど、論者にして若し深く米国の状況を明らめ、飜ッて日清両国の有様を比較し子細に観察を下さば、恐らくは論者の想像は一の杞憂となり果つるならんと信ず。(完)

『読売新聞』明治21年5月3日付3面




1) 初出は『読売新聞』明治21(1888)年5月1日、同3日。
2) 〔 〕内は二村による注、あるいは欠字を追加したものである。なお、原文には句読点がほとんど使われていないが、ここでは読みやすさを考慮して句読点を加えた。また、変体仮名は仮名に改め、旧漢字でJISにない漢字は当用漢字に改めている。また、原文は総ルビであるが、ルビは省略した。ただし、難読の文字の一部については〔 〕内に読みを入れている。
3) 文中には、民族差別に関わる不適切な表現があるが、原文の歴史性を考え、そのままとした。
4) O.F.T は高野房太郎が在米中に使用したOsen Fusataro Takano のイニシャルである。




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Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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